拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「すみません、ボールとらしてくださーい」

2022-12-18 12:50:28 | 日記

一転、健康優良児となったワタクシであるが、秋口はたしかに不調だった。その原因を探ってみよう。大別して3説。病気説、夏バテ説、仮病説。病気説はさらに、体質説(秋口に調子を落とす体質であることにはお医者さんのお墨付きを得ている)、高血圧説、肝臓説(飲み過ぎ)、更年期説(男にも更年期があるのは今や常識)に分かれるが、一番大事な説を忘れている。それこそ真の原因である。告白しよう。それは恋の病説……もし、したり顔で「分かってたよ」なんて言う人がいたら、以後、その人の言うことは信用しない方がいい。真面目に自己診断をすれば、夏バテ説、体質説、そして案外肝臓説あたりが的を得ている気がする(おデート以外でたくさん飲まなくなったら体調がよくなった(この括弧書きは「おデートのときは楽しくたくさん飲むからね、というアピールである(誰に対して?)))。えーと、閉じ括弧の数は三つで良かったろうか。

そんなわけで、今朝も、雨上がりで陽が差してきたので、埼玉県との県境を流れる垳川沿いを歩く。遊歩道があり、ここらあたりでは珍しい舗装されてない道である(ペレーニ教授の「大地からエネルギーを吸収しろ」の「大地」はこういう道だろう)。

あれま、この川について説明をしてる碑があるぞ、気がつかなかった、読んでみよう……えーっ?垳川って、今では綾瀬川と中川の間をつないでいて、私は「運河」とか「ドブ川」とか言ってんだけど、大昔は、綾瀬川の本流だったのー?ってことは、綾瀬川は大昔は荒川の本流だったから、このドブ川が荒川の本流だったのー?砂漠の奥に一人で住むベンじいさんが、実は往年のジェダイ・マスターのオビワン・ケノービだったくらいの驚きである。なのに「ドブ川」とか言って失礼しました。もう言いません。

そのドブ川、もとい、元の綾瀬川様に注いでいる水路にサッカーボールだかバレーボールだかが落ちていた。

落ちたが最後、もう拾えなかったのだな。子供時代、野球をしてるとボールがしょちゅうよそのウチの庭に飛び込んでしまい、そのたびに、「すみません、ボールとらしてくださーい」と叫んでその庭に侵入していた。家人が「いいわよー」と言って入っていたから住居侵入罪にはならない。それを何度も繰り返すうちに、「いいわよー」が聞こえなくなった。それでも刑法で言うところの推定的承諾があったと解した子供達はボールをとらしてもらっていたが、ついに「いい加減にしなさい」と怒られた。そう言えば、漱石の「吾輩は猫である」にも同様のシーンがあった。

その後、スーパーに寄る。私はむやみに文句ばかり言う輩ではない。改善点は積極的に評価する人間である。だから、最近、スーパーで野菜が安いのも、素直にありがたいと思う。この日の収穫は下仁田ネギであった。

緑の部分が多いのがうれしい(その裏側に免疫に良い物質がある)。因みに、今日はゴーヤーを99円で売っていた。だが、いくら100円を切っていてもゴーヤーは季節違いだから買わなかった。

散歩の仕上げは百均。ここは、最近、有人レジと無人レジを併用していて、無人レジはいつも空いてるので、私はそっちを利用するのだが、今日は、無人レジ用の列に二人並んでいた。だが、おかしい。二台ある無人レジのうち一つは空いている。理由が分かった。二人のうちの一人は有人レジに行くために無人レジ用の列に並んでいたのと、もう一人は、おじさんだったのだが、奥様がレジで会計をしている間、用もないのに列に並んでいたのだ。これはレッドカードである。このおじさんは、社会的にどんなに偉い人だか知らないが、かりに最高裁判所の判事だったとしても、この一件で、地獄行きが決定である(因みに、漫画「なにわの金融道」に出てくる街金のお兄さんたちは、取立ての際、「大阪高裁の裁判官だって払えといいまっせ」みたいなことを言う。最高裁判所でなく、大阪高裁であるところに大阪人の意地を感じたワタクシであった)。

 


ビンボー、様々!

2022-12-17 11:40:33 | 日記

大久保の練習場を目指して早稲田から歩く。箱根山を超えて西進するルート。箱根山と言っても金太郎が熊と相撲をとった「天下の険」ではなく、新宿区にある標高44.6mの山。それでも山手線内でもっとも高い。だから、一応「登山」であり、道はそれなりに勾配がある。

とことん登ったら後は山手線方面に向かってだらだら下るのだが、明治通りの手前が一番低くて、その先、再び登り道になる。地形図を見ると、この低地部分は二つの台地の狭間にある。今では跡形もないが、新宿区北部を流れる神田川の支流があったものと推測する(ブラタモリのタモリさんになった気分)。

途中、八百屋さんでレタスが50円だったので購入。店主は中東の人ぽかった。大久保はコリアンタウンのイメージがあるが、イスラム系のお店も多い。昨夜の反省会も羊のしゃぶしゃぶだった。因みに、件の店主が「はーい、レタス、50円でーす」と言うのに一瞬「?」と思ったのは「やおや」という言葉がいかにもジャパニーズだからだ。今後は「ベジショップ」と言おう(因みに、「八百屋」はドイツ語で「Gemüsehändler」という(今調べた))。

これだけ歩いたのに、昨日の歩数が9778歩で1万歩に届かなかったのは、帰りが日付をまたいでしまったため。だから、今日の歩数は既に6981歩である。ずいぶん多いのは、いつもは最寄り駅の北綾瀬から25分歩くのだが、昨夜は北綾瀬行きの電車が終わっていて綾瀬から歩いたから時間も歩数も倍になったのである。しかも、昨夜はGスーパーで仕入れた食材7キロを背負っていた。大変なハンデ競走である。え~っ、ってことは、最寄り駅から歩いても25分かかるの?その通りである。お金持ちは、駅から近いところにおうちを建てるから歩かない。郊外に行くのも車で行くから歩かない。マンションの中だってエレベーターがあるから歩かない。だから不健康。お金を使ってわざわざ命を縮めてるんだから本当にお気の毒である。その点、貧乏人は、全てが逆。神は貧乏人に健康を与えたもうた。ビンボー、様々!(「ビンボー・さまざま」ではない。「ビンボー、さまさま」と読んでちょうだい。だが、ビンボーにいろいろあるのも事実である)

母も歩くのが好きで、施設に入ってからも「健康のため」と称して施設内の廊下を歩き回っていて、ときどき施設が私に「お母様が、歩き回ってる」と連絡を寄こした。「徘徊」を疑ったのだろう。施設はありがたい以外の何者でもなかったのだが、歩くことまで管理されるとなると、ちょっと母も気の毒だったな、と思う。結局、母はボケた。いくら歩いてもボケるときはボケるようだ。


