暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

三十三間堂  柳のお加持と通し矢

2013年01月17日 | 京暮らし 年中行事
1月13日、三十三間堂で行われた「柳のお加持」と「通し矢」へ行きました。

三十三間堂(蓮華王院)の歴史は古く、平安時代にさかのぼります。
この地には、後白河上皇の離宮・法住寺殿がありました。
広大な法住寺殿の一画に建てられたのが三十三間堂(蓮華王院)です。

後白河上皇が平清盛に命じて造営され、長寛2年(1165年)に完成。
創建当時は五重塔を備える大寺院でしたが、建長元年(1249年)の火災で焼失。
文永3年(1266年)に本堂のみが再建され、現在に至っています。

            

何十年ぶりの三十三間堂でしたが、
お詣りの人、通し矢の出場者、カメラマンでごった返していました。
それでも皆整然と並んで、三十三間堂に居並ぶ荘厳な観音様をお詣りしました。

参拝途中で「柳のお加持」を授かりました。
「柳のお加持」は、貫主さまが柳の小枝に霊水を浸して参拝者に撒き、
その水を授かると、病気平癒、厄除開運、特に「頭痛平癒」に効くそうです。
これはたぶん密教から伝わったもので、ブータンへ旅行した時に
ツェチュ祭の法要で同じようなお加持を授かったことを思い出しました。

「柳のお加持」には面白い話が伝わっています。

後白河上皇は頭痛持ちでした。
熊野参詣し、頭痛平癒を祈願すると、熊野権現のお告げがありました。
「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」

そこで因幡堂(平等寺:京都市下京区)に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ
「上皇の前世は熊野の蓮花坊という僧侶で、
 仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。
 しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、目穴から柳が生え、
 風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」

上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りにあったので、
三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、
上皇の頭痛はたちまち治ったという。

私も頭痛持ちでしたが、最近はすっかり頭痛平癒です。
「柳のお加持」の記念に
「柳緑花紅」と書かれた色紙を買いました。

            

            

お詣りの後、本堂西側の特設会場へ回りました。
現代の通し矢である「三十三間堂大的全国大会」が行われていて、
ちょうど成人女子の順番でした。
華やかな振袖袴姿の新成人が弓を持って並んでいます。
見物席へ急ぎましたが、足の踏み場を探すほどの人垣でした。
それで、少し遠くの的近くで場所を確保し、見物しました。

            

            
                 (えっ~チミも出場するの?)

江戸時代、各藩の弓術家によってはじめられた「通し矢」は、
三十三間堂の西軒下(長さ約121m)で行われていましたが、
特設会場の射程は60mだそうです。

矢は二本です。
弓を持って構え、矢をつがえ、弓を引きます。
的を絞り、最後に少し上に向けて矢を放ちます。
「向うから三番目と四番目に注目!」
と主人はめざとく見つけ、ささやきます。

たしかに、的近くまで矢が届きましたが、なかなか命中しません。
的のはるか手前で失速する矢も多く、女子では60mも遠い的のようです。
成人の日の三十三間堂の通し矢は佳き思い出となることでしょう。
見物席は押しくらまんじゅう状態でしたが、それでも京都の人たちは忍耐強く、
新成人の通し矢を心から楽しみ、応援していました。
・・・その姿にちょっぴり感動!                 

            

この日は昼過ぎから第31回全国女子駅伝(京都)があり、
家の近くで応援するため早めに帰宅しました。
「あぁ~忙しい!いそがしい・・・」

            
                    (神奈川~ガンバレ!)    

