柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

報道

2010-11-09 08:20:37 | Weblog
小沢さんが国会の招致を蹴りながら、インターネットの動画番組で1時間半も喋っていたという事態。昨日の委員会の場でも糾弾されてましたが、菅、仙石には鈴をつける勇気がないのか、その気がないのか(こっちでしょうが)のらりくらり逃げます。その小沢さんのコメントが新聞に載ってます、TVの編集が気に入らぬのだそうです。あの「切り取り」ですね。それは理解します。蓮舫さんがやられたアレです。でも国会は生中継なんだから、あなたの言葉そのままに伝わるじゃないですか、という話でしょうが、その後何度も流されるニュースには切り取られた言葉だけしか載りませんからね確かに。小沢さんから見れば切り取られたもの、つまり切り取る奴がいる。その編集者の頭の中が保障されない怖さですね。これは情報論一般に敷衍されます。情報の発信者がいて(事件を通報する者)、それを修飾伝搬する者がいて、受け取り手がいる。修飾する者の才能技量度量こそが情報の質を担保する最大の律速要素です。事件事態をそのまま伝えることもきっと難しいんでしょう、どうしても自分の感想が入り込むでしょうから。が、それに数倍して、加工修飾(切り取る、付け加える、つなぎ合わせる)作業する者の頭のできが情報の質を左右するわけですね。予断、思想、権力への阿り等々、目を晦ませる要素もまた多いことですから。そしてそうやって「ある者」の頭の中を通ってきた情報が、正しいものとして受け取り手にばら撒かれるのです、そしてそのほとんどの者はそのまま鵜呑みにします。だからマスコミが第四の権力となるわけです。自分の言ったこととは全く違うことが報道されている。本当によく聞くセリフですね。それを嫌うのもよくわかります、ずっとその対象になってきた人なれば心中察することもできます。その昔、佐藤栄作が退陣会見の時に新聞記者を排除してTVカメラの前でだけで喋ってたことがありましたね。でもそれでも、その後に何度も流れるニュース場面はきっちり編集されるわけです。情報の限界ですか。ベテラン記者やベテラン刑事の呟きのように、自分で見に行く以外に正しい情報はない、ですか。そこまで行くと、また極論を~と振り出しに戻るわけですね。ううむ。何が報道されているか、ではなくて、何が報道されていないのかを知るのが大切なのだ、との言葉があるそうですが、そりゃ無理だわ。ですよね。
コメント
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