柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

五輪

2024-08-13 08:25:02 | Weblog

パリ五輪が終わりました。金メダル獲得数が米中に次いでの3位だと、どの新聞も大賞賛です。つまり思いもよらぬ好結果だったと。柔道が全然でしたがその分レスリングが量産して。そうか、ロシアが出てないのか。ここで改めて気づくことです、昔で言う東欧ソ連です。ソ連と東ドイツはステートアマと呼んで、西側諸国と比べてそもそも環境が違うんだからと負け惜しみを言うてたくらい多くのメダルをかっさらってましたね。女子選手の隆々たる体格は記憶に新しいです、ドーピングも国ぐるみで。相変わらずのドーピングとウクライナ侵略とでIOCから撥かれてますが、代わりに中国です。正真正銘のステートアマ。髪の長い女子選手がいないですからね、これも気持ちの悪い事。同調圧力が強い(あるいははっきり禁じられているのか)んでしょうねぇ以前の高校野球の丸刈りのように。北朝鮮みたいに勝ってこないと罰せられるんでしょうか。と、昔話でしたが、今朝の朝日新聞に「不出場という代償」というテーマで識者が語ってます(耕論8/13)。体操女子の19歳主将が喫煙飲酒の咎で出場辞退したという事件です。せっかくの五輪を喫煙飲酒で棒に振った、その代償は大きかったねぇという表現です。以前にもこの話題で記事が載りました、その時も柔道の元メダリストの溝口さんがインタビューを受けていたと記憶してますが、五輪代表になるまでの苦労や鍛錬を考えるにいきなりレッドカードは厳しい、もっと段階があってもよかったと言うてます。スポーツライターの肩書の谷口さんは米国の制度と比較しての論で、今回のケースは選手と協会が話し合って五輪出場を辞退したという形をとっているが、これでは選手が不服を申し立てられない、いかにも日本的で代償に対する責任の所在があいまいになっていると言います。もう一人スポーツ倫理教育研究者という安永さんは、これも前回の記事にも出てきたスポーツ・インテグリティー(高潔性)という概念を持ち出して日本ではドーピング、八百長賭博、未成年飲酒について、就中ドーピングについて偏重してきた傾向がある。一方で暴力やセクハラ、外人への差別偏見は許容しがちだったと言い、高潔さの理想像を追い求めるだけではなく、困難に直面した選手のリスクマネージメントの強化が大事だと「なぁんだ」の抽象論でした。スポーツライターさんが言う通り、あれは辞退じゃなくて更迭クビですね実際の所。協会のメンツを立てた、あとあと面倒が起こらないように本人が辞退したという形式を採ったんですよね。前にここでも書いたことでしたが、そもそも大会直前になってどうしてこんな問題が湧いてきたのか、それはきっと(もちろん推測です)彼女の喫煙飲酒が常態だったから、目に余ることだったから、だからチクられたということでしょう。協会が知らぬはずもないことで、看過していた咎まで探られては困るという仕儀だったと勘ぐります(きっとそうでしょう)。インテグリティーなんて横文字を掲げてわかったような、正したような気になる学者たちの現実離れは措いても、スポーツなんては他人より体格の優れた者、他人より速く走れる者泳げる者登れる者、他人より腕力のある者技量の優れた者が勝つ競技なのです、皆そこを鍛えてくるのです。インテグリティーだ?どんな田舎のどのスポーツのチームにも「あいつうまいんだけど・・」というのがいるはずです。でも試合に出るのはそいつで。技量に劣るものは黙って見ているしかない。技量に優れた者が人格者である要はないはずですね。でもインテグリティーなんて枠をかける。多様性ってのはどこに行ったんです?識者たちの当たり障りのない「常識なぞり」「PCなぞり」を読むたびにやれやれではあります。彼女が今後どうするのか、そんなことは誰も与り知らぬことですが、あなたが五輪の代表でなければ、競技に優れてなければ、酒を飲もうがタバコを吸おうが誰もこんなに咎めなかったことは確かなことでしたね。重罪を犯したわけでも何でもないあなたを、あなた以外の誰もがそう慰めることでしょう。

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