濡れ落ち葉と徘徊(注:ポジティヴな話)

2022-12-16 09:40:48 | 日記

うちの娘たちは、ハンディモップを見るとたちまち臨戦態勢に入り攻撃する。それを防ぐため、本棚の中段あたりに置く。ここなら猫達も手が出ない。天敵の攻撃を防ぐために絶壁の中程に巣を作る鳥と同じである。なお、山羊が絶壁を昇るのは食べ物を求めてのことだそうだ。

早期退職した夫が濡れ落ち葉になったという話を複数の妻殿から聞いた(2人でも100人でも複数である)。耳が痛い。私も、今春廃業したから一種の早期退職組(ただし、一般の方々と違い、退職金はない。先納していた会費が戻ってきた雀の涙が退職金代わりである)。廃業するときは、今後はカレンダーを作って、発声練習をして、あの楽器やこの楽器を練習して、ドイツ語の復習をして……等々、盛りだくさんな計画だった。ところが、いざ廃業してみると、だら~っとしてしまっておよそ計画にはほど遠い。おまけに、歌関係の会や団体を四つ(!)辞めたり休んだりして、自分的には濡れ落ち葉の気分であった(収穫したベランダのバジルはやはりジップロックに入れて冷凍するべき。冷蔵だと水が出て色が変わってくたくたになってまさに濡れ落ち葉である)。だが、上記の妻殿の一人は「イージマさんはアスリートだからマシ」とおっしゃってくださる。なにをもって私をアスリートと呼ぶかと言うと、徘徊にいそしんでいる、そのことらしい。いや、「徘徊」とは「目的もなくうろつく」ことだから、目的地を定めて闊歩する私のは徘徊ではない。じゃあ、なんと言おう?ウォーキング?私は日本男児である。カタカナなど使って喜ぶやわな人間ではない。そうだ、ヴァンデルンと言おう(カタカナじゃんけ。因みに「じゃんけ」をドイツ語読みすると「やんけ」となり関西弁になる)。だが、「wandern」は多義であり、「彷徨う」という意味もある。すると「徘徊」に近づいてくる。「徘徊」から逃れようと思って、ウォーキング→ヴァンデルンと巡って、最後に徘徊に戻る感じである。

いずれにせよ、現在私は、ランニングハイならぬ「徘徊ハイ」状態のようで、マンションの前の道に降り立つと、とたんにスイッチが入ってゼンマイ仕掛けの人形になる(シャカシャカ歩き出す)。昨日も、遠出をしたわけでもないのに歩数は14000歩を超えた。これが活力を生み、ストレスが解消する。久しぶりに楽譜作りなどもしている(楽譜を作ってるときは間違いなく幸せである)。血圧が下がったのはそのせいもしれない(下がりすぎて目の前にあるのは低血圧の危機。何事も、ちょうどいいところでは止まらない。ハイパー円安の次は、再び円高だろうか)。

スマホに万歩計を入れてから、スマホを忘れずに持ち歩くようになった(以前は、急なおデートのお誘いも、待ち合わせ時間の変更の連絡もないからスマホがなくても事足りるため、しばしばスマホを家に置き忘れた)。スマホと言えば、今、ペイペイ等のスマホ決済がどうなのかな?と思ってる。結構な割引があると言って宣伝している。通販系のクレジットカードで決済してポイントをためるよりお得なのだろうか。

あらためて写真を見ると、断崖絶壁の「巣」の一つに軍手がおいてある。今年、私的なヒットアイテムの一つである。

 


音楽に寄す(のは止す)

2022-12-15 10:26:13 | 音楽

♪ねーこーはこーたつーでまーるくーなる!にんげんも!(字余り)

こうしたぼーっとした生活が効を奏したのか、連夜の記録更新、昨夜の血圧の上は101だった。実は、血圧が低いときは分かる。ぬるい風呂に長く浸かって出たとき、あっ、低い、と思う。そういうとき測るといい記録(?)が出る。それにしても101とは低い。あともう少しで低血圧である。暑い暑いと言ってたら秋を通り過ぎて急に冬になったよう。「ちょうどいい」がないところは私らしい。

さて。シューベルトの歌に「音楽に寄す」(An die Musik)という歌がある。きれいな歌だしお友達もよく歌っている。この際だ、勉強してみよう。「an」は「誰々に」という宛名を表す前置詞だから、音楽に宛てたお礼文書みたいな歌である。そのお礼の内容というのは、「辛いとき、音楽が私を癒やしてくれた。ありがとう」というもの。なるほど、例えば、誰かにふられて落ち込んでるとき音楽を聞いて立ち直った、そういうこともあるだろう。だが、もし「辛いとき」が「音楽をやってるとき」だったらどうだろう。歌も楽器もちっとも上手くならない、聞こえてくるのは「下手!」「やめちまえ」「耳障りだ」と言った声ばかり。この場合、音楽は辛苦を癒やす存在ではなく、辛苦をもたらす原因である。そして、笑点を見て笑ってその辛苦が癒やされたのなら、感謝の歌のタイトルは「An ”Schoten”」(笑点に寄す)。そのイントロは♪チャンチャラチャラララ(ソッソソソドラソ)、チャンチャン(ラッラッ)、プワ……である。

笑点と言えば、亡き円楽さんが、「オレが出てないんで笑点はつまらない」と言っていたが、ホントである。つうか、追悼で大昔の笑点の映像をみると、今よりはるかに面白い。因みに、故歌丸さんは、円楽(楽太郎)さんと犬猿の仲という設定だったが、大昔は小圓遊と犬猿の仲だった。ところが二人が仲良くやってるCMが流れて、「テレビのウソ」にちょっぴり触れた少年のワタクシであった。歌丸さんと円楽さんも実は落語会を一緒にやる程の仲良しだった。カラヤンとベームは、両者の生前、対極の位置に置かれていたが、ベームのなんかのイベントのときカラヤンがスピーチをして「カール!」と呼びかけたのを見て、なんだ、ファン同士ほど犬猿の仲じゃないんだ、と思ったものだ。因みに、クリスタ・ルートヴィヒ(超メゾ歌手)にイゾルデ(ソプラノの難役)を歌わせようとしたカラヤンのことを、ベームは「困ったものだ」と言っときながら、「自分とならできる」と言ったそうである。軽薄なカラヤンVS実直なベームの構図が私の頭の中でがらがらと崩れていった原因の山ほどあるうちの一つである。


にわかに変わったモノ

2022-12-14 08:53:30 | 音楽

にわかに下がったもの=私の血圧。一昨日、北総を3万歩歩き、帰宅して軽くひっかけてぬるい風呂に長いこと浸かってから計ってみたら、なんと上が113。今年の瞬間最低記録である。高血圧を理由にいろんな活動をキャンセルした途端にこの数値。いや、ありがちである。某有名タレントは、忙しすぎてもうあかんと思って仕事を休む連絡を入れた途端に元気になってゴルフに行ったそうだ。だが、不義理をしたのだから、堂々と遊んではいけない(遊ぶならこっそりと)。ワタクシの場合は一から仕切り直しである。さて、どんな風景を見ることになるだろうか。新しい風景か?見慣れた風景か?

