大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

 朝鮮と大韓帝国が亡国に向かっていく最後の30年ほど(1876~1910)の歴史を省みるとき、必然的に向き合うことになる質問は、日本がいつから朝鮮半島を飲み込むという「野心」を抱くようになったのかだ。

2024-08-14 | 東アジアの文化と歴史を学ぶ会
 

野心をあらわにした日本

「日本の『利益線』の焦点は朝鮮」

登録:2024-08-12 22:42 修正:2024-08-13 08:38

 

キル・ユンヒョンの朝鮮の分かれ目_08 
 
福沢諭吉は1885年3月16日、近隣に支那(中国)と朝鮮があるという事実を日本の「不幸」と評し、「隣国の開明を待ってともにアジアを興す猶予はない」と宣言した。朝鮮に事変が起きた場合、軍事力で清を制圧した後、「朝鮮独立」という虚名を掲げて朝鮮半島を飲み込もうとするものだった。
 
 
山県有朋(1838~1922)は明治維新を主導した長州藩(現山口県)出身の人物で、当時の陸軍の最高実力者だった。1889年12月に日本の第3代総理大臣になった彼は「我邦利益線ノ焦点ハ実ニ朝鮮ニ在リ」と主張した=日本国立国会図書館//ハンギョレ新聞社

 朝鮮と大韓帝国が亡国に向かっていく最後の30年ほど(1876~1910)の歴史を省みるとき、必然的に向き合うことになる質問は、日本がいつから朝鮮半島を飲み込むという「野心」を抱くようになったのかだ。これについては様々な見解があるだろうが、1876年2月の朝日修好条規(江華島条約)の後、日本の為政者たちが初めて感じるようになった感情は、「野心」というよりは、あの国のために大きな災いを被ることになりうるという「不安」だった。

 その決定的な契機は1882年7月の壬午軍乱だった。明治時代の日本が生んだ天才の一人である参事院議官の井上毅(1844~1895)は、壬午軍乱直後の9月17日に『朝鮮政略』と題する意見案で「朝鮮ノ事ハ賂来東洋交際政略ノ一大問題トナリテ二三大国ノ間ニ或ハ此国ノ為ニ戦争ヲ開クベシ」と見通した。この不安は、2年後の甲申政変を通じて改めて確認される。朝鮮をこのまま放置していては、遠からず清やロシアと一戦を交えることになりかねなかった。そのような意味で朝鮮は、明治維新(1868)を成功させた近代日本が初めて向き合うことになった深刻な「安全保障上の難題」だった。

 日本の為政者たちがこの問題で頭を痛めた根本的な理由は、軍事力が清やロシアに比べて脆弱だったためだった。専修大学の大谷正教授の著書『日清戦争』(2014)によると、日本は1873年に「国民徴兵令」を導入し、近代的な軍隊を組織しはじめた。ところが、壬午軍乱が勃発した1882年における陸軍の動員可能兵力は、常備兵1万8600人と予備役2万7600人を加えた4万5000人で、海軍の規模は24隻(総排水量2万7000トン)にすぎなかった。その反面、清は1880年に北洋大臣の李鴻章が率いていた淮軍(安徽省と合肥省の兵力)だけで10万人だった。1885年に就役することになるドイツ製の7000トン級戦艦の定遠と鎮遠を備えた北洋海軍の威容も凄まじかった。日本はやむをえず、1882年10~12月ごろ、「東洋平和という大局的観点から、当面は(朝鮮に対して)消極政策を取る」ことを決める。「対決」ではなく「協力」という枠組みのなかで、朝鮮の自主独立を達成していくことを決意したのだ。

 しかし、清と協力して朝鮮の自主独立を実現するということは、同時達成が不可能な矛盾した目標であった。この難題を克服するために井上は朝鮮政略で、清と日本が米国・英国・ドイツの3カ国と協力して朝鮮を「永久中立国」にするという妙案を出す。朝鮮が中立国になれば、清と日本との関係を保全しながらも、朝鮮を自主国にすることができるというわけだ。井上はこれを通じてロシアをけん制し、東洋の均勢(勢力均衡)を維持するなどして「東洋ノ政略ニ於テ稍安全ノ道ヲ得ル者トス」と考えた。

