拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

♪言って!言ってーーーーーーー!(カーサクラシカのセッション)

2022-12-06 10:15:12 | 音楽

昨夜のカーサクラシカのセッション(ピアノは金澤さん)は、最後に「自由撮影タイム」。今回のブログの冒頭写真はこの一択である。

そう言えば、何年か前、ヴォーチェス8を聴きに行ったとき、アンコールでメンバーが聴衆に向かって「トクベツニ、シャシン、OKデース」と言ったので撮った。メンバーの出入りの激しいVoces8だが、このときはエミリアさんがソプラノにいた。私は、このときのVoces8が一番好きである。

評判を聞きつけてきたのだろう、昨夜のセッションに新顔が数人いた(人のことを「新顔」とか言ってるが、私だって、ここのデビューは今年の1月である)。その新顔さんたちが揃って上手。ますます高レベルな会である。

昨夜は出番が三度廻ってきた。以下、ワタクシの演奏内容(私のブログなので)。すべてカウンターテナーによる歌唱だが、ヴァイオリンのオブリガートを付けた曲もある。

一巡目。ストラデッラの「Crocifissione」からレチタティーヴォとアリア。前奏と後奏と歌の合間にヴァイオリンを弾いた。この日の新顔さんの中にはブラームスのソナタを弾いたヴァイオリンの達人がいて、ど、どうしよう、と思ったが、結局は自分との戦いである。ということで決行。だが、さすがに、達人の目の届くところにマイ楽器を置くのは避けた。どう見ても、値段の桁が二つ以上違う(達人の楽器は縞々模様がたくさん付いていた)。因みに、楽譜はこんな感じ。

ぱっと見、何が変かと言ったら、「Alt」と書いてあるのに、そこから急に音が低くなること。「Alt(o)」は「高い」という意味なのに、である(例えば、アルトビールは上面発酵のビールのこと)。まあ、テノールより高いから「アルト」なのだが、ソプラノやヴァイオリンよりは低いということである。なお、ストラデッラはバロックの作曲家で、いいなと思う歌をたくさん書いているので現在マイブームである。多くの女性と浮名を流し最後は相手の女性の男に殺されたその道の達人でもある。

二巡目は、シューベルトの「漁師」(Der Fischer)。「野バラ」と同じ有節歌曲(同じフシで、1番から4番まである)。曲目紹介で「りょうし」と言ったあと、「ハンターではなく、魚をとる方」と補足した。両者の発音が同じなのはなぜだろう……その考察は別の機会にするとして、この歌の歌詞の内容である。漁師が魚を釣ってたら水から女性が出てきて……ってことは「水」は「沼」だと思われる。ドイツの童話によく出てくるパターンで、この女性は怖い妖精(妖怪?ベラ?)に違いない。案の定、漁師を水に引きずり込んで漁師の姿は見えなくなった、で終わる。この殺戮の物語に付けられた音楽は一貫して明るい。だから、場面分けは発語ですることになる。最後の「nicht mehr」(もはや、見えなくなった)を消え入りそうに歌うのがその例である(私らしくなく、ふざけないで真面目なことを書いている)。

三巡目は、バッハの復活祭オラトリオBWV249からアルトのアリア。16音符のメリスマが続くあたり、おなじみのバッハである。頻繁に出てくる歌詞「♪Saget,sa---(メリスマ)------get mir geschwinde」は、私流に訳せば「言って!言ってーーーーーーー!私に早くぅ」。一般的には「早く私に言ってください」と訳されているが、逐語訳としては拙訳の方が雰囲気が出ていると思う。因みに、何を早く言って欲しいのかと言えば、「どこでイエスを見つけることができるか」である。

以上。とーっても(いつも通り)有意義な時間であった。そもそも、ここに来て演奏させてもらうのは、家で練習してるだけでは技術は磨けない、こういうところで演奏することで実力がアップするから。みんなそう思ってるので人が集まる。加えて、達人たちの技を聴くのも勉強になるし、励みにもなる。飲食をしながら、というのもここのセッションの特徴である。私は、ここでは必ずワインを1本注文する。

これを空けた後、さらにデカンタを頼むか否かが私の体調のバロメーター。昨夜は頼んだ。体調は良いようである。

そんな金澤さんのセッションは、今年は昨夜が最終で、スタッフの方々に「よいお年を」と言いつつ、ああ、そんな時期なんだなぁ、と思った。大人になって時間が過ぎるのが速くなるのはときめきがなくなるから、とチコちゃんが言っていたが、昨夜くらい毎日が充実していたら、さぞかし時間の歩みもゆっくりになることだろう。