「にわかに下がった」で思い出すのは、原作:光瀬龍、作画:萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」。あるとき、世界の気温がいきなり氷点下に下がった。人類の繁栄をこころよく思わない、宇宙の外にある超絶者がほどこした細工のせいである。いま地球温暖化が言われていて、短期的にはその通りで、水没のおそれのある国があるのだから対策が必要なのは当然である。他方、地球は氷河期にあるともいう。北極と南極に(減ったと言っても)氷があるのがその証拠だそうだ(恐竜時代にはなかったそうだ)。現在は氷河期の中でも比較的温暖な間氷期。ってことは、現代の人類にとっては、間氷期の今よりちょびっと涼しいくらいがちょうどよくて、これより暑くても寒くても困る、ということか。かつて、今よりもうーんと暑かったとき関東平野は海だったし、うーんと寒かったとき東京湾は陸で、そこを古東京川が流れていた(現在、東京湾を運航する大型船は、その古東京川の流れにそって航行しているという話はブラタモリで聞いた。そのブラタモリが岸田さんの記者会見で延期になり、岸田さんの支持率下落の一助になったってほんと?)。因みに、「百億……」の原作は光瀬龍と言っても、原作も読んだが、漫画の方はかなり萩尾望都の創作が入っていた。光瀬龍も、萩尾望都の「非凡な力量に驚く」と言っている。因みに、「あしたのジョー」も原作者は梶原一騎だが、作画のちばてつやの創作がかなり入っていたそうだ。

にわかに上がったもの=スマホ料金。楽天モバイルは、1Gまでは「ただ」のはず。ところが、最近約1000円の請求がくるようになった。知らないうちに1Gを超えたのか?そうではなかった。知らなかったのは契約プランの変更である。新プランでは「1Gまでただ」が廃止され、既存の契約は自動的にそっちに切り替えられたのだそうだ。「聞いてないよ」である。「ただ」と「1000円」は天と地ほどの違い。値上げ率は無限大(∞)である。

にわかに良くなったもの=殿のご機嫌。「殿」とはオペラ「リゴレット」に出てくるマントヴァ公爵のことである。自分の彼女(道化のリゴレットの娘)がいなくなって悲嘆にくれてたら、事情を知らない家来が報告にきて、道化の娘をさらって公爵の部屋に閉じ込めてある、と言う。おお!それこそ、愛しき彼女!と喜びを爆発させてアリアを歌う。このアリアには家来の合唱がついていて、その歌詞は「にわかに変わった殿のご機嫌」。これを何度も何度も繰り返すうちにクレッシェンドして、最後にフォルテで「ご、き、げ、ん!ご、き、げ、ん!」と歌うのに重ねて公爵が「アー、アー、アーーーー!」、そしてダ・カーポ。この歌詞は私が中一のとき最初に読んだ対訳なのだが、どういう訳だか少年の心のツボにはまって歌いまくっていた。だから、今でも覚えていて、この記事は何も見ることなく書いている。この「喜びのアリア」は公演で省略されることがあるが、是非聴かせて欲しいものである(なお、ご機嫌がにわかに変わる前の悲痛なアリアは必ず歌われる。直前のレチがCMになったこともある)。


白鳥がつなぐ北上小旅(池から沼へ)

2022-12-12 21:08:35 | 日記

あたためてきたプランがある。白鳥の手賀沼と、白鳥の西白井の池の間を踏破する小旅である。カレンダーは当分(というかずーっと)真っ白。天気もいい(昨日)。Die Zeit ist da!(今でしょう!(意訳))。一つ問題。手賀沼から西白井の池に行くか(南下)、その逆か(北上)。本来なら南下を選びたい。時は冬。人間は北から暖かい南に向かいたいもの。だが、このプランには一つ条件がある。手賀沼大橋のたもとにある天然温泉でお湯につかり、併設レストランで石窯ピザを食べて小旅を終わらせる、という条件である。そのためには北上ということになる。ということで、西白井駅から此度の小旅はスタートである(駄洒落)。

まずは西白井の池。はたして白鳥はいるだろうか。いた!しかも、ぞろぞろいた!

さらに、そのうちの一羽が羽を広げる大サービス(冒頭の写真)。幸先のよい小旅のスタートである。

この後は、手賀沼を目指して北北西に進路をとる。おハイソな住宅街を抜け、工場団地を抜け……といった具合で、なかなか都会っぽさから抜けられない。このあたり、頼朝が鎌倉を目指して進軍した頃は原野だったろう(私の郷里は横浜線沿線だが、半世紀前、横浜線と相鉄線の間にもグリム童話に出てきそうな鬱蒼とした森が広がっていて、父親と連れだって歩く「山歩き」は冒険だった。幸いにして、ヘンゼルのように森の中で捨てられることはなかった。最近、歩いてみたら、隅の隅まで家で建ち尽くされていた)。

畑が見えだしたのは、16号線を超えたあたりから。リスト音楽院のペレーニ教授が言う(又聞き)「歩け!大地からエネルギーを吸収しろ」の「大地」はこういう地面のことだろう。と思った矢先、いきなり見覚えのある山陰!

筑波山である。これでまたテンションが上がって、歩く足にも力がこもる。そうやって、歩き始めてから3時間、北上を始めてから2時間ほどで手賀沼大橋に到達。当初予定していた天然温泉はすぐそこだ。だが、問題勃発。すでに日の入り間近。ここでお湯に浸かっていたら手賀沼が見られない。残念だが、お風呂は別の機会にしよう(取手から利根川を渡って手賀沼まで歩くプランもあたためているので、お風呂はそのときにしよう)。そうして、後ろ髪を引かれる思いで手賀沼大橋を渡ってたら、え!これって富士山?

ズームを上げてみる。

まさに富士山であった!お風呂を我慢した私にこんなご褒美が待ってるとは!

