拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

音楽に寄す(のは止す)

2022-12-15 10:26:13 | 音楽

♪ねーこーはこーたつーでまーるくーなる!にんげんも!(字余り)

こうしたぼーっとした生活が効を奏したのか、連夜の記録更新、昨夜の血圧の上は101だった。実は、血圧が低いときは分かる。ぬるい風呂に長く浸かって出たとき、あっ、低い、と思う。そういうとき測るといい記録(?)が出る。それにしても101とは低い。あともう少しで低血圧である。暑い暑いと言ってたら秋を通り過ぎて急に冬になったよう。「ちょうどいい」がないところは私らしい。

さて。シューベルトの歌に「音楽に寄す」(An die Musik)という歌がある。きれいな歌だしお友達もよく歌っている。この際だ、勉強してみよう。「an」は「誰々に」という宛名を表す前置詞だから、音楽に宛てたお礼文書みたいな歌である。そのお礼の内容というのは、「辛いとき、音楽が私を癒やしてくれた。ありがとう」というもの。なるほど、例えば、誰かにふられて落ち込んでるとき音楽を聞いて立ち直った、そういうこともあるだろう。だが、もし「辛いとき」が「音楽をやってるとき」だったらどうだろう。歌も楽器もちっとも上手くならない、聞こえてくるのは「下手!」「やめちまえ」「耳障りだ」と言った声ばかり。この場合、音楽は辛苦を癒やす存在ではなく、辛苦をもたらす原因である。そして、笑点を見て笑ってその辛苦が癒やされたのなら、感謝の歌のタイトルは「An ”Schoten”」(笑点に寄す)。そのイントロは♪チャンチャラチャラララ(ソッソソソドラソ)、チャンチャン(ラッラッ)、プワ……である。

笑点と言えば、亡き円楽さんが、「オレが出てないんで笑点はつまらない」と言っていたが、ホントである。つうか、追悼で大昔の笑点の映像をみると、今よりはるかに面白い。因みに、故歌丸さんは、円楽(楽太郎)さんと犬猿の仲という設定だったが、大昔は小圓遊と犬猿の仲だった。ところが二人が仲良くやってるCMが流れて、「テレビのウソ」にちょっぴり触れた少年のワタクシであった。歌丸さんと円楽さんも実は落語会を一緒にやる程の仲良しだった。カラヤンとベームは、両者の生前、対極の位置に置かれていたが、ベームのなんかのイベントのときカラヤンがスピーチをして「カール!」と呼びかけたのを見て、なんだ、ファン同士ほど犬猿の仲じゃないんだ、と思ったものだ。因みに、クリスタ・ルートヴィヒ(超メゾ歌手)にイゾルデ(ソプラノの難役)を歌わせようとしたカラヤンのことを、ベームは「困ったものだ」と言っときながら、「自分とならできる」と言ったそうである。軽薄なカラヤンVS実直なベームの構図が私の頭の中でがらがらと崩れていった原因の山ほどあるうちの一つである。