暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

淡路島・師走の茶事-3

2013年12月24日 | 思い出の茶事  京都編
つづき・・・今日はクリスマスイブですね
       干菓子は日課さんの小袖と俵、淡路島名産の胡麻クッキー)

後座は銅鑼の音から始まりました。
高くも低くもなく、のびやかな響きです。
大小中中大の音量も間合いも素晴らしく、魅了される銅鑼でした・・・。

師走の日の入りは早く、薄明りの席中で目をこらすと、
一輪の椿がほの白く浮かび上がってきました。
白い侘助の蕾は細長く、凛と張りつめた気配です。

襖が静かに開けられ、濃茶点前が始まりました。
居前に茶碗が置かれ、仕覆が脱がされると、黒の大棗が現われました。
(この棗にあとで一同びっくり!)
この頃でしょうか、簾が巻かれる音が聞こえてきました。
それでも、明るさは十分でなく、却って暗さゆえに
サウンドスケープの世界へいざなわれたような気がします。

           
                   (椿は西王母) 

目を閉じると、
道具たちの囁く音が音楽のように聞こえてきました。

広口釜の松風はバックミュージックでしょうか?  
かすかな金属音がして蓋が開けられ、釜の囁きは小さくなりました。
湯が汲まれ、茶碗に入る清らかな水音。
茶筅通しのさらさらは心地好くやさしい音でした。

そして、一番感激したのは茶巾で茶碗を拭く音色でした。
あとで伊羅保茶碗と知りましたが、茶巾と伊羅保が奏でる音は
なんて美しく、心に染み入るサウンドなんだろう・・・。

点前中、一つとして気になるような音がないことにも驚きました。
奥伝の稽古の時、名物の道具を扱うので音を立てないように
細心の注意を払っていても、難しいことを実感しています。

見事な点前は目を閉じていても手に取るようにわかり、
心豊かな時間が流れていきました・・・すると、
ぷう~んと茶香が充ち、目を開け、茶を取りに出ました。
香佳くまろやかな濃茶は奥西緑芳園「慶雲」です。

拝見した大棗は、塗りも立ち上がりのふくらみも古色溢れていて、
蓋裏に花押がありました。花押が全く苦手なので
「二の字みたいだけれど、どなたの花押かしら?
 この棗の形、岩淵祐二さんの工房で見た紹鴎棗に似ているけれど?」

大棗は、紹鴎形、宗旦所持でした。
ご亭主が三客Sさまの茶事へ招かれた折、宗旦について話題沸騰したとか・・・。
それで、Sさまのためにも宗旦の棗をお心づかい頂いたのでした。
(さらりと宗旦を使われ、次回は利休かしら? 一同騒然と期待が・・)

仕覆は後の仕立てで紺地一重蔓牡丹金襴。
豪快で繊細な茶杓は無銘ですが、節の下方に大きな窓があるので
「あえて銘をつければ「見通し良し」は如何でしょうか・・」とご亭主。
年の暮れにぴったりの、ユーモアあふれる銘にみんなニコニコ。

            
                (お土産の水仙を生けてみました)

             
後炭ののち、薄茶になり、客一人一人に茶椀を替えて
二服ずつ点ててくださいました。
干菓子は京都・日課さんの「小袖と俵」、薄茶は能勢園「平安の泉」です。

最後に、五つの薄茶茶碗を記し(記憶がおぼろですが・・)、
文字通り、師走の超お忙しい中、
アツイおもてなしをしてくださいましたご亭主に感謝いたします。
愉しゅうございました! みなさま、ありがとうございます。

  〇 夜寒焼(名古屋市熱田近辺にあったが今は廃窯)
    塩げ   降り積もる雪中に二匹の虎(?)
    心惹かれる、侘びた茶碗で薄茶を頂戴しました
    初めて知った夜寒焼にも興味津々です

  
  〇 大樋焼 (九代造)
    掛け分けで数印がありました

  〇 藤堂伊賀の茶碗

  〇 種子島焼
    筒茶碗  竹林に虎と兎が仲良く

  〇 京焼  初代久宝造  小ぶりの茶碗で七宝繋絵(?) 