                                

東寺ガラクタ市の掘り出し物

2013年01月13日 | 茶道具
京都で暮らしてみて感心することはたくさんありますが、
その一つ。
「京都にはなんて市が多いのだろう!」

有名なのは、東寺の弘法さん(弘法市)(毎月21日)、
北野天満宮の天神さん(天神市)(毎月25日)、
それから今一番人気らしい知恩寺の手づくり市(毎月15日)でしょうか。
どの市も出店に特徴があって面白く、時々ぶらついています。
これらの他にもいろいろな市のあることが最近わかってきました。

            
                  北野天満宮の天神さん

正月6日に東寺のガラクタ&手づくり市へ初めて行ってみました。
この市は第一日曜日に開かれています。
松の内、それも午後だったせいか、弘法さんのような賑いはありませんが、
ゆっくり落ち着いて見ることができました。             

小さな火鉢を探していました。
我が灑雪庵は、隙間風ぴゅうぴゅうの築年数不明の古家なので、
冬季のお客さまにせめて手あぶりを用意したいと思っていました。
それに先生宅の除夜釜で見た火鉢のおもてなし、炭の温かさと美しさが
今でも目に残っています・・・。

近所のアンティークのお店で物色したのですが、
候補がたくさんあり過ぎて決めかねていました。
昨今は火鉢を使う人が少なくなって、
お茶人だけになってしまいそうですが、その分お安くなってきました。

            
                   東寺の弘法さん

東寺のガラクタ市で最初に火鉢が目に飛び込んできました。
木製(桐?)の蒔絵が美しい火鉢は魅力的でしたが、
狭い空間で使うには少し大きい気がします。
他にも数軒、火鉢が並んでいる出店があって、
黒に螺鈿文様のある火鉢がすっきりと品佳く気に入りました。

古びた木箱に対で入っていましたが、1個でも売ってくださるとか。
値段を聞いてびっくり!
木箱も欲しかったので対で買うと、さらにまけてくれました!

数日後、灰をだしてみると、良質の灰が入っていました。
・・・でも、あまり使われなかったみたいです。
灰をふるって半日陽に当ててから
綺麗にした火鉢へ入れ、炭火を置きました。
ふるった灰は空気をたっぷり含んで柔らかく、灰を温めなくっても
炭火が消えません。

            
                 茶会で出あった煙草盆の火入れ

枝炭が入っていたモミガラで藁灰をつくろうかしら? と思いましたが、
とてもきれいな灰なので、このまま使うことにしました。
火入れの灰のように筋を入れてみたり、掻きあげたり、
香炉のように表面を固めてみたり・・・遊んでいます。

今日はこれから岡崎公園の平安楽市(第二土曜日)をのぞいてみます。

                             



新春能 翁の呪文に魅せられて

2013年01月11日 | 歌舞伎・能など
    とうとうたらりたらりら
        たらりあがりららりとう・・・

能「翁」の呪文のような神にささげる歌です。

大槻能楽堂で行われた新春能へ出かけました。
ブログアップが遅くなりましたが、1月4日のことです。
能楽好きのRさんがチケットを予約してくださって、
念願の「翁」と「草紙洗小町」をご一緒することができました。

特に「翁」は古くは式三番と呼ばれ、能が大成する以前の、
古式の祈りを司る芸能の姿と心を残すものとして伝承されています。
「能にあって能にあらず」
と言われる「翁」のルーツを調べてみました。

「翁」は、鎌倉時代に成立した翁猿楽の系譜を引くもので、
寺社の法要や祭礼で演じられた正式な演目を根源とし、
古くは聖職者である呪師が演じていました。
のちに呪師に代って猿楽師が演じるようになり、翁猿楽に続いて
余興として演じられた猿楽の能が人気となり、今日の能へ発展していきます。

今日では「翁」は、能楽師や狂言師によって演じられ、
能や狂言とは異なる格式の高い演目と位置付けられています。
演出もいろいろ異なる形式があるようで、これも興味深いことです。

         

火打石の切石が「カチカチ」「カチカチ」と脇正面席に聞こえて、
いよいよ始まりです。

面箱持ちを先頭に、神事の主催者である翁(シテ、大槻文蔵)、三番叟、千歳が
面をつけない直面(ひためん:素顔)のまま続きます。
さらに囃子方、地謡方がいずれも第一礼装で橋がかりを渡ります・・・
これを「翁渡り」といって、神体渡御の形をとっています。
既にここから
「何が始まるのだろう?」と固唾を呑む思いで見守りました。

