何年か前にソマリアの漁民が違法操業を非難したように、今同じ声がセネガルでも聞かれる(4月3日Guardian)
JOALの漁民らは外国漁船が活動を止めなければ、セネガルは銃もをった海賊たちにより商船を襲うソマリアのようになるという。しかし欧州や中国の乱獲による活動がソマリア漁民を海賊に導いたという証拠はあるだろうか?
ここにケニア根拠のソマリア人ジャーナリストの Mohamed Abshir Waldoが2009年に書いたものがある:
・・・海賊の起源は1992年にさかのぼる。Siad Barre政権の崩壊と ソマリア海軍と沿岸警備活動の崩壊がある。1974年から1986年にかけての厳しい干ばつにより何万人もの遊牧民が家畜を失い、彼らはその後ソマリカの海岸部に移住した。彼らは大規模な漁業集落を形成、その生計は沿岸漁業に頼っていた。ソマリア内戦の始まり(1991~1992年)から違法漁船が侵入、ソマリア水域での操業を、地元民のための12浬以内の水域でも開始した。密漁者らは地元民の漁場に侵入、イセエビや価値のある表層魚を獲り尽くすようになった・・・・・
Waldoはそのため漁民らは自らの防衛のため武器をとりある意味での警備隊となったという。またこの分析は北ソマリアのプントランドの暫定自治区の大統領Abdirahman Mohamed Faroleによるもので、この内容は彼が昨年のソマリア海賊に関するロンドン会議で語ったものである:
「ソマリア水域における外国漁船による暴挙がソマリア漁民の武装抵抗の引き金となった。彼らの生計は違法漁船団によって破壊されたからだ」と彼は発言。「外国漁船による貧しいソマリア漁民への身代金の支払いが、現在のようなレベルの海賊攻撃へのエスカレートをもたらした。その結果として違法操業者は地元の有力者と結びつき防御のために武装民兵を漁船にのせた。漁民が海賊となり武装していない商船を襲うようになった。非人間的に身代金とるために人質をとり国際航路を妨害するようになった」
また別人はことはそう簡単ではないという。東アフリカでは資源の濫用は、一部にはあっても暴力には直結しないという。昨年英国の防衛治安シンクタンクの英国国防治安研究所RUSIはソマリア海賊に関するジャーナルをまとめ上げた。それによれば「第2次世界大戦以降単一の最大の海事脅威であるとし、結果としてソマリアの沿岸のみならず政治的、地政学的、経済的かつ人間の安全保障上の側面も含め反響している」と。
またRUSIのベつの報告分によればウエールズの教授でありソマリア海賊に関する研究者であるStig Jarle Hansenは, 違法操業が海賊行為の根本的な原因として正当化されている、ソマリア海賊は沿岸警備隊の形として出発しソマリア漁業を守るためとするのは怪しげであると主張している。「海賊行為は利益追求が動機である。にもかかわらず、違法操業の話が海賊の地元での正当化に寄与している。海賊と戦うためにはこの考えを弱める必要がある」と述べている。
しかしながら、ソマリア漁民が述べた言葉とセネガル人漁民が現在いうことには明らかに共通性がある。モガジシオの100㎞南のMercaの漁民 Jeylani Shaykh AbdiがIRINに2006年位答えた言葉がある「彼らは我々から我々の魚を奪っただけではない、彼らは我々の漁業を止めさせようとした。いまや毎日のように彼らの船を見る。岸から数浬のところだ。彼らは我々の漁具を破壊し、我々の魚を獲る。夜陰に乗じて沿岸い入り込み、もし何も対策が取られなければ沿岸水域の魚は皆無となる」と。
またセネガルのJOALの漁民は先週、違法漁業者らがその漁獲を母船である工船に転載することでラウンダリング(洗浄)を行っていると指摘。「漁獲は10年前に比べてすでに75%減少した、外国船の漁獲が原因だ、彼らは漁具を破壊する。もしこれが続けば破滅だ。今に至るも我々は外国漁業者に対し何らの直接的行動をしてはいない。もしあの船の船長を捕まえることができたら我々は彼を叩きのめすだろう。「ここ10年人々は銃器を手に漁に出る。彼らは絶望的だ。人々が十分に飲食することができた時はセネガルは静かな国であった。状況は悪化している、ますますソマリアのようになってきている。我々は海で漁で生きている。もし食べることができなくなったら、何が起こると思うか?」
写真はソマリア北東部のHobyoで襲撃の前にボートを準備するソマリア海賊
JOALの漁民らは外国漁船が活動を止めなければ、セネガルは銃もをった海賊たちにより商船を襲うソマリアのようになるという。しかし欧州や中国の乱獲による活動がソマリア漁民を海賊に導いたという証拠はあるだろうか?
