ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

虐待の連鎖の最悪のパターンだと思う(2月24日0時ごろ更新)

2022-03-03 12:00:00 | 社会時評

先日読んだ記事を。一部抜粋してご紹介。

>「あんたなんか産まなきゃよかった」 そう言われて育った女は3歳の娘を餓死させた 法廷で見た児童虐待の“連鎖”

2022年2月3日 木曜 午前11:50

1月27日の初公判に、上下黒色のスーツ姿で入廷した梯沙希被告(26)。

(略)

2020年6月5日から13日にかけて、東京・大田区の自宅アパートに長女・稀華(のあ)ちゃん(当時3)を9日間放置し、脱水症と飢餓で死亡させた、保護責任者遺棄致死の罪などに問われている。

起訴状などによると、梯被告はシングルマザーとして稀華ちゃんを育てていたが、交際相手の男性が住む鹿児島県を9日間旅行し、3歳の稀華ちゃんを自宅に1人で放置した。稀華ちゃんがいた寝室は電気が消された状態で扉には鍵がかけられ、外側にはソファーが置かれていた。

おむつを2枚重ねた稀華ちゃんの胃や小腸には飲食物がなく、口の粘膜は水分が足りない状態になって発見された。寝室には600mlの水とスナック菓子の袋が1袋、どちらも空の状態で置いてあった。

(中略)

法廷でまず明らかになったのは、梯被告が壮絶な虐待を受けていた過去と、母親との複雑な親子関係だった。幼少期、母親から日常的に殴るなどの暴行を受け、時には手や膝をガムテープで縛られ、そのままビニール袋に入れられ、風呂場に捨てられていた。包丁でおでこを切りつけられ、口を縫われることもあったと言う。

「あんたなんか産まなきゃ良かった」「お前は何も言わずに笑っていればいい」などの暴言も日常的に吐かれた。最初は母親に対して嫌だと主張したものの、止まない暴力や暴言に無気力になった梯被告は、母親の顔色を常にうかがい、笑って応答するほか為す術が無かった。

母親は警察に逮捕され、梯被告は施設に預けられ育った。施設でも周囲にいる人が母親と同じように感じられ、笑顔でごまかしたという。その後、再び母親と生活することになるのだが、母親は過去のことはなかったかのように接し、虐待により施設に入っていたことは、周囲の人間にも打ち明けることができなかった。

そう言った経験から“他人に逆らうことが出来ない人格”が形成されていったと弁護側は主張、「虐待を受けていない人と比べてどれだけ非難できるのか、どれだけ刑務所に入れておかなければならないのかを考えてください」と述べ、情状酌量を求めた。

(中略)

なぜ鹿児島県の交際相手の男性に会いに行ったのか。この事件の大きな謎が梯被告本人の口から明かされた。「(交際男性の知人から)『今月、鹿児島県に行くでしょ』と言われて、『いや・・・』と言い、『どのくらいですか』と聞いたら、『わからない、行ってから決める』と曖昧な感じで言われて。はっきり言えなくて、合わせる形で行きました」

梯被告が鹿児島県を訪れたのは、この知人男性から誘いがあったためで、誘いを断れなかった背景には、幼少期に虐待を受けたことなどが影響していると話した。梯被告は、この知人男性に5月と、事件が起きた6月の2回誘われ、交際相手の男性に会いに行った。

交際相手の男性のことは、心から好きではなかったが、“心に空いた穴を埋めるため”に、会いに行ったとも弁明した。

「行きたいと思って行ってないし、のんちゃん(=稀華ちゃん)を置いて行っているというのが大きくて。途中でお金貸しているし、何してんだろう自分って思いました。飛行機も乗らずに断っていれば、のんちゃんといられたのになと思って。全然楽しめなくて、言えないまま過ごしていました」

(中略)

身勝手な“ネグレクト”が原因で起きた悲惨な事件その理由が“虐待の連鎖”だとしても、亡くなった稀華ちゃんがあまりに無念でならない。この母親に対して、司法はどういった判断を下すのか。判決は2月9日に言い渡される。

(フジテレビ社会部 司法クラブ 熊手隆一)

記事に指摘されている虐待の連鎖をどれくらい重視するか、それをどれくらい情状酌量として考えるかというのはいろいろ議論があるでしょうから、ここでの彼女への求刑や判決の妥当性については議論しないこととします。ここで私が興味関心をひくのが、虐待の連鎖という問題です。

この事件は、殺人というのではなく、ネグレクト、子育て放棄というものであり、保護責任者遺棄致死という罪名です。それで、たしかにこの事件、この梯という人がまともな子育てを受けていたら、たぶんここまでひどい事件は起きなかったのだろうなと思います。

それで、これはある意味当然でしょうが、たとえば死刑に値するような犯罪をしている連中をみると、たしかに親からひどい虐待を受けている連中がいます。幾人か例をあげましょう。