         

全員が落ち着くと、笛が吹かれ、三挺の小鼓が軽快に打たれ、
直面のシテ(翁)はあの呪文を謡いはじめます。

    とうとうたらりたらりら
        たらりあがりららりとう・・・

面箱の中には、ご神体である面(白式尉、黒式尉、延命冠者)が入っていて、
観客の前で面を着脱するのは、能「翁」だけだとか。

先ず千歳が延命冠者面をつけて露払いの舞を舞いました。
舞い終わると面は戻され、いよいよ翁の舞です。
翁は白式尉の面をつけ、神となって「萬歳楽」と祝いの舞を舞います。
思わず気持ちだけですが、翁と共に舞っていました。

神を思わす荘厳な舞でしたが、上品な衣裳も一役買っていました。
パンフによると、翁の狩衣は「薄茶地唐花文様銀襴翁狩衣」、
徳川家康より九代目宗家観世黒雪が拝領した装束(重要文化財)でした。

           

舞い終わると、白式尉の面をはずし、直面の翁は人間に戻り、
千歳を従えて退場します(翁帰り)。
最初から面をつけて出る本来の能と違う、翁の難しさを感じました。
神と人間の二役を演じるのですから、直面であっても神へ通じる潔さを
全身から感じられねばなりません。

出演者は潔斎精進し、家族と煮炊きの火を別にする「別火」を行い、
能「翁」へ臨むという意味が舞台を観て、
やっと理解できたような気がします。

残念なことに三番叟を演じる野村萬斎が左足を怪我されて、
父上の野村万作へ急遽代りましたが、流石でございました。
三番叟は黒式尉の面をつけ、鈴を鳴らして舞います。
大地の神々を目覚めさせ、農耕や収穫の喜びを感じるような、
躍動感溢れる舞いは荘重な翁之舞とは異なる魅力があり、
天岩戸の手力男命(たぢからおのみこと)の舞を連想したり・・・。

           

「翁」は、関係者全員でエネルギーを結集した神々との交信の舞台であった・・・
と今頃になって思う不束者ですが、
辛巳年の念頭にふさわしい能「翁」との出会いに感謝です。

                                

          (写真は、元日初詣の下鴨神社にて)



辛巳年の初釜  翁の夜語り

2013年01月09日 | 献茶式&茶会  京都編
2013年1月5日、辛巳年の初釜へお招きいただきました。
場所は、秀吉ゆかりの有馬温泉、一昨年の秋の同窓会以来の訪問、
しかも同じホテルでした。

11時集合にやっと間に合い、皆さまお揃いの待合へ滑り込み、
すぐに花びら餅(末富製)を頂戴しました。
出来立ての花びら餅は柔らかすぎて、食べるのがちょっと大変です。
縁高がステキでした。
蓋、蓋裏、側面に唐華(吉野絵)が描かれていて、
中の花びら餅を一段と引き立てています。

            
                   凍れる池  ホテルにて

濃茶席は四畳半本勝手、又隠(ゆういん)の写しで、突き上げ窓もあります。
茶道口近くに置道庫があり、興味深く拝見しました。
上の段に茶筅、茶巾、茶杓を仕組んだ主茶碗と薄器が置かれていました。
詰でしたので道庫の戸を閉め、末席へ座りました。

床には「萬寿」のお軸、楽山八十翁と読めましたが・・・。
床柱の竹花入に鶯神楽とふっくらとした蕾の曙椿。
趣ある景色の竹花入は一如斎造、銘タカ(初夢三本の内とか)。

