柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

魔差

2010-04-30 08:14:13 | Weblog
スーパーで万引きしてそれを店の者に見つかって、そこの店長が悪で恐喝する、20万、50万と毟られたという記事です。どれほどパクッたのかと言えば、1900円の670円のだったそうです。こんなもんですわね。計画的に、組織的にやるのでなければ、目の前の品物一つ二つちょろまかすのが通常でしょう。で、小悪(性悪)に捕まる。犯罪ですからね、警察に突き出された方が実害が少ないのですが、そこはそれ法律的な罪の軽重ではなくて、風評体裁世間体です。そこにつけこまれる弱みがあって。これが社会通念なんですね。人の暮らし、社会生活は法律で規制されているんじゃなくて、その何重にも大きくて緩い(実は緩くはないのですが)社会の掟があるのです。道徳観念と言い換えましょうか。法律に書いてないこと、つまり法律では罰せられないけれどやってはいけないことはわんさかある、そこへの意識、日頃の怖れ(畏れ)、それが世間体という名の網であり、行動規範であるわけです。天網恢恢疎にして漏らさず、とはこういうシステムをいうのですね。違反しても罰せられるわけでもなく穴だらけの網に見えるけれど、誰かが見ている、社会から咎められる。天知る地知る我知る汝知る、です。法律に書いてないけれどやってはいけないこと、例えば狡いこと、卑怯なこと、裏切ることなんかがそうですね。人に迷惑かけることもそうです。法律でも罰せられますが、社会で生きていくうえで守らねばならぬ大原則は、人を傷つけてはならぬ、人のものを盗ってはならぬ、です。それはそのまま道徳観念ですね。規範意識ですか。人はこちらを咎められる方が効く、響く、性根が入るんでしょう。卑怯者呼ばわりされると人格否定されたような気になりますね。物盗りを相手にして、金なら呉れてやる、が、お前のその心根が気に入らぬ!なんてセリフが胸に響くのは誰にもそういう心の琴線をもっているからでしょう。その行為は法律違反です、なんて言われてもああそうですか、じゃぁこっちもそれなりに対応します、でいいわけですが、そんなことして恥ずかしくないのか?!と非難されるとグサっと刺さりますよね。そういう資質というか共通の反応様式があればこその社会の集団の安全維持なんでしょう。そしてそこを付け込まれて脅し取られる。悪はどこにでもいるんです。小悪はその何十倍も。魔が差す。さてさてそういう言い訳も甘いことだと思いますがね。いかがですか。
コメント (2)
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