ここにケニア根拠のソマリア人ジャーナリストの Mohamed Abshir Waldoが2009年に書いたものがある:
・・・海賊の起源は1992年にさかのぼる。Siad Barre政権の崩壊と ソマリア海軍と沿岸警備活動の崩壊がある。1974年から1986年にかけての厳しい干ばつにより何万人もの遊牧民が家畜を失い、彼らはその後ソマリカの海岸部に移住した。彼らは大規模な漁業集落を形成、その生計は沿岸漁業に頼っていた。ソマリア内戦の始まり(1991~1992年)から違法漁船が侵入、ソマリア水域での操業を、地元民のための12浬以内の水域でも開始した。密漁者らは地元民の漁場に侵入、イセエビや価値のある表層魚を獲り尽くすようになった・・・・・
Waldoはそのため漁民らは自らの防衛のため武器をとりある意味での警備隊となったという。またこの分析は北ソマリアのプントランドの暫定自治区の大統領Abdirahman Mohamed Faroleによるもので、この内容は彼が昨年のソマリア海賊に関するロンドン会議で語ったものである:
「ソマリア水域における外国漁船による暴挙がソマリア漁民の武装抵抗の引き金となった。彼らの生計は違法漁船団によって破壊されたからだ」と彼は発言。「外国漁船による貧しいソマリア漁民への身代金の支払いが、現在のようなレベルの海賊攻撃へのエスカレートをもたらした。その結果として違法操業者は地元の有力者と結びつき防御のために武装民兵を漁船にのせた。漁民が海賊となり武装していない商船を襲うようになった。非人間的に身代金とるために人質をとり国際航路を妨害するようになった」
また別人はことはそう簡単ではないという。東アフリカでは資源の濫用は、一部にはあっても暴力には直結しないという。昨年英国の防衛治安シンクタンクの英国国防治安研究所RUSIはソマリア海賊に関するジャーナルをまとめ上げた。それによれば「第2次世界大戦以降単一の最大の海事脅威であるとし、結果としてソマリアの沿岸のみならず政治的、地政学的、経済的かつ人間の安全保障上の側面も含め反響している」と。
またRUSIのベつの報告分によればウエールズの教授でありソマリア海賊に関する研究者であるStig Jarle Hansenは, 違法操業が海賊行為の根本的な原因として正当化されている、ソマリア海賊は沿岸警備隊の形として出発しソマリア漁業を守るためとするのは怪しげであると主張している。「海賊行為は利益追求が動機である。にもかかわらず、違法操業の話が海賊の地元での正当化に寄与している。海賊と戦うためにはこの考えを弱める必要がある」と述べている。
しかしながら、ソマリア漁民が述べた言葉とセネガル人漁民が現在いうことには明らかに共通性がある。モガジシオの100㎞南のMercaの漁民 Jeylani Shaykh AbdiがIRINに2006年位答えた言葉がある「彼らは我々から我々の魚を奪っただけではない、彼らは我々の漁業を止めさせようとした。いまや毎日のように彼らの船を見る。岸から数浬のところだ。彼らは我々の漁具を破壊し、我々の魚を獲る。夜陰に乗じて沿岸い入り込み、もし何も対策が取られなければ沿岸水域の魚は皆無となる」と。
またセネガルのJOALの漁民は先週、違法漁業者らがその漁獲を母船である工船に転載することでラウンダリング(洗浄)を行っていると指摘。「漁獲は10年前に比べてすでに75%減少した、外国船の漁獲が原因だ、彼らは漁具を破壊する。もしこれが続けば破滅だ。今に至るも我々は外国漁業者に対し何らの直接的行動をしてはいない。もしあの船の船長を捕まえることができたら我々は彼を叩きのめすだろう。「ここ10年人々は銃器を手に漁に出る。彼らは絶望的だ。人々が十分に飲食することができた時はセネガルは静かな国であった。状況は悪化している、ますますソマリアのようになってきている。我々は海で漁で生きている。もし食べることができなくなったら、何が起こると思うか?」
写真はソマリア北東部のHobyoで襲撃の前にボートを準備するソマリア海賊