柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

経験

2010-04-18 08:23:54 | Weblog
普天間基地移設問題、いよいよ捻じれてきました。というか、無責任に言いたいこと言ってただけなんですね選挙前に。自民党と違うこと言えばよかった、これは福島瑞穂に典型を見ますが、そういう気楽な立場、後出しじゃんけんしていればよかったわけです。沖縄を題材にした、戦後六十余年溜まりに溜まった沖縄県民の気持ちを利用しただけの、大向こう(本土選挙民)の同情心に訴えるだけの選挙対策だったのです。おいしいこと叫んでいたらよかったということでした。もちろんそのおかげで政権獲れたんですから、目的は達せられたということではあるのですが、挙げ句が徳之島では、徳之島島民だけでなく大向こうが納得しません。腹案なんて思わせぶりなこと言っておいて、こんな単純な「右から左」策しか打ち出せない為体。何でも人の所為にして文句ばかり言う、非難ばかりすることの容易さ、空虚さがあからさまになる思いがします。自民党が与党ボケなら、民主党は野党の能天気さが全然抜けない。というか左翼思想の嘘さが露わになっているというべきでしょう。堅い保守政権あればこそのリベラル。白有らばこその黒、黒有らばこその白。国を保つためにはどちらが要りますか。リベラル、革新、進歩的文化人たちは、昔ながらの文化を守り、もちろんそこには頑迷固陋、旧態依然、因循姑息、癒着、腐敗等々、それこそリベラル達が目を三角にして非難の槍玉に挙げる「淀み」が必要悪的に制度上の必然として存在しますが、あるときは個人を制限して社会、国家国益を優先してきた保守政権あらばこその存在であるわけです。一億総中流という時代が歴然として存在したわけです。資本主義の欠点を規制で補完(こう表現が適当かどうかは別問題ですが)して日本は大発展してきたのです、それを主導したのは、先日TVドラマにもなった国思う熱い官僚たちであり国益優先した保守政治家たちであったわけです。規制を取っ払うと新自由主義の台頭を許し、崩れに歯止めが利かなくなるのは小泉竹中改革の大失敗実験で明らかな通り。リベラルたちはそれぞれの会合、大は国会から小は学級会にいたるまで、少数存在して極端を防ぐ役割を果たせばそれでいいわけです。誰かに反対することしか知らない左翼さんたちには国を思う気持などなく、国を上向きに導くことなどできず、結果として亡国に突き進むしかないのです。その意思があろうが無かろうが、です。もっともこういうことは実際に政権交代しないといつまで経っても抽象的な概念で終わってましたから、リベラルたちの空っぽさを現実に認識できたことは国民のいい経験になっていることではありましょう。だから今こそ自民党なのですが、どうにも・・・。どこ行ったの?谷垣さん。
コメント
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