柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

同窓

2019-08-12 09:28:53 | Weblog
昨日母校の同窓会総会に出席しました。毎夏の恒例なのですが、歳をとるに従い重みというか面白さを感じることです。若い時には頭の片隅にもなかった会です、呼ばれもしないし、呼ばれたところで爺さん婆さんたちの集まりに後輩として出ていく面倒さは足を鈍らせたことでしょう。おそらくその通りを今の若い衆は感じていましょうので、本学だけではなく東京関西や広島等の支部会で幹部になった年寄りたちが自分たちがどうだったかをすっかり棚に上げて常に懸案事項に上げている参会者をいかに増やすか、就中若手の招集をどうするか問題が永遠の未解決であるわけです。年を重ねてきてやっとわかる面白さであれば、年寄りばかりの会になるは必定です。何かの義務や誘いで出席することをきっかけに次回もそのまた次回もと参会を続ける、自分も年寄りのうちに含まれていることに気づかぬうちに。でも、それで十分なわけです。こういう会なのだと参会してわかるのですから。どうせ排他的な、自分たちは特別だと褒め合ってる会なんだろう?、気持ちの悪い、との論もありましょう。が、そういう会なのです、同窓生の集まりなんですから。思わぬ人を見つけてああ同窓ですか!と驚く場面、日頃付き合いのある人達とは更に一層交誼を深める場、楽しみは多くあるのですが、やはり居心地の良さですかね。たった3年間同じ高校に通ったことのみことを共通点としている者達の集まりです。この感覚は不思議と言えば不思議ですが、同一感同朋感のもたらす特殊な気持ちなのでしょう。確かにこれほど排他的な集まりはないのでしょう。とはいえ、他校出身の人達が来たいと思う会でもないです。派手になり盛会になれば他との比較論にはなりますがそれだけです。どこにも実害は及びません、参会者が面白がるだけです。自分のアイデンティティーを確認する、なんては大仰ですが、先輩後輩と改めて付き合いを深めるよい機会には違いありません。この会の守るべき原則はただ一つです、長幼の序。先輩を立てる。これより前はなし、後にもなしです。高齢の先輩をリスペクトする。この思いさえあればまこと楽しい会ではあります。もっとも一人で行くとなかなか厳しいことでしょう、同級生や他同窓生と連れだって参会されればいい。私と同じような思いになられるはずです。お勧めします。あなたの高校の同窓会はいつですか?
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