                   


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淡路島・師走の茶事-2

2013年12月22日 | 思い出の茶事  京都編
                (東福寺庭園)
(つづき)
初炭が始まりました。
ご亭主が「風呂」と銘を付けたい・・という大きな釜は、
大西浄久(2代大西浄清の弟)造の広口釜、鐶はサザエです。
時代を経た蓋や摘みの意匠も好ましく、風格と安心感がありました。
穴や削り跡が残る炉縁は400年前の薬師寺古材、
長い歳月を経てきた木地が愛おしく、そおっと撫でてあげました・・・。

            
             (西ノ京・薬師寺にて

伊勢暦の釜敷に釜が置かれ、畳中央へ引かれました。
小振りの羽箒は青鸞(せいらん)です。
皆で炉縁へ寄り、炉中と炭手前を拝見する一時は大好きな時間です。
主客が呼吸を合わせ、心を一つにする貴重な機会でもあります。
仏道だけでなく茶道の修業も積まれたご亭主はよどみなく、
呼吸(間合い)よく炭手前を進めていきました。

湿し灰が撒かれ、香が焚かれました。
小さな香合は、「古染付 毬挟(まりはさみ)香合」、
型物香合番付西方二段目ですが、初めての出逢いでした。

蹴鞠を入れておく六角形の箱(鞠挟)を表わしていて、
古い年を思いっきり「蹴り飛ばす」の意で使われたとか。
お好みの香は「玄妙」(山田松)、こちらも初めてかしら?

         
                 (薬師寺東塔の水煙)

香合が引かれ、懐石です。

淡路島の特産、3年ものの河豚を使った懐石は、
河豚などめったに口にできない身には夢のようでした。
向付は河豚刺し、河豚真蒸の煮物椀、白子の焼物、八寸は河豚の煮凝りです。

寄せ向うの器がどれも素敵でした。
私は柿右衛門の古鉢、河豚刺しを食べ終わると上品な絵が現われました。
次客は淡路島・眠平焼の皿(染付)、三客は湖東焼の皿(染付)、
この二つは、今は廃窯になってしまった、気になる古陶たちです。

焼物の白子醤油焼が絶品でした。
舌鼓を打ちながら懐石をすべて食し、お酒「而今」をちょっぴり舐め、
次々登場する器を鑑賞し、ご亭主や相客の方々と愉しく語らいました。

この日の懐石は、ご亭主、奥さま、母上さまの合作、
美味しく、温かく、息がぴったりのチームワークがうらやましいです。

もう食べれない・・と思いながら主菓子をしっかりと・・・。
蒸籠に入った、ほかほかの薄皮まんじゅうを頂いて中立しました。
                                      

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淡路島・師走の茶事-1

2013年12月20日 | 思い出の茶事  京都編
          下鴨神社の大木(写真がないので・・・)

12月15日、淡路島のT氏の茶事へお招き頂きました。

四国遍路の折に通過しただけなので、淡路島は初めてでした。
T氏は真言宗寺院の若住職なので、このたびのご縁は
お大師様のお導きかもしれません・・・。

T氏の茶友でもあるSさまに同行して(はぐれぬように後を追って)、
神戸三宮から高速バスで明石海峡大橋を渡り、島をほぼ横断し、
バス停から茶友Mさまのご主人に車で送って頂き、無事到着。
思っていた以上に遠かったです。

初の御目文字にかかわらず、ご指名により正客は不肖暁庵、
次客はT氏の先輩Iさま(徳島より)、三客はSさま、
四客はMさま(淡路島在住)、詰はT氏の茶友Sさま(徳島より)です。

待合(洋間)へ入ると、
テーブルの上に舟の様な煙草盆と粉引の火入がありました。
煙草盆は機織りで緯糸をくぐらせるのに用いる杼(ひ)、
韓国の民具だそうです。

「嬉し悲しの六字あり  宗悦」
と書かれた掛物があり、六字とは嬉し悲しの字数かしら?
あとで伺うと、柳宗悦(やなぎ むねよし)の書で、
六字とは「南無阿弥陀仏」と知り、早や赤面です。

六字を唱えれば、嬉しい時も悲しい時も
仏がいつも一緒におわします・・・ということでしょうか。
その下に、何か書かれた紙が置いてありました。
それは・・・「藤村庸軒師走消息」の読み下しでした。

            

甘酒を頂戴して腰掛待合へ進むと、煙草盆が・・。
根来のような古盆、海揚がりを思わせる陶片の灰皿、漆器の煙草入れ、
(う~ん、私の好みをご存知みたい・・・どれもステキです)
手付てあぶりが人数分用意され、その温もりと精巧な造りに
一同歓声をあげてしまいました。

あとで高野山での修業の折、凍えるような寒さの中、
衣の袖に手あぶりを忍ばせて暖をとったというお話を伺い、
厳しい仏道修行の一端を知ることが出来ました。

迎え付けを受け、閑かに無言の挨拶を交わしました。
蹲で身を浄め、茶室「真清庵」(四畳半)へ席入です。

床の掛物は一目で待合にあった読み下しの本歌
「藤村庸軒師走消息」とわかりましたが、一字として満足に読めません。
当ブログで庸軒流Sさまの茶事へ伺ったことを知ったご亭主が、
何か庸軒流に因むものを・・と考えてくださったそうです。

