暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

利休丸壷の煌めき  香雪美術館

2013年12月18日 | 美術館・博物館

12月10日はS先生宅のお稽古(見学)でした。
その日は仙遊之式から始まり、長緒、盆点、大円之草と続き、
頭の中もノートもびっしりになりました。

早めに終わったので、Aさんと香雪美術館へ出かけました。
開館40周年記念名品展(第4期:茶道具編)
 「茶人 村山香雪」 
が開催中で、会期は11月2日~12月23日です。

村山香雪(号)こと村山龍平(1850~1933)は朝日新聞の創設者です。
今回の名品展は、近代数寄者の一人であり、藪内流門下の香雪が
茶会で用いた茶道具約60点が展示されていました。

その中に「村山紹龍翁 藪内茶道皆伝証」(附・薮内竹窓 茶杓)があり、
他流の皆伝証を初めて拝見しました。
龍平翁は「まだそういう資格はない」と皆伝を固辞していましたが、
没後に11代・薮内竹窓より「贈り皆伝」として「紹龍」の茶名が
贈られたそうです(・・・きっと自分に厳しい方なのでしょうね)。

           
            泉涌寺塔頭・来迎院・・大石良雄ゆかりの寺

12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日、
吉良上野介の首に見立てて使われたという籠花入「桂川」が
二階奥に設えた茶室の床に掛けられていました。
伝来は、千利休-少庵-宗旦-山田宗偏-村山家-香雪美術館。

山田宗偏の朱書きのある受筒・箱書・添文も展示されていました。
宗偏は小笠原家の茶道師範として京を離れる時に、不審庵の号と共に
籠花入「桂川」を師・宗旦から授かりました。
その後、職を辞した宗偏は江戸に住み、吉良邸でも茶事指南をし、
赤穂浪士の大高源吾とも茶の湯の親交があったとか。

赤穂浪士は討ち入り後、この花入を上野介の首の代用として
風呂敷で包み、槍の先に高々と掲げ、引き上げたと言われています。
本物の首は、奪還を避けるために舟で泉岳寺へ運ばれました。
有名なエピソードですが、「桂川」に槍幅の繕い傷があることからも
本当の話のようです。
写「桂川」を愛用していますが、やっと本歌に逢えました・・・。

            
             来迎院にある茶室・含翆軒
            (大石良雄が名水が湧くのを喜び、建立した茶室)

            
               弘法大師ゆかりの独鈷水(来迎院)           

今回の展示で、一番のお気に入りは「利休丸壺茶入」!!
(大名物 漢作唐物 中国・南宋代 13世紀)とあり、重要美術品です。
伝来は、千利休-万代屋宗悦-金森長近-可重-後藤徳乗-栄乗-
水野勝成…水野家…水野直-朝吹柴庵-村山家-香雪美術館です。

利休愛器として有名ですが、ガラス越しに茶入を覗き込むと、
中にキラキラと星のように煌めいているものが見えました。
まるで茶入の中に銀河系小宇宙が存在しているみたいです。

褐色の釉薬が掛けられた丸壺の胴には、さらに飴色、焦げ茶、青系など
微妙な色合いの釉薬が重なって景色を作っているので、
それらに光が反射しているのでしょう。
偶然にしろ、煌めく茶入は初めてなので何度も見つめ愉しみました。
ひょっとしたら、利休さんもこの不思議な美しさを愛玩していたのでは?
Aさんも驚いて魅入っています。
百聞は一見に如かず・・・ぜひ香雪美術館でご覧くださいまし。

   

牙蓋二枚など付属品も展示されていて、大きく豪華な挽家にびっくり! 
挽家は幸阿弥作、粉溜山水高蒔絵です。
仕覆は四つ、富田金襴・藤種緞子・しじら間道・紺地仏紋金襴、
どれもなかなか拝見できない名物裂なので、興味深く拝見しました。

他にも「燕庵井戸」「楽長次郎 黒茶碗 銘・古狐」「志野 松籬絵水指」
「染付 雲堂手茶碗」「盛阿弥 利休形 大棗」「古天命 鍋釜」など・・・
気になる茶道具が目白押しでした。

もっと早くに行くべきだった・・・と後悔しています。