大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

連載36、 議会壇上から日本共産党を語る、議員最後の議事録から

2019-12-03 | 「私がお話し」します。

 世直しご一緒に  2010年は、韓国「併合」から1〇〇年の重要な年でした。

 ■□日朝協会代表理事として

 昨年(二〇一〇年)は、韓国「併合」一〇〇年の重要な年でした。

 私は日朝協会代表理事として、「西宮女性9条の会」をはじめ、あちこち講演に行きました。

 また、日朝協会の代表として原水爆禁止世界大会に参加し、分科会で非核の政府、非核の自治体を作ること、日朝平壌宣言と六者協議を通して日・朝・韓の正常な発展を実現することが、原水爆禁止二〇一一年世界大会の成功に貢献できる道であると発言してきました。

 議員退職後のこれからも、日本と朝鮮、韓国の友好のため、アジアの平和のためにがんばっていきたいと考えています。

 なお、日朝協会は、過去の不幸な歴史を再び繰り返させない日本国民の強い決意のもとに、一九五五年一一月に結成された日本で最も長い歴史を持つ、韓国・朝鮮の人々との友好運動にとりくむ日本国民の自主的で民主的な団体です。

大韓民国(韓国)・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の在日団体とも交流を進め、北東アジアの平和を確立するために、隣国との関係を早く正常化するために全力を挙げています。

 またハングル講座、史跡巡り、韓国などへの旅行、在日韓国・朝鮮人の方々との交流、各種の勉強会など明るく楽しく朝鮮問題への関心や要求をもとに活動をすすめている団体です。

 

 私は、今後も向日市民の幸せのために努力したいと思います。

      議会壇上から日本共産党を語る 議員最後の議事録から

  二〇一一年六月議会が、私の最後の本会議出席でした。本会議ごとに行われる市長への一般質問は四四年間欠かさず続けてきたのです。退任する議員が市長に質問するのは大変むずかしいものですが、いろいろ考え工夫して市長の基本姿勢をただしました。

 また、三月一一日の大震災、原発事故を受けて民主党が出した意見書に対する賛成討論の形で、「原発ゼロ」をめざす私の見解を述べました。

以下、最後の本会議議事録から、少し長くなりますが全文紹介します。

 

  44年間、最後の一般質問 日本共産党を語る

日本共産党の大橋満です。市長に対し一般質問いたします。

 日本の長い歴史の中で 多くの人々の幸せを実現するために、世の中を良くしようと思って活動された方がたくさんおられましたが、私は二二歳のときに、世界の歴史が二〇世紀まで進んできたこの時代に、戦争によるのではなく、平和的に、理性的に、社会科学的に議会制民主主義を貫きながら、世直しをしていく方法はないものだろうか、しかも一部の血気盛んな人間がするのではなく、圧倒的多数の人が賛成する目的に向かって、圧倒的多数の人が賛成し、参加する方法で世直しができないものだろうかと考え、自分の人生の進路を探し始めていました。

 そうしたら、同じようなことを考え活動しているひとびとの集団に出会ったのです。その集団の名前が、日本共産党という名前だったのです。

 私は生まれたときから日本共産党ではありませんでした。(笑)

 わが家の家系をたどってみると・・・

共産党員だと言ってもいろいろな人がいるものです。私の家系はみなさん方の概念で言えば、保守の中の保守でした。

 祖父はクリスチャンで、まこと幼稚園・向日町基督教会をつくった中心人物の一人でした、その弟は学習院大学の教授でした。彼の葬儀には天皇陛下から樒にかわる白い布と何かが送られてきたと先日一〇二歳で亡くなった母が言っておりました。

 その教授が大正五年九月に書いた「大橋家の家系について」という文書が今も残っています。西暦一三〇〇年頃まで遡っています。先祖が北畠親房だと書かれています。北畠は『神皇正統記』を書いた南朝の有力な指導者だった人です。出身は福島県(霊山町)小字まで地名も詳しく書かれていましたが、私は半信半疑で、二〇一〇年秋、その真相を調べるべく福島県霊山町(合併して伊達市)とその周辺に調査に行ったのですが、書かれていたお寺の名前や地名は全て存在していました。       

 そこには「北畠」をまつる神社があり、北畠にまつわる歴史研究が多く行われており、「町史」を四分冊、全部買ってきました。

 町を歩いてまたびっくりで、合併前の町長さんは日本共産党の大橋さんで、右も左も「大橋」という家が多いのです。もっと時間をとって再調査に行かなければならないと、元町長に再会の約束をして帰ってきました。大地震でどうなっているのかと心配で先日も電話しましたら、近所の公民館には一〇〇人以上の被災者の方が来ておられ、復興支援で忙しいということでした。(注・今は放射能被害で大変です)

 それからもう一つ、自分でも保守的な家系だと思っていることですが、私は余り気にしていなかったのですが、伊勢神宮では一〇月中頃に神嘗祭、一一月の終わり頃に新嘗祭というお祭りがあります。

 一昨年のことでした。「真夜中の祭りですが、この祭りを見に行きますか」と聞かれて、何にでも興味を持っている私は、「行きましょう」とふたつ返事で二回も伊勢神宮に行ったのです。

 池田厚子さん、天皇の姉ですね、小さいおばあさんです。この方が祭主・伊勢神宮の神官の長です。上は白装束に赤い袴、赤い木靴を履いて、足下を杉の木を束ねてつくった松明で照らされながら、先頭を歩き、後ろに三〇人ほどの神主と何種類かの祭具を担いだ神官がゆっくり歩いて、何ヵ所かの場所に止まって決められた儀式をして、お参りされるのです。

 私たちが入れない場所もあり、出てこられるまで待っていなければなりませんでしたが、真夜中の一時間半~二時間くらいの儀式でした。

 向日神社の宮司さんに伊勢神宮の新嘗祭などに参加されるのですかと話したら、「私は行ったことがない」と言われました。「昔は直接見たら目がつぶれる」と言われたものだと書いた文書を読んだことがありますが、私の目は大丈夫でした。私の身内にはそういうところに行けるルートもあるのです。

 誰が言っても良いことは良い!

 何故こんなことを言ったのかと言いますと、日本共産党の人間も他の人と同じように、区別や差別をすることなく、平等に扱われなければならないということが言いたいのです。

 以前の市長は 「共産党」だというだけで、余り毛嫌いされませんでした。

 私は、今日まで、向日市を築いてこられた多くの政治家、市役所幹部のみなさん方とご一緒にこの街を全国に誇れる街にするために、活動してきました。

 日本共産党の関係者の中では、 知る人ぞ知る市になりましたが、一般的にはまだ、「日向市(ひゅうがし)」と間違われるほどですからもっと努力が必要です。 共産党議員団も努力しますので、市長もぜひご協力をお願いしたいと思うのです。

 私がご一緒した市長は、中山仙三さん、民秋徳夫さん、岡崎誠之さん、そうして久嶋さんですが、久嶋さんはまだお若いのであと何年勤められるかわかりませんが、久嶋さんが歴代市長を超えて立派な市長になって頂くために、どうしても直して頂きたいという問題について、別の角度からお聞きしたいと思うのです。

 それは、日本共産党員に対する見方、対応の仕方、さらに日本共産党員でなくても、余り好きでない人との接し方についてです。人を差別したり、人を見下したり、反共という立場でものを見るのは憲法を守っている人とは言えないと思うのです。

 中山さんは、大橋君、今日は疲れているのと違うか、とよく言葉をかけて頂きました。私が日本共産党の事務所の仕事をしながら議員活動をしていたのを知っておられたからです。そうして私が提案したことにも嫌な顔をせず、他の議員が提案されたことと分け隔てなく、良いことは良いとして実行して頂きました。

 こんなことがありました。

 昭和四五年、この場に町の庁舎がつくられ、消防署も滝本金物店の隣から本庁舎の東の端に移されました。それでも当時は立派なものでした。

 かつて、京都府知事だった蜷川虎三さんは、「消防行政は地方自治の原点」であり、「我が町は自分たちの手で守らなければならない」と強調されていました。私は、その教えを実行するために、市制移行、何年か経ってから当時の消防長に「消火活動で一番大切なことはなんですか」と聞きましたら、「初動の三〇秒です。」と答えられました。私は、庁舎から府道に出るまで何分かかるのですか? と聞くと「三〇秒」だと言われました。それなら府道際に消防署を建てれば物集女にも、上植野の端までも五分以内で行けるようになる、現在の図書館入り口が市有地でしたので、そこに移せばどうかと質問・提案しました。

 中山さんは、私の意見に「なるほど良いことだが、もう少し考えよう」と言われ、何日か経ってから、大橋君、京都府に頼んで「たこ公園の所にするよ」といわれ、民秋さんに代わって昭和五六(一九八一)年八月、現在の消防署への移転が行われました。なるほど、私の提案より良い場所だ、さすが中山さんだと思いました。

 また、こんなことがありました。今回改修されている、向陽小学校北校舎ですが、長い間避難階段がありませんでした。日本共産党議員団で向陽小学校の視察をしました。北校舎の三階の、廊下の端に木の箱がついているので、あれはなんですかと聞きましたら、避難用の道具だといわれるのです。どのように使うのですかと聞くと、火事などが起こったときに窓からアームを出して、井戸のつるべのようにして子どもを一人ひとり下ろす設備だというのです。

