長野の地震、一夜明けると大惨事。もちろんそれは報道を見るだけの私たち観衆の言うことで、当地の方々には大救出劇があったわけですが。まこと地震国ですね我が国は。改めて感じます。専門家が解説してました、歪みひずみが溜まってたそうです。そういう地域だったそうです。あの辺りは地震多発地域ですよね、海洋型じゃないです内陸で起きてますから、活断層型直下型ですね。プレート型じゃないですよね。でも解説してましたよ、海のプレートと陸のプレートがあの辺りで重なってるんだと。糸魚川と浜松だかの静岡のどこかを結ぶ日本を二つに分ける縦裂を社会の時間に習いましたが、あれと関連するんでしょうか。予知も予防もできぬとなれば如何に被害を少なくするかです。より安全な地域に移るがもっとも確実な方法と思いますがそうもいきません。今更に地震予知学会や気象庁を詰っても詮なきことです。天災は被るばかりです。被害をどう少なくするか。危機管理とかリスクヘッジとか地域力とか、あれこれ項立てしてそれが目的になってしまっている所へドカンです。具体的に動いているところへ災害は降り掛らぬという皮肉は世の常ですが、今回の被災地は日頃の対応がなされていたので死者なく人的被害は最小で経過したと朝日のニュースは伝えてます。結果論ですよねぇ。あんなに一階部分が押しつぶされるような倒壊してて下敷きにならなかったってのは単純に運でしょうに。それともあの地域は住居の建築方法に耐震の特別の工夫があるのでしょうか。いったん事が起こった後の対応、いわゆる初動です、これの早い遅い濃い薄いをマスコミは採り上げるわけですが、日頃の訓練や地域のつながりという方向です、明らかに都会の隣が誰やら知らぬ疎遠さ、地域力とやらの減弱衰退を非難嘆息しているのですが、これも結果論です、今回は住居があれだけ倒壊する大被害だけれども人的被害がなかった、その原因は何か?答えは、それほどの地震じゃなかったからですよね。地域力、じゃないでしょう?あの東北大地震の被害はあれだけ大きな地震だったからですよね。原発壊れたのは大津波が来たからでしょう。何かこういう直接の一番の因果関係をわざと閑却視する傾向が強いです。まるで天災は防げるような物言いに変わっていきます。防がなかったのは誰の所為だ?あの原発事故の責任を東電に求めるように、今回の地震も誰かの所為になりましょうか。地震学者?気象庁?町長?長野県?国?誰も近づけないような破壊であれば誰も助けられません。御嶽山は来春まで捜索中止ですよ、こんなことです。手が出せるから手を出せる。出せない所へは出せないのです。今回も(限りません、今までのどんな天災事故もどれもそうです)その大原則に沿うばかりです。そう斜に構えながらTV報道を見ています。
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