1月13日、三十三間堂で行われた「柳のお加持」と「通し矢」へ行きました。
三十三間堂(蓮華王院)の歴史は古く、平安時代にさかのぼります。
この地には、後白河上皇の離宮・法住寺殿がありました。
広大な法住寺殿の一画に建てられたのが三十三間堂(蓮華王院)です。
後白河上皇が平清盛に命じて造営され、長寛2年(1165年)に完成。
創建当時は五重塔を備える大寺院でしたが、建長元年(1249年)の火災で焼失。
文永3年(1266年)に本堂のみが再建され、現在に至っています。
何十年ぶりの三十三間堂でしたが、
お詣りの人、通し矢の出場者、カメラマンでごった返していました。
それでも皆整然と並んで、三十三間堂に居並ぶ荘厳な観音様をお詣りしました。
参拝途中で「柳のお加持」を授かりました。
「柳のお加持」は、貫主さまが柳の小枝に霊水を浸して参拝者に撒き、
その水を授かると、病気平癒、厄除開運、特に「頭痛平癒」に効くそうです。
これはたぶん密教から伝わったもので、ブータンへ旅行した時に
ツェチュ祭の法要で同じようなお加持を授かったことを思い出しました。
「柳のお加持」には面白い話が伝わっています。
後白河上皇は頭痛持ちでした。
熊野参詣し、頭痛平癒を祈願すると、熊野権現のお告げがありました。
「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」
そこで因幡堂(平等寺:京都市下京区)に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ
「上皇の前世は熊野の蓮花坊という僧侶で、
仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。
しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、目穴から柳が生え、
風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」
上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りにあったので、
三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、
上皇の頭痛はたちまち治ったという。
私も頭痛持ちでしたが、最近はすっかり頭痛平癒です。
「柳のお加持」の記念に
「柳緑花紅」と書かれた色紙を買いました。
お詣りの後、本堂西側の特設会場へ回りました。
現代の通し矢である「三十三間堂大的全国大会」が行われていて、
ちょうど成人女子の順番でした。
華やかな振袖袴姿の新成人が弓を持って並んでいます。
見物席へ急ぎましたが、足の踏み場を探すほどの人垣でした。
それで、少し遠くの的近くで場所を確保し、見物しました。
(えっ~チミも出場するの?)
江戸時代、各藩の弓術家によってはじめられた「通し矢」は、
三十三間堂の西軒下(長さ約121m)で行われていましたが、
特設会場の射程は60mだそうです。
矢は二本です。
弓を持って構え、矢をつがえ、弓を引きます。
的を絞り、最後に少し上に向けて矢を放ちます。
「向うから三番目と四番目に注目!」
と主人はめざとく見つけ、ささやきます。
たしかに、的近くまで矢が届きましたが、なかなか命中しません。
的のはるか手前で失速する矢も多く、女子では60mも遠い的のようです。
成人の日の三十三間堂の通し矢は佳き思い出となることでしょう。
見物席は押しくらまんじゅう状態でしたが、それでも京都の人たちは忍耐強く、
新成人の通し矢を心から楽しみ、応援していました。
・・・その姿にちょっぴり感動!
この日は昼過ぎから第31回全国女子駅伝(京都)があり、
家の近くで応援するため早めに帰宅しました。
「あぁ~忙しい!いそがしい・・・」
(神奈川~ガンバレ!)
三十三間堂(蓮華王院)の歴史は古く、平安時代にさかのぼります。
この地には、後白河上皇の離宮・法住寺殿がありました。
広大な法住寺殿の一画に建てられたのが三十三間堂(蓮華王院)です。
後白河上皇が平清盛に命じて造営され、長寛2年(1165年)に完成。
創建当時は五重塔を備える大寺院でしたが、建長元年(1249年)の火災で焼失。
文永3年(1266年)に本堂のみが再建され、現在に至っています。
何十年ぶりの三十三間堂でしたが、
お詣りの人、通し矢の出場者、カメラマンでごった返していました。
それでも皆整然と並んで、三十三間堂に居並ぶ荘厳な観音様をお詣りしました。
参拝途中で「柳のお加持」を授かりました。
「柳のお加持」は、貫主さまが柳の小枝に霊水を浸して参拝者に撒き、
その水を授かると、病気平癒、厄除開運、特に「頭痛平癒」に効くそうです。
これはたぶん密教から伝わったもので、ブータンへ旅行した時に
ツェチュ祭の法要で同じようなお加持を授かったことを思い出しました。
「柳のお加持」には面白い話が伝わっています。
後白河上皇は頭痛持ちでした。
熊野参詣し、頭痛平癒を祈願すると、熊野権現のお告げがありました。
「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」
そこで因幡堂(平等寺:京都市下京区)に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ
「上皇の前世は熊野の蓮花坊という僧侶で、
仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。
しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、目穴から柳が生え、
風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」
上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りにあったので、
三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、
上皇の頭痛はたちまち治ったという。
私も頭痛持ちでしたが、最近はすっかり頭痛平癒です。
「柳のお加持」の記念に
「柳緑花紅」と書かれた色紙を買いました。
お詣りの後、本堂西側の特設会場へ回りました。
現代の通し矢である「三十三間堂大的全国大会」が行われていて、
ちょうど成人女子の順番でした。
華やかな振袖袴姿の新成人が弓を持って並んでいます。
見物席へ急ぎましたが、足の踏み場を探すほどの人垣でした。
それで、少し遠くの的近くで場所を確保し、見物しました。
(えっ~チミも出場するの?)
江戸時代、各藩の弓術家によってはじめられた「通し矢」は、
三十三間堂の西軒下(長さ約121m)で行われていましたが、
特設会場の射程は60mだそうです。
矢は二本です。
弓を持って構え、矢をつがえ、弓を引きます。
的を絞り、最後に少し上に向けて矢を放ちます。
「向うから三番目と四番目に注目!」
と主人はめざとく見つけ、ささやきます。
たしかに、的近くまで矢が届きましたが、なかなか命中しません。
的のはるか手前で失速する矢も多く、女子では60mも遠い的のようです。
成人の日の三十三間堂の通し矢は佳き思い出となることでしょう。
見物席は押しくらまんじゅう状態でしたが、それでも京都の人たちは忍耐強く、
新成人の通し矢を心から楽しみ、応援していました。
・・・その姿にちょっぴり感動!
この日は昼過ぎから第31回全国女子駅伝(京都)があり、
家の近くで応援するため早めに帰宅しました。
「あぁ~忙しい!いそがしい・・・」
(神奈川~ガンバレ!)