奈良小1女児殺害事件は、Wikipediaから引用すると(注釈の番号は削除。以下同じ)、

>小林薫はプロパンガスなどの販売店を経営する父親のもとで3人兄弟の第一子長男として出生した。小林の父親はしつけが厳しく、幼少期から小林やその1歳下の弟が悪いことをした際に暴力をふるうこともたびたびあったが、母親は小林らを庇い優しく接していた。

学生時代は人と話すことが苦手で、幼稚園・小学校・中学校といじめの標的にされており、教室で1人で過ごすことが多かった。その一方で小学校2・3年生ころからは万引きを繰り返したり、母親が死亡して以降は喫煙などの非行も行うようになり、中学入学後は原動機付自転車(原付)を盗むなどの非行も繰り返した。小学校4年生の時に母親が三男の出産と同時に死去し、以降は父親・祖母[手で育てられたが、父親からゴルフクラブ・金属バットで殴られるなど虐待を受けていた

というわけです。児童への殺人はともかく、それ以前からの彼の不法行為は、やはり親のよろしからぬ教育が大きな原因となっているのは否めません。

さらにエポックメイキングな事件といえる附属池田小事件の犯人宅間守はというと、こちらもWikipediaから引用すれば

>宅間の父親は、家族全員に対して激しい暴力をふるっており、宅間自身も父親から虐待を受けて育った(なお、父親自身も放任されて育っていた様子である)。宅間は暴力をふるう父親を憎悪し、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともあると述懐している。宅間が自衛隊を退職して非行に走るようになると親子関係はさらに悪化し、取っ組み合いをして父親が宅間を何度も石で殴打する出来事もあった。事件後、父親は宅間のことを「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」と評している。

とあります。遺伝的な問題もあるでしょうが、これまた父親のひどい虐待がなければ、あそこまでひどい事件は起こさなかったのではないか。そしてその父親もどうも成育歴がよろしくなかったらしい。つまり虐待の連鎖の連鎖があった可能性がある。それ以前にも虐待があったのかもしれない。

もちろん親の虐待などとは直接関係ない殺人も多いですよ。大久保清事件大久保清などは、かなりの過保護だったとされます。しかし死刑囚になるような人間は、まともでない家庭でまともでない育て方をされた人間が少なくない。虐待の連鎖とはまた違うかもしれませんが、家庭が極貧で家族中知的障害の死刑囚もいます。下の記事の人物も、家庭がまともなら、死刑にはならないですんだのではないか。この事件も、意図的な虐待ではなくても、まさに同じようなものでしょう。

行政その他の支援がなかったことが非常に悪い事態をもたらした大きな要因と思われる強盗殺人事件の実例

そして判決です。

>3歳長女置き去り死、母に懲役8年の実刑判決 「虐待の連鎖」も認定

新屋絵理2022年2月9日 19時28分

 交際相手に会う間、東京都大田区の自宅マンションに残した当時3歳の長女を衰弱死させたなどとして、保護責任者遺棄致死などの罪に問われた梯(かけはし)沙希被告(26)の裁判員裁判の判決公判が9日、東京地裁であった。平出喜一裁判長は「悪質かつ身勝手な犯行でかけがえのない幼い命が奪われた」と述べ、懲役8年(求刑・懲役11年)の実刑判決を言い渡した。

 判決によると、梯被告は2020年6月、当時の交際相手がいる鹿児島県に行くため、被告と2人で暮らしていた稀華(のあ)ちゃんを自宅に8日間以上置き去りにして死亡させるなどした。

 事件の背景として判決が指摘したのは、梯被告自身の「成育歴」と、置き去りを繰り返したことによる「慣れ」の2点だった。

 梯被告は公判で、自身が小学生のころに両親から包丁で刺されたり風呂に沈められたりしたほか、体を縛られてゴミ袋に入れられ食事もないまま数日間放置されるなどの虐待を受けたと明かした。両親は保護責任者遺棄容疑などで逮捕されたという。

 判決は、こうした虐待を受けた梯被告が適切なケアを受けずに育ったことから①人を信頼できない②相手に本心を伝えられない③相手の要求に過剰に応えようとする――などの性格傾向になったと指摘。稀華ちゃんを自宅に放置するなどの判断に「複雑に影響を及ぼしている」と認定した。

 ただ、事件前から自宅への放置を繰り返していたという「慣れの影響も大きい」と述べ、「最終的には被告自らが(置き去りを)判断した」と説明した。そのうえで「被告の成育歴は一定程度考慮されるべきだが、考慮の程度には限りがある」と結論付けた。

 脱水症と飢餓により亡くなった稀華ちゃんについては「最もそばにいてほしかったであろう母親に助けを求められず、一人衰弱していったつらさと苦しみは言葉にしがたい」と述べた。

 判決後に会見した裁判員の20代女性は「自分から支援を求められない人にこそ、支援が必要だと感じた。私たちにできることを考えなければならない」と話した。(新屋絵理)