 これは井上だけの考えではなかった。当時の朝鮮で外国語や国際法などに最も詳しかった兪吉濬(ユ・ギルジュン、1856~1914)も同じ考えだった。兪吉濬もまた1885年に出した『中立論』という文章で、朝鮮は「地理的にみるならば、アジアの咽喉に位置しており、欧州のベルギーと同じだ」として、朝鮮が「アジアの中立国になることは、まさにロシアを防ぐ大機であり、アジアの大国が互いに保全できる政略になりうる」と主張した。朝鮮と日本の二人の要人が、極東の地政学的な要衝地に位置する朝鮮が独立してこそ「勢力均衡」と「東洋平和」が維持されるとして、「朝鮮を中立国にしよう」という意見を提示したのだ。

 
 
朝鮮初の日米への留学生だった兪吉濬(1856~1914)は甲申政変(1884)直後に帰国し、金玉均ら急進開化派に近かったという理由で1892年ごろまで軟禁された。日本の力を借りて朝鮮を大きく変えようとした甲午改革の主役になる=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 この構想が実現されるためには、二つの大きな障害を越えなければならなかった。一つ目は朝鮮が中立国になれるほどの「実力」を備える必要があるということだった。朝鮮中立論が出てきた時期は、清と日本の妥協で朝鮮半島情勢が比較的安定した期間(1885~1894、天津条約から日清戦争までの10年)と重なる。朝鮮が自力で改革を試みることができた事実上「最後のチャンス」だった。高麗大学経済学部のイ・ホンチャン教授の研究によると、1900年代の日本の国内総生産(GDP)は朝鮮の5倍、財政規模は50倍だった。朝鮮の経済力は日本の5分の1の水準だが、財政規模は50分の1にすぎなかったという意味だ。国家が税金を適切に徴収して国家の発展に投じられるよう、貨幣・税制・財政・金融改革を急がなければならなかった。

 もちろん、大規模な内政改革を推進した経験と能力がなかった朝鮮にとっては、容易ではない挑戦だった。これよりさらに大きな問題は「政治的意志」だった。清と日本の協力体制が稼動して国際情勢が安定し、高宗と閔氏一族はついに望んだ平和を得ることになる。彼らは国に資金がないため悪貨(当五銭)を鋳造し、破廉恥な官職売買を日常的に行いながらも、当人たちの「既得権」が保障される現実に安住した。自分の理解に反する改革は試みさえしなかった。これをみていた黄玹(ファン・ヒョン)は、著書『梧下記聞』に「様々に疲弊した政治はすべて10年以内に増えたものであり、(当時の実力者の)泳駿(閔泳駿(ミン・ヨンジュン)、後に閔泳徽(ミン・ヨンフィ)に改名、1852~1935)が国政を左右するに至り、さらに深刻になった」として、王室の贅沢、官職売買、閔氏一族の腐敗を一つひとつ告発した。

 二つ目の障害は、宗主国を自認する清の反対だった。その後の歴史が示すように、清は「最後の属邦」である朝鮮を手放すつもりはまったくなかった。これをよく知っていた「現実主義者」である兪吉濬は『中立論』で「一貫した方略は中国にかかっている」として、「わが政府がこれを要請するよう切実に望む」と記した。しかし、朝鮮は要請しなかったし、中国も受け入れる意思はなかった。最終的にこの時期の中立論は、単なる構想に終わってしまった。

 朝鮮の中立国化が現実的でないのであれば、日本に残された選択肢は「軍備拡張」しかなかった。井上の『朝鮮政略』が出る1カ月前の1882年8月15日、山県有朋参議(参謀本部長兼任)は『陸海軍拡張に関する財政上申』という文書を閣議に提出した。山県は日本の戦力が清に劣っているとして、軍艦は48隻に、陸軍の常備兵力は4万人に増やす必要があると主張した。これにあわせて大山巌陸軍卿と川村純義海軍卿は、1883年から1890年までの8年間に推進する軍備拡張計画を提出した。その後日本は、酒税とタバコ税の増税を通じて軍事力を猛烈に増強していった。その結果、日清戦争が勃発する直前の海軍戦力(総排水量5万9100トン)は清の北洋艦隊(8万5000トン)にほぼ追いつき、陸軍も7個師団(1893年改正の戦時編成により、1師団の平時定員は9199人、戦時定員は1万8000人)を基軸とする強軍に生まれ変わった。