ところで、今回の小旅は白鳥がつなぐ北上小旅であった。手賀沼の白鳥はどうなったか。橋を渡り終えた頃、日もとっぷり落ちてあたりは暗闇が支配する。

これでは白鳥の捜索は無理。橋を渡り始める前(まだ陽のある間)に撮った「作り物」の白鳥でご勘弁願おう。

これがオチになるはずであった(オチとしては上出来である)。で、暗闇を歩き続け、角を曲がれば我孫子駅に向かうあたりが手賀沼公園。ここで沼ともおさらば。映画で言えば、エンドロール(配役・スタッフ紹介)が終わって館内に明かりがつくかってあたりである。ここに来て、グエッ、グエッっと鳴く声。もしかして……声が聞こえるあたりにカメラを向けてシャッターを押す。

撮ってるときは分からなかったが、再生すると、首が長い。白鳥かもしれない。まるで、映画のポストクレジットである(ポストクレジット=エンドロール後にちらっと入る思わせぶりなシーン。続編を予告したりする)。

とにかく、西白井で白鳥を見て、途中で筑波山を見て、手賀沼大橋で富士山を見て、橋を降りたところで白鳥を見たかも知れない豊作な一日であった。4時間半の間に歩いた歩数は3万歩超え。

距離にして20km、消費カロリーは1000キロカロリーを超えた。

因みに、今回の小旅で超えた16号線は、ぐるっと回って横浜まで通じている。そこは、まさに上記の横浜線と相鉄線の間のあたりである。


速度大師(Schnellmeister)

2022-12-12 09:56:34 | 言葉

西郷さんを「せごどん」と言うのはフランス語っぽいと思った(Sai-go-don)。

さて。「シュネルマイスター」って馬が香港のレースに出たのだが、ゼッケンに書かれた名前が「速度大師」。なるほどと思うのとええー?と思うのとが半分半分。

まず「速度」について。日本語で「速度」というと速いのも遅いのも含まれる。だが、ドイツ語の「Schnell」は「速い」である(遅いのも含んだ「速度」は「Geschwindigkeit」)。だから「シュネル」を「速度」に訳すのはいかがなものか?と思った。では、どう訳すべきか?「速い」だと芸がないから「スピード」とか……まてよ、「スピード」だとこれも「速度」と同じで低速が含まれてしまう?英和辞書をひく。ふむ。「speed」には「速度」のほか「速いこと」の意味がある、とある。すると、中国語の「速度」にも「速いこと」の意味があるのだろうか(知らんけど)。そうなら、当初の私のいちゃもんは無学故のいいがかりだったことになる。因みに、半世紀前「スピードシンボリ」という名馬がいた。これに跨がった騎手は野平祐二。後に調教師になった。今、現役の福永騎手も来年からは調教師である。

続いて「大師」について。これは「なるほど!」である。そもそもドイツ語の「Meister」=英語の「master」=イタリア語の「maestro」は多義なのだが、その多義を、日本語は各国語に振り分けてる感がする。例えば、
「Meister」=手工業の親方(例=「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
「master」=師、先生(例=「マスター・ヨーダ」)
「maestro」=指揮者(例=「マエストロ・カラヤン」)
と言った具合。このうち、香港競馬が使った「大師」は2番目の用法だろうか(知らんけど)。私が「大師」で真っ先に連想するのは「川崎大師」。元は神奈川の人間なので(住んでる年数は足立区が最長だが)。

以上のほか、これらの言葉には共通して「名人」「達人」という意味がある(「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も「ニュルンベルクの名歌手」と訳されることがあり、訳知り顔の人たちは「誤訳」と言ってるが、以上の話からするとあながち誤訳とも言い切れない)。「シュネルマイスター」の馬主さんは、この意味で命名したのではないか(Wikiも馬名の意味を「スピードの達人」としている)。

なお、私は、ドイツ語を勉強している身なので、件の馬名は「速い親方」である。

ところで「マエストロ・カラヤン」は、世界の某などからは「カラヤン先生」と呼ばれている。カラヤンみたいな偉い人が自分の先生なんだぞ、と自慢しているように聞こえるとしたら、これは今朝あさイチでやってる「妬み」だろうか。いや、世界が違いすぎるから妬みの感情ではない。単に好きでないだけだろう。

「シュネルマイスター」の英訳は「スピードマスター」で決まりである。

香港競馬には「ボタニク」って馬も走ってて、聞いて一瞬ぎょっとしたが、肉は肉でも猪鍋の方だと思い直してほっとした……とか言って、前日は桜肉を美味しくいただいたところである(注文しないのに店が間違って出してきた。しっかりお金はとられた)。映画「ベイブ」を見て泣いてもポークは食卓に欠かせない。さかなクンも、魚を食べるのが大好きだという。

香港は暖かいのだろうか?競馬場に集うご婦人がえらい薄着で(胸は大きく開けてるし、スカートは超ミニ)、日本にいて暖房をけちってる身からすると、えらく寒々しく見えたのだが。

その香港の別のレースで勝った日本馬のウインマリリン!馬名から私が連想するのはマリリン・モンローである。

(追記)「速度を自由に操る達人」という意味に解せば、「速度大師」は大いに「あり」である。なんとなくジェダイっぽい。


ボレロのリズムでは走れない

2022-12-11 18:22:40 | 音楽

「ラベル」ではなく「ラヴェル」なんだから、馬主さんはモーリス・ラヴェル(フランスの作曲家)に因んで命名したのだろう。にもかかわらず馬を紹介するアナウンサーはそのことに思いがいかなかったらしく、「ラヴェルのレヴェルがどうのこうの」と言った駄洒落でお茶を濁す。私なら、「ボレロのリズムで突っ走る」とか言ったろう……いや、馬がボレロのリズムで「タッ、タタタ、タッ、タタタ、タッタッ」と走ったらダメだ。最後の「タッタッ」でブレーキがかかりスピードが出ない(ジョルジュ・ドンの踊りのように、上下運動には向いていると思う)。そのせいだろうか、ラヴェルは4番人気だったが結果は11着。惨敗である。それでも、クラシック音楽ファンを自認しているし、バロックと言えばフランスだから、今後もこの馬の馬券を買わないわけにはいかないのである(以前「バッハ」が名前につく馬の馬券を買い続けたのと同様の心理である)。

このレースで、もう一頭私が軸にしたのは「ミスヨコハマ」。

私が横浜育ちのため。この馬名でいしだあゆみが浮かんでくるのは「ブルーライト・ヨコハマ」のせい。この際である。横浜がらみの歌の疑問をいくつか吐き出そう。
疑問その1。「ブルーライト・ヨコハマ」の「ブルーライト」って何?時代が時代だから、青色発光ダイオードや眼鏡のブルーライトカットとは関係なさそうだが。
疑問その2。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の「ヨーコさん」ってヨコハマ・ヨコスカの「ヨコ」?つまり駄洒落?
疑問その3。「よこはまたそがれ」の歌詞の「ホテルの小部屋」のホテルってラブホ?
以上のうち、その1については早々に答が分かった。「港の見える丘公園から見える横浜と川崎の工業地帯の夜景」なのだそうだ(Wiki)。