 私はびっくりして、消防法はどうなっているのかと聞くと、つるべのようなものでも違法ではないというのです。そうして年に一、 二度訓練しているというのです。

 私は、次の訓練の日に、市長と教育長がそれで降りてみてください、どうですか? と聞きました。お二人とも返事がありませんでした。さらに私は、最後の一人はどうして降ろすのですかと聞きました。教育長は答弁出来ず、市長と相談すると答えられ、次の予算に「非常階段建設費」が組まれました。

 日本共産党が市政に果たしてきた役割は明確

 さらに、いま、向日神社の裏山の崖地工事が三年がかりで五億円以上掛けて行われていますが、この工事のきっかけは昭和五一年三月開設の向陽小学校のプール建設前に、崖の上にある南山六四番地の民家が危険ではないかと質問し、地滑りする前に擁壁工事をして頂きたいと要求したことが始まりなのです。

 工事計画は中山さんから民秋さんへ申し送られ、この崖地工事には多額の費用がいることから、必要性はよく理解出来るが予算がない、どうするか、目途がつくまで待ってくれと言われました。しばらくして、工事をすると言われました。

 その方法は、向日市内唯一の「土砂災害警戒箇所」の指定を行い、九割国庫負担で行うという内容でした。それ以来、向陽小学校運動場の西側から始まり、さらに延長して向日神社の裏山に進みました、長い時間と多くの関係者の努力があり、京都府が用地買収までして、公費で改修出来るようになったのです。

 もし「神社の裏山が宗教施設の境内」というとらえ方だったら工事は出来なかったのです。歴史的な向日神社の景観も、関係する氏子のみなさんのたゆまぬ努力と、日本共産党議員団の努力と、中山さんから民秋さんへのバトンタッチと「大岡裁き」とも言うべき判断があったのだということを、ぜひご理解頂きたいと思うのです。

 他にもいろいろなことがありましたが、時間の都合で詳しく述べられませんが、日本共産党と市民の共同で、向日市政そのものを、新しい考えで、憲法が生かされるような町として発展させるために、果たしてきた役割は、歴史の事実として多くの分野で残されています。

 年代順不同ですが、いくつか思いつくままに申し上げますと、一九八四(昭和五九)年長岡京遷都一二〇〇年に行われた「平和都市宣言」、同じ長岡京遷都一二〇〇年記念行事で、京都府との関係で図書館・資料館用地の「無償貸与条例違反」問題、共産党議員団が提出した「都市計画税引き下げ条例」がきっかけで値下げが行われました。地下水を守れの運動で「地下水採取の適正化に関する条例」が可決されました。何度か汚職腐敗の事件がありましたが、その解決の先頭に立ってきました。

 中でも「水道公認業者規程」を作る過程では、私に「殺したる」という脅迫電話がありました。犯人確認のため向日町警察署にも行きました。

 また、倒産した三基建設をめぐる事件、特養ホーム向陽苑の用地買収をめぐる事件、市幹部のゴルフ接待と危機管理問題、等で、独自調査に基づく公正な行政を求める多くの提案を行い、市政が正しく進むようにがんばってきました。

 また、議会制民主主義を徹底するために多くの提案をしてまいりました。 

 これらの事実は、 市民の暮らしを守り、改善していくことには、誰が言っても良いことは良い、特に日本共産党の主張に真理があったということです。人を差別しない、「共産党だと言う理由」で差別しない。このことは、これからの指導者として、一番大切なことだと思うのです。

 久嶋市長は、「反共」という見方をしないようにして頂きたいのでありますがいかがでしょうか?

 向日市民の幸せを願って

 日本共産党議員の発言、意見に対して、その内容よりも「反共」という立場から、自分の考えと異なる意見には、その内容を含めて頭からあまり理解をしようとしておられなかったのではないか、と感じることがありました。

 先の市長選挙の事務所前での第一声や街頭宣伝、個人演説会などで、一六年前の初心に返ってがんばりたいとか、議員の皆様の意見をよく聞いて市政運営にあたるということを何度もおっしゃっていました。私が市長にぜひ直してほしいのは、おっしゃった反省に加え、人を差別しない、日本共産党だ、という理由で差別しない。自分の考えと違うということで差別しない。気にくわない、嫌いだということで差別しない、そのことが、全ての市民に責任を持つリーダーの優れた資質だと思うのです。

