柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

実験

2019-04-14 10:39:38 | Weblog
昨日のコンビニ論、舌足らずでした(拙文のなせる結果ですが)。少し継ぎます。24時間営業に対する評価(前提)が固定し過ぎてると言いたいのでした。生命線なんて言えば必要不可欠だとの危機感をあおるばかりです。実はそうでもないのでしょうが、営業時間を短縮すればもちろんそれだけの収入減になるわけでそこを恐れるあまりにやめられない(もちろんフランチャイズ契約に違反する、違約金とかの縛りも大きいでしょう)。今朝のサンモニでも大宅女史が、24時間営業は消費者を掘り起こした画期的なビジネスの成功モデルだと前提してました。こう持ち上げるからやめられない。こういう流れが出来てます。抗えない。街行く人にマイクを向ければ困りますぅなんて言うに違いないし。コンビニの24時間営業がどんな田舎に行っても普通になったからわかる事実側面を言いたいのでした。当初は深夜の需要を見込んでの実験で、それが大当たりしてローソン、ファミマ、ポプラ等々追随する企業が競合して現在があるのですが、それがいつか惰性化して「開いてるから行く」に変わってると。いえ、それも需要に違いないじゃないかとの意見は肯ぜます。だから開けるというのも順当な理屈と思います。循環論です。どうして24時間開けるんですか?お客さんが来るから。お客さんはどうして深夜にお店に行くんですか?店が開いてるから。この謂いでゆくなら7時11時とすればお客もそれに従うしかない。開いてる店がなくなった当初は不便でしょうが、なければないでそれに慣れるしかないのです。昔に戻るだけだなんて言うとアレルギー反応する人がおられましょうからそんなことは言わない。一旦手に入れた便利はなくせないもんです、携帯電話を今更なくせないが如し。でも、営業時間が文字通りの 7 to 11 になったらなったで、消費者はバカじゃなんですから11時までに買い物を済まそうとするだけでしょう。つまり、深夜の需要に見えているのは単に開いてるから行くという行動習慣、惰性行動の過大評価ではないかという嫌疑です。比較すれば以前の形に戻すということなのでしょうが、大規模な社会実験に思いますね。購買行動に係る大規模な社会学的経済学的実験。とは言え、全コンビニに強制などできないでしょう、大手がやめてもニッチを埋める業者は残りましょう。でもだからこその実験とも言えます。人々が深夜に開いてる店を求めて集まるようになるか、それとも客の行動が変わるか。人口減少という国家的問題の結果として生じた人手不足を契機とした問題提起でしたが、実は今後の我が国の社会モデルの再構成という壮大な実験になるのではないでしょうか。そして一旦手に入れた便利さから人々(大衆、民衆)は自ら離脱できるかの実験。是非少なくとも大手の何社は24時間営業をやめてみてもらいたいと思います。そう思われませんか。
コメント
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