茶室の淡い光の中、濃淡が美しくリズムのある庸軒の筆運び、
味わい深い表装を目に留めました。
消息は益田鈍翁旧蔵で、表装の一部は鈍翁が手を入れたそうです。

・・・お心入れの掛物に恐縮しながら(汗)
「ありがとうございます。
 これからが(どうなることか?)楽しみでございます・・・」


             
                    金戒光明寺の山門

藤村庸軒は千宗旦の高弟ですが、なぜか身近に感じる茶人でもあります。
2010年の今日庵・宗旦忌で庸軒作の竹一重切・銘「時雨」と出逢い、
たしか楽美術館で庸軒好み「凡鳥棗」を拝見しています。
それに、我が灌雪庵近くの金戒光明寺塔頭・西翁院には庸軒の墓と
遺愛の茶室・澱看席
があるのです(残念ながら非公開です・・・)。

先は長くなりそうですが、よろしかったらお付き合いくださいまし。

                                 

         淡路島・師走の茶事-2へつづく


利休丸壷の煌めき  香雪美術館

2013年12月18日 | 美術館・博物館

12月10日はS先生宅のお稽古(見学)でした。
その日は仙遊之式から始まり、長緒、盆点、大円之草と続き、
頭の中もノートもびっしりになりました。

早めに終わったので、Aさんと香雪美術館へ出かけました。
開館40周年記念名品展(第4期:茶道具編)
 「茶人 村山香雪」 
が開催中で、会期は11月2日~12月23日です。

村山香雪(号)こと村山龍平(1850~1933)は朝日新聞の創設者です。
今回の名品展は、近代数寄者の一人であり、藪内流門下の香雪が
茶会で用いた茶道具約60点が展示されていました。

その中に「村山紹龍翁 藪内茶道皆伝証」(附・薮内竹窓 茶杓)があり、
他流の皆伝証を初めて拝見しました。
龍平翁は「まだそういう資格はない」と皆伝を固辞していましたが、
没後に11代・薮内竹窓より「贈り皆伝」として「紹龍」の茶名が
贈られたそうです(・・・きっと自分に厳しい方なのでしょうね)。

           
            泉涌寺塔頭・来迎院・・大石良雄ゆかりの寺

12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日、
吉良上野介の首に見立てて使われたという籠花入「桂川」が
二階奥に設えた茶室の床に掛けられていました。
伝来は、千利休-少庵-宗旦-山田宗偏-村山家-香雪美術館。

山田宗偏の朱書きのある受筒・箱書・添文も展示されていました。
宗偏は小笠原家の茶道師範として京を離れる時に、不審庵の号と共に
籠花入「桂川」を師・宗旦から授かりました。
その後、職を辞した宗偏は江戸に住み、吉良邸でも茶事指南をし、
赤穂浪士の大高源吾とも茶の湯の親交があったとか。

赤穂浪士は討ち入り後、この花入を上野介の首の代用として
風呂敷で包み、槍の先に高々と掲げ、引き上げたと言われています。
本物の首は、奪還を避けるために舟で泉岳寺へ運ばれました。
有名なエピソードですが、「桂川」に槍幅の繕い傷があることからも
本当の話のようです。
写「桂川」を愛用していますが、やっと本歌に逢えました・・・。

            
             来迎院にある茶室・含翆軒
            (大石良雄が名水が湧くのを喜び、建立した茶室)

            
               弘法大師ゆかりの独鈷水(来迎院)           

今回の展示で、一番のお気に入りは「利休丸壺茶入」!!
(大名物 漢作唐物 中国・南宋代 13世紀)とあり、重要美術品です。
伝来は、千利休-万代屋宗悦-金森長近-可重-後藤徳乗-栄乗-
水野勝成…水野家…水野直-朝吹柴庵-村山家-香雪美術館です。

利休愛器として有名ですが、ガラス越しに茶入を覗き込むと、
中にキラキラと星のように煌めいているものが見えました。
まるで茶入の中に銀河系小宇宙が存在しているみたいです。

褐色の釉薬が掛けられた丸壺の胴には、さらに飴色、焦げ茶、青系など
微妙な色合いの釉薬が重なって景色を作っているので、
それらに光が反射しているのでしょう。
偶然にしろ、煌めく茶入は初めてなので何度も見つめ愉しみました。
ひょっとしたら、利休さんもこの不思議な美しさを愛玩していたのでは?
Aさんも驚いて魅入っています。
百聞は一見に如かず・・・ぜひ香雪美術館でご覧くださいまし。