 
 
朝鮮を中立国にすべきという意見を初めて出した人物は明治時代の日本が生んだ天才の一人である井上毅(1844~1895)だった。彼は1882年の『朝鮮政略』で朝鮮をベルギーやスイスのような永世中立国にすべきだと主張した=日本国会国立図書館//ハンギョレ新聞社

 生まれ変わった日本の姿は、8年前に軍備拡張を主張した山県による1890年12月6日の施政方針演説で劇的に示された。山県はこの日、日本のその後の安全保障政策に重大な影響を与えることになる「利益線」という概念を提示する。「国家の独立と自衛の方法には二つある。一つ目は主権線を守護することで、二つ目は利益線を保護することだ。主権線とは国家の領土を指し、利益線とは主権線の安危と密接な関係を持つ地域を指す。列国の間で国家の独立を維持するためには、主権線だけを防衛するのでは十分ではなく、必ず利益線を保護しなければならない」

 山県はこの日、日本の利益線がどこなのかは述べなかったが、同年3月に出した『外交政略論』では「我邦利益線ノ焦点ハ実ニ朝鮮ニ在リ」と明確に示した。また、利益線を防衛するためには、時には「強力(軍事力)を用いる」しかなく、シベリア鉄道完成の暁には朝鮮は多事になるとして、清と日本がロシアに対抗するためには、朝鮮で同時に軍の撤収を決めた天津条約を廃棄する必要があると述べた。

 山県は朝鮮独立という名目と清との協力の必要性を否定してはいないが、金玉均(キム・オッキュン)を支援した思想家の福沢諭吉の考えは違った。福沢は「時事新報」1885年3月16日付の紙面に掲載した「脱亜論」という無記名の社説で、近隣に支那(中国)と朝鮮があるという事実を日本の「不幸」と評し、「隣国の開明を待ってともにアジアを興す猶予はない」とする絶交宣言をする。周辺国に対するこのような蔑視が社会内に根をおろしていたならば、朝鮮に異変が起きた場合、日本は「軍事力」で清を制圧した後、「朝鮮独立」という虚名を掲げて朝鮮半島を飲み込もうとする状態だったことだろう。日本がそのような考えを固めるころ、1894年初頭、全羅道古阜(コブ)で農民反乱が起きたという知らせが伝わってきた。日清戦争が始まろうとしていた。

 
//ハンギョレ新聞社

キル・ユンヒョン|論説委員。大学で政治外交を学ぶ。東京特派員、統一外交チーム長、国際部長を務め、日帝時代史、韓日の歴史問題、朝鮮半島をめぐる国際秩序の変化などに関する記事を書いた。著書は『私は朝鮮人カミカゼだ』『安倍とは誰か』『新冷戦韓日戦』(以上、未邦訳)『1945年、26日間の独立―韓国建国に隠された左右対立悲史』(吉永憲史訳、ハガツサ刊)などがあり、『「共生」を求めて』(田中宏著)『日朝交渉30年史』(和田春樹著)などを翻訳した。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次期戦闘機の開発を受注したのは三菱重工です。同社が2022年までの10年間に自民党の政治資金団体「国民政治協会」に献金した額は3億2700万円。一方、防衛省の中央調達・・・

2024-08-14 | 自民党の法律違反の金権腐敗

2024年8月14日(水)

追及 自民裏金事件

軍需産業の献金 巨額受注で還流

 安倍政権から岸田政権へと続く大軍拡の推進によって、武器などを受注する軍需産業が空前の利益を得ています。自民党への巨額の献金が、その何倍もの受注となって還流する―。自民党と軍需産業の癒着の構造があります。

