柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

言葉

2019-09-15 09:53:57 | Weblog
マラソンの五輪選考一発勝負の最中です。男は設楽が独走、もう一人は服部か大迫かという大方の予想通りになってます、まだ中間点過ぎですが。女は鈴木、松田が本命だとの通説です、松田が遅れてます。福士はいつまでも元気ですねぇ感心します。NHKとTBSがダブルで中継してます。あっちこっちにチャンネル替えてますが、TBSに替えるといつもCMで、ああ、NHKと違う。このくそ暑い時期に、と思うことですが、本番はもっと暑い中でしょうしね。夏のマラソン。いいんですかねぇ。
 朝日の日曜コラム、今日は言葉の話です。ヒトラーの演説を引いて大衆に対する言葉の力の強さを示して、トランプのあの非白人女性議員たちに対する言葉を批判します。米国にいるのが嫌なら出て行ったらどうか。何度も報道されましたね、それに対して4人が雁首揃えて反論もしてました。が、トランプさんは You can leave. と言うてましたね。文脈上のニュアンスはわかりませんが、直訳すれば「出ていけ」じゃないですね、出ていかれればいいという感じでしょう。出て行ったらどうか、とはちと違うと思うことです、微妙なニュアンスと言えばそうなんでしょうが。で、これを引いておいて、現在は世界中で「市民」という言葉が弱弱しくなり「国民」が幅を利かせていると続け、辺野古の基地反対運動を市民的抵抗と定義して、これを国家権力になり代わったように叩く言動が後を絶たないと、いつもの朝日思考です。市民、国民、大衆を区別して、市民に自由公平平等のイメージ、国民に国家の色を付け、大衆は都合のいいように使い分ける。市民がどれだけ上等なのか知りませんが、彼らの理想とする世界市民なんてありえないことなのにというそもそも論です。国、国家、国民が嫌いなんですね、市民という無味無色の集団にしたい。原子化するという表現もありました。文化、伝統、言語、慣習、思考を同じくする集団を嫌うわけです。ナショナリズムという言葉に過剰反応する、すぐに軍国化とつなぐ、中韓のように。愛国を嫌う、あくまで無味無色の集団を指向する。こうやって誘導するわけですね。朝日は朝日ですやはり。最後にいい文章教えてくれました。歴史は繰り返さないが、韻を踏む。歴史は繰り返す、がよく聞くフレーズです。賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ、これもよく見ます。つまり人の世の中だ、時代を上り下りしても考えることに大差ないということです。山本夏彦翁の有名な言葉です、ヒトの思考はローマ春秋で終わっている。だから繰り返す。だからそこに学べ。自分の成功体験やその逆に囚われてはならぬ。格言の意味は分かっているつもりですが、なかなかに、です。朝日色はさておき(措いてませんが)、言葉の力、就中話し言葉の影響力の強さはトランプさんが実証してくれてます、ヒトラーまで遡らずとも。こういう立場にいる人を羨ましく思います。
 
コメント
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