柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

不知

2024-08-12 10:10:05 | Weblog

宮本常一をご存知でしょう。当地周防大島の出身で柳田国男や折口信夫に並び称される民俗学の巨頭です。どの読み物が端緒だったかは忘れましたが、この人の大島の昔話を何かで読んで、もともと地方の昔話に惹かれる性質(例えば小泉八雲と遠野物語とか)だったものでこの人が大島の出身だとはつゆ知らぬままに孫引きで本を集めて一時はまって多く読みました。土佐源氏は有名です、誰かが一人芝居で採り上げてることも知りました(こちらも有名だとのことです)。初めて読んだ時に引き込まれたこと覚えてます。長い物語ではないですが一気に読むというヤツです。情景がありありと目の前に浮かびます。それこそ昔の日本の原風景です、白黒映画をみているようにです。で、その土佐源氏、私が知らぬだけで業界では周知の事実なのかもしれませんが、「実は創作だった」との記事が載ってました(毎日8/10 喫水線)。少々の「盛り」や脚色はあるはずです。司馬遼太郎の一連の歴史モノがそうですからね、読み手は史実と思ってますがあれは小説ですから。そこを更に抉るとは何か新しい発見があったのか。記事にはあの話には実在したモデルがいて、かなりの作者の脚色が施されているのだと。主人公は博労崩れの乞食との設定だが実は違うのだと。それで親族から抗議があったこともあると。ということはこれは知る人ぞ知る、業界では周知の裏話なのでしょうね。へぇ、そうなのかぁ。さらに記事は、この話には原作本、元ネタがあったと続きます。その名も「土佐乞食のいろざんげ」。そのままじゃないですか。こりゃ読みたいと思ってすぐにアマゾンで調べましたがあるにはあるのですが稀覯本扱いです、そうかぁ残念。この記事の著者(井上英介)は、創作を加えることにより単なる民俗資料を越えた永遠の輝きを与えていると何だかよくわからない結論で、実はこの有名な一編はパクリなんだと暴き難じている切っ先を誤魔化してますが、民俗学の定義の問題になるのでしょうか。単なる民俗資料の羅列、宮本常一は故郷大島の風俗慣習農耕漁業に関する膨大な資料も書籍で残してますが、データの羅列では誰も読まないですわね、研究者を除けば。そこについては記事の著者は「人の奥底の心情に肉薄するとき、文学性を帯びざるを得ない」とまたまたかなりのこじつけ牽強付会調にパクリを擁護します。そんなことどちらでもいいじゃないかと思いますがね。京極夏彦や夢枕獏の小説とは読む側も一線引いてますよね。でも、この手の暴露モノはやはり興ざめではあります。知らんでもよかったなぁと。

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