 私は、今後の向日市の発展にとって、「反共の色眼鏡をはずし、誰の意見でも尊重して聞き、自分と異なる意見を言う人ほど耳を傾けるべきだ」と思うのです。ある方が「反共は、戦争前夜の声」と言って、誰も差別されなかったのは本当に立派だと思うのです。

 この点で久嶋市長に対する本年の辞職勧告決議は、改めて重大問題として考え直していかなければならない問題だと思うのです。

 以上申し上げてきたことをお考え頂き、市長のお考えをお聞きします。

 日本共産党は、長い世界の歴史の中で次の時代に役立つものは残し、さらに発展させて世界平和・人類のさらなる発展のために活動している政党です。だから、本来的には市長を含めて全市民のみなさんと、協力できるはずなのです。

 また、日本共産党は、日本国民の政党です。

 旧ソ連が、解体したとき、世界中で只一つ「双手を挙げて賛成する」という声明を発表しました。当時のソ連は、名前は共産党だったけれども理念も行いも「共産党の原則からはずれたもの」だったからです。それまでに何度も「あなた方の方針は間違っている」と注意していたにもかかわらず、改めなかったからであります。

 さらに現在、北朝鮮労働党とは、四〇年にわたって関係が不正常なままですし(一九八三年以降完全断絶)、現在北朝鮮という国と日本共産党は公式な関係は全くありません。彼らの考えや行動は「共産党の理念」からはずれているのです。

 日本共産党は、だからといって「日本国」として、国連に加盟している国の中で、嫌いな国とは国交を結ばないというのは、日本国家として、国際問題を正しく解決する上では異常なことだと改善を求めています。 

 かつて、中国共産党が日本共産党に対して、中国共産党の手下になれと、あくどい攻撃をしてきた時期がありました。日本共産党は、中国共産党が自らの間違いを訂正するまで、中国共産党との関係を断絶していた時期があります。中国が次々と新しい指導部に変わっていく中で、日本共産党に対する抑圧は間違っていたと公式に謝罪してきたので、繰り返し話し合いをして、以前のような友好関係を回復しました。

 日本共産党は、相手がどんな大国でも日本国民を守る、日本国民の幸せのために活動するために、自分の頭で考え行動しているのです。「常に国民の立場で真理を探求する政党」だから私は信頼出来るのです。

 さて今後の向日市政の発展方向は、市長が何人代わられたとしても、近い将来、市民との共同で必ず市民が主人公の方向に進むと考えています。市民が主人公で平和憲法の理念と内容が生かされる町、そうして原発ゼロの日本に発展すると確信しています。

 私は、今後も向日市民の幸せのために努力したいと思います。

 さらに向日市の良いところを、 全国に広げていくことにも努力しようと考えています。また、何よりも、世界の進んだ文化や科学を多く知り、身につけ、向日市にお返ししたいと考えています。市長のお考えをお聞きします。以上、質問と致します。

 

 久嶋市長の答弁要旨(市長登壇) 日本共産党議員団大橋満議員のご質問にお答えをいたします前に、ただいま、今期限りでご勇退されるというお話をお聞きいたしまして、私といたしましては、残念であり、少し寂しい思いがしております。大橋議員におかれましては、昭和四二年八月一〇日、向日町議会議員初当選以来、一一期四四年という大変長きにわたり、市民の福祉向上のため、そして、向日市の発展のため、並々ならぬご尽力を賜り、心から深く敬意と感謝を申し上げる次第でございます。ご苦労さまでございました。そしてありがとうございました。

 それでは、ご質問にお答えをさせていただきます。(略)ご高齢の方や小さいお子さんをお持ちの方、次の世代を担っていく若者たち、多くの方々がおられ、それぞれが違った考え方、意見をお持ちであります。それらの方々、お一人お一人の考え方や意見をすべて市政に取り入れていくことはできませんが、さまざまな考え方や意見を持った方々と手を携え、協力し合っていくことで、市民の皆様にとって、よりよいまちを築いていくことができると考えております。

 今回の厳しい市長選挙の結果、私が引き続き市政を担わせていただくことになりましたが、市民の皆様のために、向日市の明るい未来のために、今まで以上に多くの方の声に耳を傾け、広い視野、柔軟な考え方を持って、市政に取り組んでまいりたいと考えております。
 大橋議員におかれましては、今後とも向日市のため、大所高所からご指導、ご鞭撻いただきますようお願いを申し上げます。

 

(大橋議員登壇)再質問ではありません。一言お礼を申し上げます。市民のみなさん、また議長はじめ議員のみなさん、そして市幹部のみなさん、市職員のみなさん、本当に長い間いろいろお世話になりました。ありがとうございました。(拍手) 

          


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