柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

小春

2010-11-11 07:41:33 | Weblog
国会答弁です、菅さん、外交は満点とはいかないかもしれぬが歴史に耐えうる対応していると思っていると。歴史に耐えうる。後世の人々はわかってくれるだろうとの言い訳です。つまり今現在の評価を避けようとしてるわけです。何と姑息な。これこそがその場しのぎの言い訳、場当たり的な弁明でしょう。百論噴出するはどんな議題に於いても想定内のはず、就中口(言葉)で生きてる筈の政治家が逃げてどうするんしょうね。為政者は歴史の評価を受けねばら宿命だとは誰かのセリフでした(中曽根さんがよく言ってましたか)が、改めて口にせずとも後出しのじゃんけんでバッサリ斬られるのが政治家に限らず世の常です。後世の評価を基準にしているとは、まぁよくも言ったもんです。歴史は今作るものであって、後からは顧みるだけなのが歴史です。見栄えや体裁を調えるために今対応していると言わんばかりの発言です。がっかりしますね。本人はうまく逃げられたと思っているんでしょうが、いまだに現在の立ち位置を理解してないんでしょう、この根っからの野党体質の(文句言うだけの)左翼さんは。
 同じことが仙石さんにも言えるんですが、この人の答弁には人を小馬鹿にしたような、つまりこれが弁護士口調なのですが、本点をはぐらかすための手法が目立ちます。あなたの言っていることはこういうことか、あるいはああいうことか、といくつも項立てして、科学的論理的という衣を着せて逆に質問する、つまり質問されているのに答える前に小理屈並べる手口です。法律解釈にすり替えるんですね。そうなると向こうさんの土俵ですから、聞いてる方が弁護士とか石破さんとか、そういう呼吸をよくわかっている人ならいざ知らず、の結果に相成ります。この野郎!と怒ってしまうとそれはそれで向こうの思う壺にはまってしまう。法律を盾にする。法律をある時は拡大し、またある時は異様に狭く解釈する、その自在さにやられてるといった様相ですか。三百代言とはこの男のことを言うかと思うことです。国家という意識がないんでしょうね。国を守るという意識がない。この国を立て直そう、何とかしようという上向きの気持ちがない。何とかくぐり凌いで行くのみと姑息に固まってる首相と、法律の陰から出ようとしないNo2。人は法律見ながら生きてるんじゃないんです。ここぞの場面で必要なのは法律解釈じゃないんです、心意気です、強い言葉です。昼間の国会中継見ながら、どうしてちゃんと喋らないのかとほんとうにイライラします。こんな人達を押し上げ持ち上げたた皆さま、いかがお感じですか。それでもこの人達のシンパですか。ついていきますどこまでも、ですか、女房の小春のように。
コメント
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