 通常国会では、英国・イタリアとの次期戦闘機の共同開発・生産、第三国への輸出を推進する政府間機関「GIGO」を設立する条約が自民党などの賛成で承認されました。

兵器の開発も

 次期戦闘機の開発を受注したのは三菱重工です。同社が2022年までの10年間に自民党の政治資金団体「国民政治協会」に献金した額は3億2700万円。一方、防衛省の中央調達(武器や燃料などの購入)の契約額は過去10年(14~23年度)で4兆4843億円にも上ります。

 同社は、岸田政権が安保3文書に基づいて導入を進める敵基地攻撃能力保有に関する兵器の開発も引き受けています。12式地対艦誘導弾、島しょ防衛用高速滑空弾、極超音速誘導弾、潜水艦発射型誘導弾といったミサイルなどを大量受注しています。

 次期戦闘機の開発には、IHIと三菱電機も参画。自民党への献金は過去10年でIHIが1億円、三菱電機が1・9億円です。両社は過去10年の中央調達受注額トップ10(表)に入っています。これらの軍需産業は防衛省・自衛隊から天下りを受け入れています。カネと人、利権と癒着がはびこっています。

国民増税狙う

 ビジネスチャンス拡大を狙う軍需産業は、自民党政治を動かしてきました。22年4月に経団連が出した「防衛計画の大綱に向けた提言」は、「防衛産業基盤の整備・強靱(きょうじん)化に資する政策を体系的に実施すると表明する必要がある」と強調。政府が主導する武器輸出体制の強化を要求しました。

 同年12月に閣議決定された安保3文書の一つ「国家防衛戦略」では「必要に応じた企業支援を行うこと等により、官民一体となって防衛装備移転を進める」と軍需産業支援を表明。23年には軍拡財源法はじめ軍需産業支援法、防衛装備品基盤強化法などが次々成立し、早くも要求が反映されます。

 さらに、今年の通常国会では、兵器の共同開発を推進するために民間企業でも同盟国・同志国と同等の秘密保全体制を整備する経済秘密保護法が成立。海外での受注機会の拡大を狙う軍需産業側の要求が背景にありました。

 同法で秘密を扱う資格者を認定する「セキュリティー・クリアランス(適性評価)」制度の対象を民間労働者に拡大することについて、経団連は「セキュリティー・クリアランスは、企業が国際共同研究開発等に参加する機会を拡大することにも資する」とし、同法の早期成立を要求していました。

 今年2月、防衛省が設置した安保3文書に基づく大軍拡を推進するための「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」で、座長の榊原定征経団連元会長が軍事費について「見直しをタブーとせず」として、さらなる増額に言及。同会議のメンバーには三菱重工の宮永俊一会長も加わっています。大軍拡による受注で利益を得る企業が、軍事費増額の議論をするメンバーという異常さです。

 軍需産業がばく大な利益をあげる大軍拡の財源確保には国民への増税が狙われます。政治のゆがみが極まっています。

防衛省中央調達トップ10社の契約額、天下り受け入れ人数、自民党への企業・団体献金
  受注企業 中央調達 契約額(2014~23年度) 天下り人数(2013~22年度) 自民党への企業・団体献金(2013~22年)
三菱重工 4兆4843億円 33 3億2700万円
川崎重工 1兆9724億円 29 2950万円
日本電気 1兆1137億円 42 1億5300万円
三菱電機 1兆581億円 37 1億9100万円
富士通 7564億円 21 1億4800万円
東芝インフラシステムズ(※2016年度以前「東芝」) 5341億円 32 5700万円
IHI 4873億円 24 1億円
小松製作所 2670億円 8000万円
日立製作所 2660億円 12 3億6750万円
10 日本製鋼所 1971億円 (※加盟する「日本鉄鋼連盟」による献金・6億6000万円)
防衛省資料、政治資金収支報告書などから作成。自民党への献金は政治資金団体「国民政治協会」に対するもの。天下りは防衛省・自衛隊から。本省課長相当以上、自衛官1佐以上を対象
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする