暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

新春能 翁の呪文に魅せられて

2013年01月11日 | 歌舞伎・能など
    とうとうたらりたらりら
        たらりあがりららりとう・・・

能「翁」の呪文のような神にささげる歌です。

大槻能楽堂で行われた新春能へ出かけました。
ブログアップが遅くなりましたが、1月4日のことです。
能楽好きのRさんがチケットを予約してくださって、
念願の「翁」と「草紙洗小町」をご一緒することができました。

特に「翁」は古くは式三番と呼ばれ、能が大成する以前の、
古式の祈りを司る芸能の姿と心を残すものとして伝承されています。
「能にあって能にあらず」
と言われる「翁」のルーツを調べてみました。

「翁」は、鎌倉時代に成立した翁猿楽の系譜を引くもので、
寺社の法要や祭礼で演じられた正式な演目を根源とし、
古くは聖職者である呪師が演じていました。
のちに呪師に代って猿楽師が演じるようになり、翁猿楽に続いて
余興として演じられた猿楽の能が人気となり、今日の能へ発展していきます。

今日では「翁」は、能楽師や狂言師によって演じられ、
能や狂言とは異なる格式の高い演目と位置付けられています。
演出もいろいろ異なる形式があるようで、これも興味深いことです。

         

火打石の切石が「カチカチ」「カチカチ」と脇正面席に聞こえて、
いよいよ始まりです。

面箱持ちを先頭に、神事の主催者である翁(シテ、大槻文蔵)、三番叟、千歳が
面をつけない直面(ひためん:素顔)のまま続きます。
さらに囃子方、地謡方がいずれも第一礼装で橋がかりを渡ります・・・
これを「翁渡り」といって、神体渡御の形をとっています。
既にここから
「何が始まるのだろう?」と固唾を呑む思いで見守りました。

         

全員が落ち着くと、笛が吹かれ、三挺の小鼓が軽快に打たれ、
直面のシテ(翁)はあの呪文を謡いはじめます。

    とうとうたらりたらりら
        たらりあがりららりとう・・・

面箱の中には、ご神体である面(白式尉、黒式尉、延命冠者)が入っていて、
観客の前で面を着脱するのは、能「翁」だけだとか。

先ず千歳が延命冠者面をつけて露払いの舞を舞いました。
舞い終わると面は戻され、いよいよ翁の舞です。
翁は白式尉の面をつけ、神となって「萬歳楽」と祝いの舞を舞います。
思わず気持ちだけですが、翁と共に舞っていました。

神を思わす荘厳な舞でしたが、上品な衣裳も一役買っていました。
パンフによると、翁の狩衣は「薄茶地唐花文様銀襴翁狩衣」、
徳川家康より九代目宗家観世黒雪が拝領した装束(重要文化財)でした。

           

舞い終わると、白式尉の面をはずし、直面の翁は人間に戻り、
千歳を従えて退場します(翁帰り)。
最初から面をつけて出る本来の能と違う、翁の難しさを感じました。
神と人間の二役を演じるのですから、直面であっても神へ通じる潔さを
全身から感じられねばなりません。

出演者は潔斎精進し、家族と煮炊きの火を別にする「別火」を行い、
能「翁」へ臨むという意味が舞台を観て、
やっと理解できたような気がします。

残念なことに三番叟を演じる野村萬斎が左足を怪我されて、
父上の野村万作へ急遽代りましたが、流石でございました。
三番叟は黒式尉の面をつけ、鈴を鳴らして舞います。
大地の神々を目覚めさせ、農耕や収穫の喜びを感じるような、
躍動感溢れる舞いは荘重な翁之舞とは異なる魅力があり、
天岩戸の手力男命(たぢからおのみこと)の舞を連想したり・・・。

           

「翁」は、関係者全員でエネルギーを結集した神々との交信の舞台であった・・・
と今頃になって思う不束者ですが、
辛巳年の念頭にふさわしい能「翁」との出会いに感謝です。

                                

          (写真は、元日初詣の下鴨神社にて)