なお、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」の「伊勢佐木町」は、横浜港にほど近い繁華街の地名である。私は、中学生の頃、頭痛覚悟で横浜線に乗って市街に来る目的の多くは、伊勢佐木町にあったハマ楽器で楽器やレコードを買うためである。私が中一のときに初めてオペラのレコード(リゴレット)を親に買ってもらったのもここである。今は、その場所に音楽教室があるらしい。

さて、そのミスヨコハマだが、11番人気で9着だった。あらま、ラヴェルに先着したんだねぇ。

馬名のせいで馬券を買わざるえない馬は、現在はこんなところ。
「ムジカ」(文字通り音楽)
「オーベルニュ」(カントループ作曲の「オーベルニュの歌」を女声歌手が結構とりあげている)
「ソフトフルート」(クラリネットを吹くと血圧が上がるが、フルートを吹くとどういうわけだか血圧が下がる)
「カテドラル」(室内合唱団が定期演奏会に使わせてもらってた)

因みに、かつての朝ドラ「てるてる家族」で描かれた一家は、いしだあゆみさんのご実家である。


「破天荒」は封印

2022-12-11 12:04:04 | 日記

昨日の歩数は17218歩。日付が変わってからの3600歩は実質昨日の数字だから、これを足すと2万歩超えである。なんだ、元気じゃん?それどころではない。瞬間ではあるが、血圧が120を記録(下が、ではない。それだったら死んでる。上が、である)。こんなことでは「体調不良」も看板倒れである。いや、これでも一応は体のことを考えて、日々、徘徊してるし(この言い方!)、酒量を減らした。つまり、家飲みの量を減らし、おデートでたくさん飲んだ翌日は家では飲まなくした(この文には一部ねつ造があるかもしれない。例えば歌の会の反省会で飲んだ仲間をデートのお相手にすり替えるといったねつ造である)。私の辞書に「休肝日」という言葉が載ったのは最近のことである。こんなことでは「破天荒」が泣くが(え?「破天荒」をウリにしてたっけ)、やはり長生きしたいのである(もう一度、ドイツの黒い森の丘の上にあるSt.Peter(村)に行きたい)。

因みに、血圧が上がる要因を考えてみた。
お酒を飲み過ぎること。
暑いお風呂に入ること。
暖房代をけちって寒い中で暮らすこと。
バッハを歌うこと(血圧が20ポイント上昇する)。
ストレスにさらされること……え?勝手気ままに生きててストレスなんかあるのかって?たしかに、直系尊属が死に絶えて(この言い方!(パート2))、廃業して、電話が鳴らないようにしてるから、外界とのつながりはほぼこのブログのみ(あと、カーサクラシカのセッションと、A合唱団と、U会と……なんだ、結構あるじゃん)。それでも、ときどき遠くから電話のベル音が聞こえると、え?ウチ?とか思ったりする(そんなわけはないのだが)。それだけ、ぼける前の母からの脅迫電話と、ぼけた後の施設からの緊急電話の恐怖が大きかったということ。この記憶がうすらげば、そのとき完全なストレスレスの生活(仙人のような生活)が実現するのだろうか。それとも、ストレスレスが逆にストレスフルとなるのだろうか。少なくとも、電話やチャイムを気にせずベランダで日なたぼっこに耽るひとときは極楽である。


走るシュワちゃん

2022-12-09 18:51:01 | 日記

あさイチで「ザリガニの鳴くところ」と言う映画を紹介しつつ、「ザリガニは本当は鳴かない」と言っていた。猫も、野生では、鳴くのは子猫だけで、大人になったら鳴かないそうだ。そりゃそうだ。猫がにゃーにゃー鳴いてたらネズミは逃げてしまうだろう。だから、13歳半にもなって、ご飯時に私んところに来てにゃーにゃー鳴く猫らには、「お前ら、そんなことでは野生では生きていけないよ」と言ってやると、「野生じゃないもん」と口答えをしていた(ように感じられた)。

チコちゃんで「大人はなぜ足を組むのか」というお題を出していて、その答は筋肉がどうとかというものだったが、「氷の微笑」のシャロン・ストーンなら答は別だろう。足を組み替えるシャロン・ストーンで思い出すのは「バベル」の菊地凛子。公開時は一切モザイクがかかっていなかった。因みに、私の予想では、「鎌倉殿の13人」の最終回で菊地凛子演ずるノエが義時を毒殺する。競馬の馬券よりも当たる可能性は高いと思う(だが、馬券だって、買ったときは当たると思って買っている)。なお、シャロン・ストーンの生年は私と同じである(学年はストーンが一つ上である(アメリカ人に「学年」は関係ないが))。

映画と言えば、BSで「ブレードランナー」の続編を放送していて、その第1作は1980年代で、新入社員で映画を見る余裕はあまりなかったし、「ランナー」というタイトルからてっきりスポ根ものだと思って敬遠していたら、SFものだったのだね。だったら話は別。続編の前にまず第1作を観なきゃ、と思い、アマゾン・プライムで視聴した。SFだが、映像は重く暗い。監督は「エイリアン」のリドニー・スコットということで納得。日本人や日本語がたくさん出てきた。1980年代と言えば日本がバブル絶頂で、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて本も出て日本人がうかれてた時期である(ただし、この映画における地球は環境汚染が進行し、多くの人間は地球外に脱出していて、地球は脱出できなかった人達のスラム街である。日本人や日本語がはびこってるのはそういう世界だと思うとなんだか微妙である)。

そのうえで続編を見る(片っ端から映画を録画してると、こういうとき役に立つ)。第1作から、舞台も製作もともに数十年経っている。だから、リドニー・スコットは今回はメガホンをとらずに製作総指揮。にもかかわらず、映像のタッチは第1作同様に渋い。と思ったら、監督は「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴである。納得である。前作と違うのは、映画の冒頭と末尾に「SONY」の文字ががーんと映ること。なるほど、ソニーは、第1作が世に出た頃、つまりジャパン・マネーが世界をブイブイ言わしていた頃、メジャーの一つのコロンビア映画を買収したんだよな。因みに、「スターウォーズ」シリーズも第7作から権利がディズニーに移ったため、それまで冒頭に「20世紀フォックス」のテーマ音楽が流れ、それがスターウォーズのテーマと絶妙にリンクしていたのだが、それがなくなって残念だった。

