柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

拙速

2014-07-02 08:10:47 | Weblog
昨夕6時過ぎに始まった安倍さんの会見、見ました。国民の命と平和な暮らしを守るは総理大臣たる者の務めだと始まりました。トンガリにはこういうのはピタリと来ます、見入りました。会見の間、安倍さんはずっと顔を上げて原稿読まずに(プロンプターが前に会ったのかもしれませんが)話しかけてました。おお、立派なことで。そうでなければ伝わらないのですから。でも、その後に記者達の質問を受けて答える時にはずっと目を落としてまるで原稿を読むような態でした。国会答弁のように、予定質問に準備稿を読むように。ああ、あの場はそういう手続きだったのね、と鼻白む気分でもありました。想定質問への回答原稿だったのでしょうか、それとも。それにしても会見ではずっと顔を上げていたのに、質問には自分の言葉で応えられぬはおかしいことですなぁ。残念というか、ああいうところに肚の据わりが見えぬというか、やっぱりプロンプターかぁと思うことでもありました。人を動かすのは言葉です。直の生の言葉です。文字ではなく肉声です。だからTVの前でああいう会見するのでしょうからもっと上手に使えばいいのにと思いました。各朝刊はやんやの主張です。TVもずっと街の声(に擬しての主張)を流します。新聞も合わせて、反対論は(昨日もいくつか書きましたがそれに加えるところの)何故今なんだ?どうしてそんなに急ぐんだ?が多いですね。どうしてもっと国民の議論を深めない?野党議員達は、与党だけの少数議員による密室会議で決める乱暴を指摘し、国会での熟議を要請します。閣議の後に国会で採決でしょう?国会で審議されるんでしょう?説明が足りない、これも多いですね。国民への十分な周知、論議ってのが不可能だから議会民主主義なんでしょう?国会議員達こそが叱られて然るべき事態ですのに、連中は不平を鳴らすばかり。多数決至上が身に沁みている同じ穴の狢達ですから、自分からは知ろうとしない、それでいて聞いてないよ!と叫ぶばかりの街の声に「説明が足りない」と言わせるは、数の力の前に初めから諦めて反対のポーズだけをとっている、これは公明党も同じことですよ、議員達にはこれが処世術なのです。それを知ってるから今回の安倍さんの剛腕であるのでしたが、今こそが危険が溢れているという判断があればこそなのでしょう。何故今なんだ?なん呑気なこと言うてる時じゃないという判断でしょうに。そこはその場(外交の場)にいない我々にはわからぬことですから。そして立憲主義に反すること、つまり明白な憲法違反だという論議。国民が国家権力を縛る目的の憲法なのだ、政治家が憲法を恣意に解釈することを、恣意に国民を支配することを防ぐのが憲法なのだ、と。国が滅びてからでは、国が壊されてからでは遅いのですがね。これはどうして今なんだ?に繋がりますが、今こそ必要だという判断なんです。そこは素人が混ぜくる事項ではない筈ですがね。いかがですか?
コメント
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