   

牙蓋二枚など付属品も展示されていて、大きく豪華な挽家にびっくり! 
挽家は幸阿弥作、粉溜山水高蒔絵です。
仕覆は四つ、富田金襴・藤種緞子・しじら間道・紺地仏紋金襴、
どれもなかなか拝見できない名物裂なので、興味深く拝見しました。

他にも「燕庵井戸」「楽長次郎 黒茶碗 銘・古狐」「志野 松籬絵水指」
「染付 雲堂手茶碗」「盛阿弥 利休形 大棗」「古天命 鍋釜」など・・・
気になる茶道具が目白押しでした。

もっと早くに行くべきだった・・・と後悔しています。

                              


播州姫路・師走の茶事-2

2013年12月12日 | 思い出の茶事  京都編
(つづき)
しっかりと庸軒流の炭手前を拝見したつもりでしたが、
ほとんど覚えていませんで残念・・・。

置炉に掛けられた釜は少庵好・巴霰釜、蓋に巴文がありました。
そういえば、大石内蔵助の家紋は巴だったような・・・。

羽根の掃き方は裏千家流の真之炭と同じみたいでしたが、
湿し灰は三回で撒かれました。
炭の種類、名前、置き方が全く違いました。
会釈(えしゃく)炭、煙突炭、黒の枝炭などがあり、
最後に輪胴を中央に乗せ、煙突の役を果たすので煙突炭と言うそうです。

香合は葛屋です。
山科の閑居かしら?と思いましたが、
吉良上野之助が隠れていた炭小屋をイメージされたとか。
香は、ご亭主お好みの黒方(鳩居堂)です。

          
            京都山科・毘沙門堂

お心こもる懐石と菓子を頂き、腰掛待合へ中立しました。
五点鉦を聴き、後座の席入です。

床の長板に目を奪うような赤い照葉と椿が一枝、
照葉は山ぼうし、大神楽の蕾がかわいらしく隠れるようにありました。
長身の黒褐色の花入がぴったりで、花を見事に引きたてています。
花入は揖保川焼・池川みどり造でした。

松頼が聞こえる静寂の内、濃茶点前がはじまりました。
庸軒流の袱紗捌きや所作に見惚れていると、
早や香が満ちて来て期待が高まり、茶筅の動きを見つめます。

一口含むと、何とも言えぬ香り、まろみのある味わい、思わず
「なんて美味しい濃茶でしょう!」
姫路・小林松濤園の「豊昔」と伺ったような・・・?。
訂正です! 成瀬松寿園の「松寿」でございました。
前席のお菓子は「常盤まんじゅう」、
御自製の薯蕷は甘みが程よく、ぬくもりがあり、美味しゅうございました。

魅力あふれる茶道具はどれも時間をかけて慈しんでいるようでした。
ご紹介できないのが残念ですが、侘びの取り合わせもステキでした。

中でも二つの水指が印象に残っています。
濃茶の水指は古常滑の種壺、茶席に完璧に溶け込んでいるのですが、
小振りで細身ながら圧倒される存在感を放っていました。
垂涎の水指でして、またおめにかかれますように。

薄茶の水指は藤絵の揖保川焼、池川みどり造です。
この水指は、3年前に池川みどりさんの個展で目に焼き付いた作品でした。
Sさまが購入され、あの時以来の懐かしい対面です。
「また逢えてよかった!」

          

最後に、二つの茶杓について記しておきます。
濃茶の茶杓は海田曲巷作の銘「長命」・・これからがお茶を楽しめる好機、
お互い元気でお茶を長く楽しみましょう・・・と勝手に解釈しています。

薄茶の茶杓は銘「年の暮れ」、福本積応和尚作です。
Sさまは次のような逸話を話され、師走の茶事を締めくくりました。

      年の瀬や水の流れと人の身は
          あした待たるるこの宝船

赤穂浪士・大高源吾は俳人で、宝井其角とも交流がありました。
討ち入り前夜、吉良屋敷を探索していた源吾は両国橋で其角と出会い、
近く西国へ行くと別れの挨拶します。
其角は、はなむけに「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠みます。
源五は「あした待たるるこの宝船」と返し、
仇討ち決行をほのめかしたという逸話が残っています。

         

赤穂浪士討ち入りの12月14日が近づいています。
播州姫路・師走の茶事の余情に再び浸りながら記しました。
                          

      白鷺の姫路のさとに香り立つ
         討ち入りしのぶ暮の茶事かな       

      年の瀬にふし(藤)のはなさくのさとあり
          紫の君のふし(無事)ねがふ茶事

        
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