タイトルの「ブレードランナー」は人造人間を抹殺するためこれを追跡する捜査官のことだが、言葉の意味から選ばれたタイトルではなく、製作者がそういうタイトルのSF本を見ての思いつきだそうだ。因みに、私が「ランナー」で思い出すのは「バトル・ランナー」。シュワちゃん主演のB級映画(だと私は思ってる)で、新宿で飲み過ぎて帰れなくなったときオールナイトで一晩に飽きるほど見た作品である(昔は、オールナイトの映画館が夜明かしによく使われていた)。原題は「The runnning man」。これをそのまま使って「ランニングマン」ってタイトルにしちゃったら、え?「走る人」?って感じでたしかにしまらない。原題から遥かに離れた邦題にはいつも違和感を持つワタクシだが、「ランニングマン」を「バトル・ランナー」に変えた興業サイドの気持ちは分かろうというものである。

因みに、今回のタイトル「走るシュワちゃん」も、私の一瞬の思いつきである。


カントリーマン

2022-12-09 11:09:29 | 日記

テレビから「菊花賞」と聞こえてきたので、あさイチで競馬の話?と思ったら、「吉川晃司」だった。

コタツ以外では暖房をつけないと言った手前、寒い音楽室でダウンジャケットを来てヴァイオリンの練習をしたら、ジャケットが厚いせいで鎖骨にヴァイオリンが乗らない。観念して暖房をつけた。ドイツに見習って設定温度は19度である。

次も発言に行動が伴ってない例。「100円を切らなきゃ野菜を買わない」と言ったが、白菜1個まるごと150円なら買う。

逆に、99円でも1/4カットなら買わない。ネギも、99円でも1本なら買わない。

パーマンの主題歌を口ずさんでいて、「じそくは、きゅーじゅー○○キロだい」の○○が「いち」だったか「はち」だったか失念した、とブログに書いたら、お友達が、パーマンの歌は「じそーく119キロはスピード違反じゃなーいよ」である旨のコメントを下さった。ふふーん、多分、パーマンにはリメイクがあるんだな、お友達の歌はリメイクの方なんだな、きっとアップテンポなんだな、と推測したら当たり。なぜそういう推測をしたかというと、「オバケのQ太郎」がそうだからだ。私が見てたのは1965年から1967年に放送されたヤツで、主題歌は「きゅー、きゅー、きゅー(チャーララーラーラ)おーばーけーのきゅー(チャンチャン)」。その後1971年にリメイクが登場し、そっちの主題歌は「あのね、きゅーたろうはね」で始まるテンポが速い歌である。

それにしても、オバキューとパーマンの第1作の主題歌は、リメイク版のそれと比べるといかにものどか。牛車の歩みを連想する。こういう歌を歌って育った私は、本質的にカントリーマン。「のどか」で「牛車」を連想するのも、育った町(一応横浜市)では実際に通りを牛車が闊歩していたから。当時、たまに横浜線に乗って都会(横浜市街)に出ると頭痛がしたものである。その理由は何だったんだろう?空気の違いか、喧噪が神経にさわったのか……

ところで、「91km」か「98km」かの疑問はYoutubeを聞いて即座に解決。91kmであった。いずれにしても100km未満だ、遅い、と思うのは主題歌がゆっくりなせい。ジェット機が離陸できるスピードではないが、自動車なら高速道路でしか出せないスピードである(私が免許をとってすぐに親が3万円で買ってきてくれた「サニー1000」で、友達を乗せてドライブをしたとき、高速道路で90kmに迫ると天井がガタガタ言ってはがれて飛んでいきそうになり、友達はふるえあがっていた)。

因みに、オバケのQ太郎は日本のお化けなのに対し、ライバルのアメリカ出身のお化けのドロンパはQ太郎が苦手な変身が得意。当時の日米の国力の差を思わせる能力の違いであった。


ロマネスコでシュクメルリを作って手のひらを返した件

2022-12-07 21:45:16 | グルメ

野菜が安くなってきた。100円を切らなきゃ買うもんか、と私が一方的に戦いを挑んでいる近所のスーパーに、ここに来て99円の値札が雨後の竹の子のように林立し始めた。ロマネスコもその一つ。

これ、最初見たときは、なにこれ化け物?と思った。だが食してみると、カリフラワーより歯ごたえがよく、ブロッコリーのようにざらざらしてなくて絶妙な食感。それが99円だったら「買い」である。

昨日のあさイチで、ジョージアの郷土料理のシュクメルリを作っていた。ジョージアと言えばワインの故郷。その郷土料理であれば挑戦しないわけにはいかない。最後にクミンを足していたが、まかせてちょうだい!クミンはウチにわんさとあるのだよ。と、いうことで、昨夜はこれ。あさイチではカリフラワーを使っていたが、それに代えてロマネスコ。さらに、あさイチではマッシュルームを使っていたが、もっとお安く手に入るブナシメジで代用。こうした代用品のせいだろうか、シュクメルリは「白い料理」のイメージなのだが、私の料理はいまいち白くない。

それよりも、失敗を予感させる最大の要因はミルク。低脂肪牛乳を使ったことだ。いかにも味が薄そうなのにそれを使った理由はお値段。成分無調整は10円値上がって159円だが、低脂肪牛乳は99円のまま。スーパーに戦いを挑んでいるドン・キホーテとしては当然の選択だが、お料理としては負けを予感。だが、美味しかったよ!ニンニクと牛乳って合うんだねー。ニンニクの臭い消しに牛乳、って話は聴いたことがあるが、そもそも味的にこの二つは絶妙のパートナーであった。低脂肪であることは妨げにならないどころか、逆に上品さを加味したようであった。まあ、これがホントにシュクメルリの味なのかどうかは不明だが、とりあえず、私が「シュクメルリ」だと言って「旨い」と言えば、そういうことになる(誰も反論の材料を持ってない)。因みに、テレビで見るタレントさんの食レポには決まったパターンがある。まず、一口口にしたら「うーん」と言い、次にちょろっと食感がどうだとか言った後で、「美味しい」と言う。すぐに「美味しい」と言わないところがポイントらしい。

ジョージアは、ジョージア政府が「こう呼んでね!」と言ってる国際名だが、いかにも英語っぽい(アメリカのジョージア州と同じ読み)。ジョージアの人はこうは呼ばないよなぁ、と思ったら、彼らは自国を「サカルトヴェロ」と呼んでるらしい。私達だって、国際的には「サムライ・ジャパン」とか言ってても、国内で「ジャパン」とか言わないし。でもヒロミ・ゴーなら言いそう?「ジャプァアーーーーン」とか。郷ひろみって、以前はファンじゃなかったけど、最近は、私より年上なのに、若作りしてがんばってる姿を見て立派だなー、と思うようになった。そんなこと言ったらもっと感心するのはキング・カズ。同じく、以前はファンじゃなかったけど、50過ぎてサッカーの現役なんてすごすぎ。手のひらを返して応援してます(最近は、日本国中で、サッカーがらみの「手のひら返し」が流行ってるらしい)。

