柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

終戦

2019-08-15 08:24:46 | Weblog
台風の接近を受けてJRは新幹線のみならず在来線の終日運休を前日早々に決定しました(山陽線です)。休校通知も最近は早いですよね。そのため空振りも結構あるのですが、子供は喜ぶでしょうし、教員もあれこれの心配がなくなって大した実害のないことがわかったもんですから、当初はおそるおそるだったのが平気になってます。JRは年に何回かの稼ぎ時の運休は大減収でしょうが、そんなことより世間様の批判が怖い、被害の出た日にはその補償の方が高くつく、払い戻しの方が安くつくのコスト判断でしょう。世の中は安直に流れていきます。これを安全優先と評価するのでしょうが、風速や台風規模を基準にしたマニュアルができて迷うことなく(その場での判断せずともいいわけです)中止通知を出すようになるのですね。もちろん歓迎する向きは多いのでしょう、予定が立ちますからね。その日その場での判断待ち、雨の日の運動会とか遠足とかの連絡網(こんなのが未だにあるのかどうかは知りません)、休校か否かの連絡待ちは面倒なことですから。それもこれも今までの被害の経験と、気象予報能力の向上に伴う利点とに負うことですが、早々に運休や中止の通知が出てくるとううむとトンガリは思ってしまうというわけです。世の中はこうやって変わってくるということです、ヒトは自分の経験と違う応対に出会うと「昔はこうだった」と抵抗するもんだということです。その昔話側に自分もいるということでした。
 今日終戦記念日です。終戦ではない、敗戦だ。このごまかしからあの戦争の総括をせずにうやむやに過ごしてきた戦後政治の間違いが始まっているという論を読んだことがあります。それはさて措き、戦争を知らない新天皇陛下のデビューです。ジローズの、杉田二郎の、北山修作詞のあの歌ではないですが、戦後74年で世代交代の感です。何を話すんでしょうかね。いえ、慰霊と平和希求の内容の他にないわけですが、戦争を知らない世代(私もそうですし、もうその世代が大勢を占めます)としてあの戦争をどう話すか。興味があることではあります。私の両親は昭和一桁生まれで戦争を知ってます、が、京都に住んでいましたので疎開の経験、母は滋賀県の疎開先で機銃掃射を受けたことを聞かせてくれましたが、主要都市のような爆撃焼け出されは免れたこともあってか戦争の話を特別に聞かせてくれたことはないのです。当地柳井も爆撃は受けてませんが、隣町の光(海軍工廠がありました)岩国(ここも軍港でした)へ学徒動員していた中学生女学校生が終戦前日に大爆撃を受けて多く亡くなったという悲劇が語り継がれています。と、私の世代(還暦過ぎ)ですらこの程度の認識です。現天皇陛下は私より3歳下です。戦争を知らない子供たちが大のおとなになり、爺婆になっているのです。戦争(いくさ)の実体験のあるなしを強調してのその後の統治論をいくつか見ます、曰く明治の元勲たち、その後の日清日露の役、それに勝利した成功体験に頼り過ぎた大東亜戦争の悲劇。市民が巻き込まれる近代戦の、市民としての経験のあるなしも大きいことでしょう。平成天皇はお世継だったのですから一般人の生活などはご存じないにせよあの時代をくぐって来られた。今上天皇の昭和天皇、平成天皇(上皇様)との大なる違いです。どう話されるか。興味のあることです。
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