以下は有料部分ですので引用はできませんが、裁判員の女性による

>自分から支援を求められない人にこそ、支援が必要だと感じた。私たちにできることを考えなければならない

という指摘は、やはり聞くべきものがありますね。上に引用した「行政その他の・・・」の記事でご紹介した死刑囚も、まともな支援を受けるにいたっていませんでした。ご当人とても自力で生活ができるような人間ではありませんが、ともかく行政からだけでなく近隣住民などからも、避けられていた人間だったといわざるを得ない。梯被告も、その事件の死刑囚ほどひどくはないとしても、自分の子どもへのまともな対応すらできなかったわけです。残念ながら、完全な育児能力不足ということでしょう。この件で行政の不作為がどれくらい重大に影響したかは当方それを論じられませんが、ともかく彼女以外の誰かが彼女を支援しなければ、子どもが死ぬとまではいわずとも、極めて重大な事態になりかねなかったのでしょう。そして彼女は対外的にSOSを出せる女性ではなかったわけです。

世の中、これは、上の死刑になってしまった知的障害者の事件もそうだし、前にご紹介したこれらの事件もそうでしょう。

「他人に迷惑をかけない」と考えて、きわめてよろしない事態になった典型的な事件

女性から男性へのDVというのも、いろいろ問題があるし、それがまた最悪の事態になることもある(宮崎家族3人殺害事件と岩手県の妻殺害事件)(追記あり)

事件については、上の記事をお読みいただければよいとして、これらも事件を起こす前に、なんらかの形で本格的に第三者に相談をするなり逃げだすなりすれば、ここまでひどい事態にはならなかったはずですが、独居でまるでまともな支援のなかった知的障害者は難しいかもですが、姉を殺してしまった事件や宮崎や岩手の事件などは、もうすこし余裕と可能性はあったはず。しかしどれも、最悪の方法による解決となってしまい、死刑をふくむ重刑となったわけです。どれも、殺人などという事態にはならないで済む事件です。

姉妹間での介護殺人は、妹が認知症になっていたところがあったようですし、知的障害者はまったく相談する能力がなかったとして、宮崎と岩手の事件は、精神的に完全によろしくない状況だったということなのでしょうが、この梯被告の事件は、そもそも論としてご当人がとてもシングルマザーとして子どもを産んだり育てたりする能力がなかったし、そしてそれをご当人もなんら認識していなかったあるいは認識が極めて不十分だったということなのでしょう。たぶんですが、ご当人他人に相談するということを何もわかっていなかったということなのでしょうね。人生の中でも、他人に悪い形で依存するばかりで、他人の協力を得て自分の人生をよりよく生きるというような経験がなかったのでしょう。

そしてそのような人間としての未熟さの大きな要因が、彼女の虐待歴に代表される生育環境だったのでしょうね。彼女がどういう事情で田舎の宮崎から東京へ出てきたのか定かでありませんが、残念ながら彼女には、地元の宮崎にもそして東京にも、頼れる人間が誰もいなかったのでしょうね。それは物理的に誰も彼女を助けてくれる人がいないという意味でなく、彼女が「自分を助けてほしい」と周囲に訴えたり駆け込んだりする能力がなかったということでしょう。そしてこれらの件を思い出しました。

精神疾患か発達障害か境界知能かそういうこととは関係ないのか定かでないが、この伯父も生きづらさを抱えて孤立していたのだろう

あるいはこちらはどうか。

「累犯」ではないのかもだが、これも障害者ならではの犯罪の側面がありそうだ

どうも私が取り上げる事件というのは、まさに「相談できない人間による事件」というのが多そうですね。それでこの2つの事件も、ここまで悪い事態にはならずに済んだ案件だよなです。しかし理由や過程はともかく、最悪の事態になってしまいました。どちらも、いくらでもどうにでもなることでした。しかし最悪の選択をしてまた最悪の事態になったわけです。このあたり私がこのブログで何回も取り上げている佐藤忠志氏の、一文無しになり生活保護受給者となって、そして酒と煙草に依存するばかりになって困窮死・孤独死した過程のようなものではないでしょうか。彼も、さまざまな分岐点で、「そう来るか」というようなよろしくない選択を繰り返しました。多分ですが、ある時期それ相応の収入がある佐藤氏のような人物が生活保護受給者になった場合、おそらく佐藤氏同様、人生のさまざまな分岐点でよろしくない選択をした集積がその結末をもたらしたのでしょう。ご当人の不徳の致すところで他人に介入できないところが大きいのですが、それにしたってあまりにひどすぎるとしか言いようがありませんね。拙ブログで、佐藤忠志氏について触れた記事については、こちらをクリックしてください。

また佐藤氏の話になってしまいましたが、ともかくこの事件はまさに虐待の連鎖の最悪のパターンですね。非常に残念ですが、また繰り返しの引用をしますと、

>自分から支援を求められない人にこそ、支援が必要だと感じた。私たちにできることを考えなければならない

ということになります。自力である程度の解決ができればいいですが、その能力がないのだから仕方ありません。

コメント (4)
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