私製のシュクメルリに戻る。ひときわ白い塊はカブ。私にとってカブは北条……じゃなくて(血なまぐさいっ)、豊穣のシンボルである。子供の頃読んだ童話の挿絵で描かれた畑のカブがなんとも旨そうだったからだ。それがなんの童話だったかは全く記憶がない。

 


喰ったうつぼが化けて出たら

2022-12-07 09:26:21 | グルメ

朝ドラのヒロインが学ぶ航空学校は、脱落した学生の分、残った学生の居住空間が増えた。わが家のベランダに残されたバジルも、以前は多くの仲間と分け合っていた水を今は独占しているが、今朝見たら葉っぱに黒いしみが出始めた。そろそろ潮時である。それにしても、ベランダにいると暑いくらい。この場所を捨てて、わざわざ「北の部屋」(書斎=音楽室)にこもって作業をするのはエネルギー的に非効率。冬の間はベランダを書斎にしようかしらん(そしたら、ノートパソコンがいるし、折りたたみ式デスクもいるし(買い物の言い訳を無理矢理作ってる感あり))。

その朝ドラ、前作があーだったのは脚本の共作のせい。その点、今作は……と思ったら、今作もまさかの共作。そのせいか、評判ががた落ちだそうな。共作でうまくいくはずはない。古今の名作で共作と言っていても大抵はウソである。例えば、ビートルズの楽曲のほとんどは、レノン&マッカートニー作となっているが、実は曲ごとにレノン(ジョン)作とマッカートニー(ポール)作に分かれている。曲想が全然違うから一聴して分かる。藤子不二雄だって同じ。藤本作品は「どらえもん」「パーマン」のようなほんわかタッチのものなのに対し、我孫子作品は「怪物くん」「笑うセールスマン」のようにおどろおどろしい。ふと、「パーマン」の主題歌を口ずさんでみた。「♪じそくは、きゅーじゅー○○ちキロだい」……○○の部分が「はち」(98km)なのか「いち」(91kim)なのかを失念した。いずれにせよ100キロ未満であり、飛行機(人力飛行機を除く)なら離陸できない速度である。

さて。先日「昼食が必要か?」って書いたが、もし昼食がなくっちゃうと、多くの飲食店や惣菜屋さんが困るほか、NHKの「サラメシ」とテレ東の「昼メシ旅」も影響を免れないだろう。ところで、この二つの番組は、どちらがより視聴者に浸透しているのだろうか。一度、「サラメシ」に出た人が「昼メシ旅」と勘違いしてたことがあって、へー!と思ったのだが、逆に、「昼メシ旅」でマイクを向けられて「いつも見てます」と答えた人の何割かは「サラメシ」と勘違いしているように思えた。平日毎日放送している点では「昼メシ旅」に、公共放送である点では「サラメシ」にアドバンテージがある。因みに、わが家では、土曜日の競馬中継があるし、ジャパネットの通販番組をたくさん放送してるからテレ東の視聴率が平均よりも相当高いはずだ。遡ってテレ東が「東京12チャンネル」と言ってた頃も、「金曜スペシャル」「プレイガール」等々お気に入りの番組が多かった。因みに、「プレイガール」に出ていた應蘭芳は「マグマ大使」のモル役である。最近テレビで観た秋田の道祖神が一瞬マグマ大使に見えたのは、藁の色(金色)と髪型(落ち武者風)のせいである。マグマ大使とモルの夫婦にはガムという子供がいるが、この子は二人に子供が欲しいとせがまれてアース様がこしらえたものであり、厳密には二人の子ではない。その意味では、妖怪人間ベム、ベラ、ベロの関係と同様である。

秋田と言えば、以前、正月に急に思い立って秋田新幹線に乗って男鹿半島に向かったことがあったが、なんの下調べもせず、宿もとらずに向かって男鹿半島の先端に行くバスに乗ったら、運転手さんが、「帰れなくなるから途中で引き返した方がいい」と言うので言うことを聞いて途中下車し、そこでイクラ丼を食べて帰りのバスを待ってたらさっきのバスが来て、それに乗って街にたどり着いた。次は、準備万端整えてリベンジしたいと思っている。それにしても、あさイチの各県の紹介コーナーは、旅慣れた人向けなのか、ご当地の「定番」をあまり紹介せず、変わったものばかり紹介する(この点、普通の舞台を見飽きた聴衆を満足させるため奇妙きてれつな演出をするヨーロッパのオペラの演出家と似ている)。私は、旅慣れてないので定番を知りたい。例えば、長野なら、ケーキのモンブランよりも諏訪湖のワカサギのことを知りたい。とか言いながら、高知県の回で、カツオに代わって紹介されたウツボには多いに興味が沸いた。と思っていたら、その直後に行った中華の薬膳料理のお店で料理になって出てきて驚いた。

結構、美味であった。「料理になって」と書いたが、料理でなければどうやって出てくるのだろうか。水がないから泳いでは出てこれないし、厨房から這って出てくるのも大変そう。化けて出てくることはあるやもしれぬ。その場合は、「お前だって小魚をたくさん喰ったんだから、化けて出られる道理はない」と橋田壽賀子のドラマの台詞のようなことを言って撃退してやろうと手ぐすねをひいている。


♪言って!言ってーーーーーーー!(カーサクラシカのセッション)

2022-12-06 10:15:12 | 音楽

昨夜のカーサクラシカのセッション(ピアノは金澤さん)は、最後に「自由撮影タイム」。今回のブログの冒頭写真はこの一択である。

そう言えば、何年か前、ヴォーチェス8を聴きに行ったとき、アンコールでメンバーが聴衆に向かって「トクベツニ、シャシン、OKデース」と言ったので撮った。メンバーの出入りの激しいVoces8だが、このときはエミリアさんがソプラノにいた。私は、このときのVoces8が一番好きである。

評判を聞きつけてきたのだろう、昨夜のセッションに新顔が数人いた(人のことを「新顔」とか言ってるが、私だって、ここのデビューは今年の1月である)。その新顔さんたちが揃って上手。ますます高レベルな会である。

