拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ドルチェ

2022-12-20 11:04:16 | 言葉

ベランダから眼下の駐車場を眺めていたら、車から降りて釣り竿を持って運河方面に歩いていく人がいた。あの人は、これから魚を騙しにいくんだな。そう、釣りは「フィッシング詐欺」というくらいだから騙す行為である。だが、刑法の詐欺罪にはならない。詐欺罪は、「人を」騙す罪だからである。

メッシやそのチームメイトにも、日本の温泉の「タトゥーお断り」の適用があるのだろうか。以前、ある作家がトーク番組で「実はタトゥーを入れてるんです」と言って、足に彫ったヤツを見せていたが、それがえらく小さくて、普段真面目な優等生のささやかな反抗に感じられた。だが、メッシたちのはそれとは比べものにならないほど派手。そう言えば、以前、当ブログに「縄文時代の日本人はタトゥーを入れていた」と書いたが、縄文時代だけではない。「魏志倭人伝」にも「倭人はタトゥーを入れている」とあるから、われわれのご先祖様は、弥生時代までタトゥーを入れていたようだ。その作家の名前が出てこない。「女性作家 官能小説」でググったら出てきた(その「官能小説」は何冊か持っている)。それから、こないだ見た夢に出てきた俳優の名前も出てこない。その俳優が若い頃率いていたグループにいた別の俳優の名前から引っ張ろうと思ったらその俳優の名前も出てこない。その俳優は「男女七人秋物語」に出ていたことは覚えている。そこから柳葉敏郎を思いだし、そこから哀川翔を思い出した。この人が夢に出てきた人である(ファンではないのに、なんでこの人が夢に出てきたかはまったく不明である)。

アルゼンチンとフランスはどちらも強豪国だから、アルゼンチンが勝ったからといって「どんでん返し」とは言えないが、朝日杯に出走した「ドンデンガエシ」が優勝したならば、それは名前通り「どんでん返し」であった。

だが、「どんでん返し」は起こらなかった(12着)。

それから、「ウメムスビ」と聞いて、私は梅干しの入ったおむすびのことだと思い、食べたい、と思って馬券を買ったのだが、

「梅結び」とは、ご祝儀袋のヒモの結び方であることを後から知った。この勘違いが災いしたのか、ウメムスビの馬券も紙くずになった(15着。実際は、ネットで購入しているから、「馬券」という紙があるわけではない)。

こんなことを書いていると、当てる気があるのか?と言われそうだが、「ある」である。珍しく単勝を買った「ドルチェモア」は、

見事に一着でゴールイン。ま、ただ、この馬券を買ったのも、馬名がきっかけである。「dolce」は、「柔らかく弾け、吹け、歌え」という意味の音楽用語。もちろん、音楽用語は「後から」であり、そもそもは日常的に用いられるイタリア語である。男女間の「甘いささやき」の場面にも相応しい言葉である(書いてて、腹がたってくる)。スイーツを思い浮かべる人も多そう。その「ドルチェ」が「モア」ってことは、「もっと甘く」ってことだろうか(今調べた。当たりらしい)。それだと、イタリア語と英語のチャンポンである。まあ、いいのだろう。「Voces8」だって、イタリア語と英語のチャンポンである。その昔、(私以外)インテリばっかの合唱団のパーティーで、私が「gute voce」と言ったら、インテリたちから「ちゃんぽん」との総攻撃を受けたが、今なら、「Voces8」の例を出して反論したところである。

今日は、晴れていい天気。筑波山にでも登りたいところだったが、昨日もられた毒が抜けない(義時か!)。なので、近所を徘徊するのにとどめよう(私にアルコールという名の毒をもったのは私。この表現はドイツ語の再帰動詞的だ(Ich もるえ mich。この動詞の不定詞は「もるん」。変化形は、Ich もるえ、Du もるすと、Er もると、Wir もるん、Ihr もると、Sie もるん……である(嘘八百を何真面目にやってんだか ))。