水指は黒の真手桶、手前に茶入が荘られていて、あとのお楽しみ・・・。
茶道口が開いて、S先生の濃茶点前が始まりました。
記憶をたどって書いておきます・・・。

建水を運びだして襖を閉め、点前座に進み、建水を左側へ置きました。
一膝左を向き、道庫を開けて茶碗を建水上へ仮置きし、
棗を上段中央へ置き直し、道庫を閉めます。

正面へ向き、茶入を右へ寄せ、茶碗を置き合わせます。
居前を向き、蓋置を定位置へ出し、柄杓を引き、総礼です。

「あけましておめでとうございます
 今年も宜しくお願い致します」
一同、緊張しながらも和やかに、新年の挨拶を交わしました。

「濃茶が点つまで本来は話しをしないのですが
 今日は皆さまとお話しできるのはこの席だけなので・・・」
と、床荘り、道庫、お道具、注連縄などいろいろお話ししながら
点前が進んでいきました。
注連縄はすべて先生自ら縄をなったとのお話に驚いたり感動したり・・。

            

季節や席に合わせてどんな釜が掛けられるのか、いつも楽しみにしています。
この日は阿弥陀堂でした。
浄味造、今日庵という鋳込みが目を惹きます。
「有馬で掛ける釜は阿弥陀堂以外考えられないので・・・」
というお言葉をその時理解できず、あとでその意味を調べてみました。
これについては別の機会に記したいと思っています。

茶を練り始めると、芳香があたりに漂い、期待感がいや増します。
続いて三服、濃茶を点ててくださいました。
ココアのようにまろやかで甘みのある練り加減、艶やかな緑、
こんなに美味しい濃茶を頂戴するのは久しぶりの気がします。
濃茶は柳桜園の初釜用濃茶です。

嬉しいことに、濃茶を頂戴した赤楽は銘「大雄峰」(坐忘斎お家元箱)、
あこがれの当代・吉左衛門さま造でして、
「こいつは春から・・・」と密かに大感激でございました。

            
                     春牡丹

不動清寂を感じる、瀬戸破風窯・翁手の茶入が心に残りました。
小堀権十郎箱書に次のような和歌が書かれているそうです。

   人問はば知れる翁の夜語りを
        昔にかえす和歌の浦波

実は、前日に大槻能楽堂にて「翁」を観たばかりでして
これにも「こいつは春から・・・」嬉しいお出会いでした。

            
                   「こいつは春から・・・

いろいろなお心遣いや刺激をたくさん頂戴して
「今年もお茶に精進しよう!」と覚悟を新たにする初釜・濃茶席でした。

                           重たい腰をあげて 


           (写真は薄茶席その他です)



おめでとうさんどす

2013年01月02日 | 京暮らし 日常編
              元日、鴨川から比叡山を望む

おめでとうさんどす

お正月、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

京都ではじめて迎えるお正月、
大晦日の夜、8時過ぎにハ坂神社へ詣で、おけら火を貰いました。
除夜釜の行列が長く続く知恩院、
初詣の人待ち顔の屋台が並ぶ平安神宮を横目で見ながら、
縄を交代でクルクル回し、我が家へ戻りました。
おけら火で七輪の炭を熾し、炉へ入れて先ずは一安心。

           
               おけら火用の縄を売るおばさん
           
               おけら火をクルクル回しながら

11時過ぎに除夜の鐘を撞きに黒谷さん(金戒光明寺)へ。
朝夕6時に黒谷さんの鐘声を聴いて過ごしているので
この機会に撞いてみたいと思ったのです。

途中、泉徳寺で呼び止められました。
「どうぞ除夜鐘を撞いて行ってください。
 待ち時間なしですぐに撞けますので・・・。
 今年は衝く人が少ないのです」
喜んで衝かせて頂き、生姜湯をご馳走になり、黒谷さんへ急ぎました。

すでに大勢の人が並んでいて、私たちはどう数えても150番以降でした。
係りの方にお尋ねすると、300枚の整理券を用意していて
1時には打ち止めになるようです。
待つこと、30分以上。
京都の街の夜景が一望に見渡せる鐘衝堂にて
除夜鐘を撞くことができました。
すでに新年になっていたので、
新たな年を迎えられた喜びと平和への祈念を込めて・・・。

          
                    


本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます


              辛巳  元旦    
                        暁庵