昨夜は出番が三度廻ってきた。以下、ワタクシの演奏内容(私のブログなので)。すべてカウンターテナーによる歌唱だが、ヴァイオリンのオブリガートを付けた曲もある。

一巡目。ストラデッラの「Crocifissione」からレチタティーヴォとアリア。前奏と後奏と歌の合間にヴァイオリンを弾いた。この日の新顔さんの中にはブラームスのソナタを弾いたヴァイオリンの達人がいて、ど、どうしよう、と思ったが、結局は自分との戦いである。ということで決行。だが、さすがに、達人の目の届くところにマイ楽器を置くのは避けた。どう見ても、値段の桁が二つ以上違う(達人の楽器は縞々模様がたくさん付いていた)。因みに、楽譜はこんな感じ。

ぱっと見、何が変かと言ったら、「Alt」と書いてあるのに、そこから急に音が低くなること。「Alt(o)」は「高い」という意味なのに、である(例えば、アルトビールは上面発酵のビールのこと)。まあ、テノールより高いから「アルト」なのだが、ソプラノやヴァイオリンよりは低いということである。なお、ストラデッラはバロックの作曲家で、いいなと思う歌をたくさん書いているので現在マイブームである。多くの女性と浮名を流し最後は相手の女性の男に殺されたその道の達人でもある。

二巡目は、シューベルトの「漁師」(Der Fischer)。「野バラ」と同じ有節歌曲(同じフシで、1番から4番まである)。曲目紹介で「りょうし」と言ったあと、「ハンターではなく、魚をとる方」と補足した。両者の発音が同じなのはなぜだろう……その考察は別の機会にするとして、この歌の歌詞の内容である。漁師が魚を釣ってたら水から女性が出てきて……ってことは「水」は「沼」だと思われる。ドイツの童話によく出てくるパターンで、この女性は怖い妖精(妖怪?ベラ?)に違いない。案の定、漁師を水に引きずり込んで漁師の姿は見えなくなった、で終わる。この殺戮の物語に付けられた音楽は一貫して明るい。だから、場面分けは発語ですることになる。最後の「nicht mehr」(もはや、見えなくなった)を消え入りそうに歌うのがその例である(私らしくなく、ふざけないで真面目なことを書いている)。

三巡目は、バッハの復活祭オラトリオBWV249からアルトのアリア。16音符のメリスマが続くあたり、おなじみのバッハである。頻繁に出てくる歌詞「♪Saget,sa---(メリスマ)------get mir geschwinde」は、私流に訳せば「言って!言ってーーーーーーー!私に早くぅ」。一般的には「早く私に言ってください」と訳されているが、逐語訳としては拙訳の方が雰囲気が出ていると思う。因みに、何を早く言って欲しいのかと言えば、「どこでイエスを見つけることができるか」である。

以上。とーっても(いつも通り)有意義な時間であった。そもそも、ここに来て演奏させてもらうのは、家で練習してるだけでは技術は磨けない、こういうところで演奏することで実力がアップするから。みんなそう思ってるので人が集まる。加えて、達人たちの技を聴くのも勉強になるし、励みにもなる。飲食をしながら、というのもここのセッションの特徴である。私は、ここでは必ずワインを1本注文する。

これを空けた後、さらにデカンタを頼むか否かが私の体調のバロメーター。昨夜は頼んだ。体調は良いようである。

そんな金澤さんのセッションは、今年は昨夜が最終で、スタッフの方々に「よいお年を」と言いつつ、ああ、そんな時期なんだなぁ、と思った。大人になって時間が過ぎるのが速くなるのはときめきがなくなるから、とチコちゃんが言っていたが、昨夜くらい毎日が充実していたら、さぞかし時間の歩みもゆっくりになることだろう。


カラータイマー

2022-12-05 10:13:23 | 日記

人が作ったモノを食べて「おいしい」。それに対して作った人が「うれしい」。韻を踏んでいる。

「うれしい」と言えば、議員に当選した人が「ばんざい」と言って喜ぶのが不思議である。普通、大仕事が待っていればはしゃがないだろう(クロアチア戦を前にした日本代表は戦いの前に「ばんざい」とは言わないだろう)。だが、「なぜ?」と聞くのは無駄である。「国民・市民のために身を粉にして働くことがうれしい」と言うに決まってるからである。それがホントならありがたいのだが。因みに、「ばんざい」も好かないが、左手を腰にあてて右手を突き出す「がんばろー」もワンパターンで野蛮できらいである。資格予備校の講師はよくこのポーズをとらされるが、私は幸いにしてやらされたことはない。

実は、私は、寅マンである(スーパーマンの出来損ないがパーマンであるごとく、ウルトラマンの出来損ないはトラマン=寅マンである。漢字の「寅」を使ったのはお酒が好きだから。だが、最近、家飲みは控え気味。昨日も飲まなかった。これが心身トータルでプラスかマイナスかは今後明らかになるだろう。少なくとも、最近は好調である)。寅マンだから胸にカラータイマーがあり、エネルギーが足りてるときは青色だが、

足りなくなると赤になる。

ウソである。因みに、嘘つきは泥棒の始まりと言うが、もし、人間がウソをつけない生き物なら、議員に当選して万歳を叫ぶ人が万歳の理由を聞かれたら「名誉と利権と乗車パスを手にしたから」と言うだろう。なお、私の周りには正直者であふれているから、音楽をする私のメンタルは常に崩壊寸前である。じゃあ、カラータイマーじゃなければ何か?というと、ヒーター付きベストの電源ボタン兼温度調節ボタンであった(「強」が秋、「中」が白、「弱」が青)。この冬(そう、もう立派な冬である)、コタツを出したが、暖房はまだ使ってない。理由は、政府の節電要請に応えるためと、自らの生活防衛のためである(高騰する電気代対策である)。その場合、猫はコタツで丸くなる♪からいいが、私はどうやって寒さを乗り越えようか?考えた末に、上はヒーター付きベスト、下はダウンパンツという案が固まり実行に移したのである。これで万全のはずであった。結果はどうか?さ、寒い。ベストは思ったほど暖かくない。しかも、モバイルバッテリーが「強」だと4時間で底をつき、充電に一晩かかる。ダウンパンツも買ったばかりでまだ膨らんでないせいか効果を感じられない。アラジンのトースターは買って大正解だったが、防寒グッズの方は現在のところ期待外れである。

しかし、もっと寒い思いをしているのはベランダのバジル。ほぼ収穫を終えたのだが、寒いなかどのくらいがんばるのか実験しようと思って数本だけ残している(バジルは一年草というが、暖かい地域では冬を越すという)。

いまのところ元気である。それどころか、収穫を終えた株の茎から新芽が出てきた。

上の方の話に戻る。左手を腰にあてて右手を突き出して言う台詞が「がんばろー」でなく「ばかやろー」だったら言ってみてもいいな、と思った(これはウソではない)。