柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

奈辺

2014-05-03 08:19:55 | Weblog
俺たちは猿だ。サッカー選手達のバナナ食いパフォーマンスがよほど気に入ったと見えます、マスコミが褒めます。いい反応だ、こうでなくちゃ調です。ううむ。いちいち歯を剥いて、あるいは涙ながらに猛反発するよりは、例えば投げ入れられたバナナを投げ返すとかマイク持って叫ぶ(出てきやがれこの野郎!ぶん殴ってやる!)とかよりはスマートですし、見ている方も気が楽です。嫌な気分にならずに済みます。だから褒める、こっちの方が聞きよいからですひとえに。長友の顔も見えて。一流選手の証明方法のひとつですか。成熟した反応とか表現されてますが、もちろん長い時間が過ぎて経験が積まれて、対応策も変化していくわけです、世論もこちらに傾いていきます、差別はいけないことになってます。図らずも、と言うかここを先途に、他人事として話せる好機と見て、NBAオーナーの黒人差別発言を採り上げて、オバマがマジックジョンソンが結構強い言葉で非難してましたね。こんなバカがまだいるんだ、こういう奴ら、こういう差別に俺たちは闘ってきたんだという吐露です。差別する側(白人)とされる側(黒人、黄色人、褐色人等白人以外)とにはっきり分かれての予定調和です。白人たちは行動自重を強いられているのですか?それは差別意識の存在、強さを前提として?白人以外は差別するなと言い続けるわけですね。白人対非白人の対立だけではないですね、黄色同士もエグイことですから、日中、日韓、他の東南アジア諸国民間の差別蔑視はそれこそ「前提」です。きっと黒人の亜系間にもあるんでしょうね。人の心の中の他の誰彼に対する優越感(それは劣等感の裏返し、自分より弱い者を見つける動機ですが)は本来固有の感覚だと言いたいのです。だからそのままでいいと主張するのではありませんが、どうしてなくならない?・・・と溜息つくのもおかしいことだと言いたいのです。文化の成熟度という評価ができるのでしょうが、この地球上にこれだけ肌の色の違う人間を造り賜うた大なる力(something great)の御意志や奈辺に。こういうことだと思われませんか。
コメント
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