拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ボレロのリズムでは走れない

2022-12-11 18:22:40 | 音楽

「ラベル」ではなく「ラヴェル」なんだから、馬主さんはモーリス・ラヴェル(フランスの作曲家)に因んで命名したのだろう。にもかかわらず馬を紹介するアナウンサーはそのことに思いがいかなかったらしく、「ラヴェルのレヴェルがどうのこうの」と言った駄洒落でお茶を濁す。私なら、「ボレロのリズムで突っ走る」とか言ったろう……いや、馬がボレロのリズムで「タッ、タタタ、タッ、タタタ、タッタッ」と走ったらダメだ。最後の「タッタッ」でブレーキがかかりスピードが出ない(ジョルジュ・ドンの踊りのように、上下運動には向いていると思う)。そのせいだろうか、ラヴェルは4番人気だったが結果は11着。惨敗である。それでも、クラシック音楽ファンを自認しているし、バロックと言えばフランスだから、今後もこの馬の馬券を買わないわけにはいかないのである(以前「バッハ」が名前につく馬の馬券を買い続けたのと同様の心理である)。

このレースで、もう一頭私が軸にしたのは「ミスヨコハマ」。

私が横浜育ちのため。この馬名でいしだあゆみが浮かんでくるのは「ブルーライト・ヨコハマ」のせい。この際である。横浜がらみの歌の疑問をいくつか吐き出そう。
疑問その1。「ブルーライト・ヨコハマ」の「ブルーライト」って何?時代が時代だから、青色発光ダイオードや眼鏡のブルーライトカットとは関係なさそうだが。
疑問その2。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の「ヨーコさん」ってヨコハマ・ヨコスカの「ヨコ」?つまり駄洒落?
疑問その3。「よこはまたそがれ」の歌詞の「ホテルの小部屋」のホテルってラブホ?
以上のうち、その1については早々に答が分かった。「港の見える丘公園から見える横浜と川崎の工業地帯の夜景」なのだそうだ(Wiki)。

なお、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」の「伊勢佐木町」は、横浜港にほど近い繁華街の地名である。私は、中学生の頃、頭痛覚悟で横浜線に乗って市街に来る目的の多くは、伊勢佐木町にあったハマ楽器で楽器やレコードを買うためである。私が中一のときに初めてオペラのレコード(リゴレット)を親に買ってもらったのもここである。今は、その場所に音楽教室があるらしい。

さて、そのミスヨコハマだが、11番人気で9着だった。あらま、ラヴェルに先着したんだねぇ。

馬名のせいで馬券を買わざるえない馬は、現在はこんなところ。
「ムジカ」(文字通り音楽)
「オーベルニュ」(カントループ作曲の「オーベルニュの歌」を女声歌手が結構とりあげている)
「ソフトフルート」(クラリネットを吹くと血圧が上がるが、フルートを吹くとどういうわけだか血圧が下がる)
「カテドラル」(室内合唱団が定期演奏会に使わせてもらってた)

因みに、かつての朝ドラ「てるてる家族」で描かれた一家は、いしだあゆみさんのご実家である。


「破天荒」は封印

2022-12-11 12:04:04 | 日記

昨日の歩数は17218歩。日付が変わってからの3600歩は実質昨日の数字だから、これを足すと2万歩超えである。なんだ、元気じゃん?それどころではない。瞬間ではあるが、血圧が120を記録(下が、ではない。それだったら死んでる。上が、である)。こんなことでは「体調不良」も看板倒れである。いや、これでも一応は体のことを考えて、日々、徘徊してるし(この言い方!)、酒量を減らした。つまり、家飲みの量を減らし、おデートでたくさん飲んだ翌日は家では飲まなくした(この文には一部ねつ造があるかもしれない。例えば歌の会の反省会で飲んだ仲間をデートのお相手にすり替えるといったねつ造である)。私の辞書に「休肝日」という言葉が載ったのは最近のことである。こんなことでは「破天荒」が泣くが(え?「破天荒」をウリにしてたっけ)、やはり長生きしたいのである(もう一度、ドイツの黒い森の丘の上にあるSt.Peter(村)に行きたい)。

因みに、血圧が上がる要因を考えてみた。
お酒を飲み過ぎること。
暑いお風呂に入ること。
暖房代をけちって寒い中で暮らすこと。
バッハを歌うこと(血圧が20ポイント上昇する)。
ストレスにさらされること……え?勝手気ままに生きててストレスなんかあるのかって?たしかに、直系尊属が死に絶えて(この言い方!(パート2))、廃業して、電話が鳴らないようにしてるから、外界とのつながりはほぼこのブログのみ(あと、カーサクラシカのセッションと、A合唱団と、U会と……なんだ、結構あるじゃん)。それでも、ときどき遠くから電話のベル音が聞こえると、え?ウチ?とか思ったりする(そんなわけはないのだが)。それだけ、ぼける前の母からの脅迫電話と、ぼけた後の施設からの緊急電話の恐怖が大きかったということ。この記憶がうすらげば、そのとき完全なストレスレスの生活(仙人のような生活)が実現するのだろうか。それとも、ストレスレスが逆にストレスフルとなるのだろうか。少なくとも、電話やチャイムを気にせずベランダで日なたぼっこに耽るひとときは極楽である。