拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

濡れ落ち葉と徘徊(注:ポジティヴな話)

2022-12-16 09:40:48 | 日記

うちの娘たちは、ハンディモップを見るとたちまち臨戦態勢に入り攻撃する。それを防ぐため、本棚の中段あたりに置く。ここなら猫達も手が出ない。天敵の攻撃を防ぐために絶壁の中程に巣を作る鳥と同じである。なお、山羊が絶壁を昇るのは食べ物を求めてのことだそうだ。

早期退職した夫が濡れ落ち葉になったという話を複数の妻殿から聞いた(2人でも100人でも複数である)。耳が痛い。私も、今春廃業したから一種の早期退職組(ただし、一般の方々と違い、退職金はない。先納していた会費が戻ってきた雀の涙が退職金代わりである)。廃業するときは、今後はカレンダーを作って、発声練習をして、あの楽器やこの楽器を練習して、ドイツ語の復習をして……等々、盛りだくさんな計画だった。ところが、いざ廃業してみると、だら~っとしてしまっておよそ計画にはほど遠い。おまけに、歌関係の会や団体を四つ(!)辞めたり休んだりして、自分的には濡れ落ち葉の気分であった(収穫したベランダのバジルはやはりジップロックに入れて冷凍するべき。冷蔵だと水が出て色が変わってくたくたになってまさに濡れ落ち葉である)。だが、上記の妻殿の一人は「イージマさんはアスリートだからマシ」とおっしゃってくださる。なにをもって私をアスリートと呼ぶかと言うと、徘徊にいそしんでいる、そのことらしい。いや、「徘徊」とは「目的もなくうろつく」ことだから、目的地を定めて闊歩する私のは徘徊ではない。じゃあ、なんと言おう?ウォーキング?私は日本男児である。カタカナなど使って喜ぶやわな人間ではない。そうだ、ヴァンデルンと言おう(カタカナじゃんけ。因みに「じゃんけ」をドイツ語読みすると「やんけ」となり関西弁になる)。だが、「wandern」は多義であり、「彷徨う」という意味もある。すると「徘徊」に近づいてくる。「徘徊」から逃れようと思って、ウォーキング→ヴァンデルンと巡って、最後に徘徊に戻る感じである。

いずれにせよ、現在私は、ランニングハイならぬ「徘徊ハイ」状態のようで、マンションの前の道に降り立つと、とたんにスイッチが入ってゼンマイ仕掛けの人形になる(シャカシャカ歩き出す)。昨日も、遠出をしたわけでもないのに歩数は14000歩を超えた。これが活力を生み、ストレスが解消する。久しぶりに楽譜作りなどもしている(楽譜を作ってるときは間違いなく幸せである)。血圧が下がったのはそのせいもしれない(下がりすぎて目の前にあるのは低血圧の危機。何事も、ちょうどいいところでは止まらない。ハイパー円安の次は、再び円高だろうか)。

スマホに万歩計を入れてから、スマホを忘れずに持ち歩くようになった(以前は、急なおデートのお誘いも、待ち合わせ時間の変更の連絡もないからスマホがなくても事足りるため、しばしばスマホを家に置き忘れた)。スマホと言えば、今、ペイペイ等のスマホ決済がどうなのかな?と思ってる。結構な割引があると言って宣伝している。通販系のクレジットカードで決済してポイントをためるよりお得なのだろうか。

あらためて写真を見ると、断崖絶壁の「巣」の一つに軍手がおいてある。今年、私的なヒットアイテムの一つである。