暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

京の茶所ー3 茶室・庭玉軒

2013年05月02日 | 京暮らし 日常編
               (先生宅の白牡丹  古銅花入「杵の折」写)

茶室・庭玉軒(ていぎょくけん)は真珠菴(大徳寺塔頭)にあります。
日頃は非公開ですが、2013年春の「京都非公開文化財特別公開」中でした。

庭玉軒は、書院・通仙院に付随して建てられた、二畳台目出炉の茶室です。

江戸時代初期、はじめ金森宗和の菩提所であった大徳寺塔頭・金龍院に
あったそうですが、金龍院は明治時代に廃寺となり、
いつの頃か真珠菴へ移築されたようです。
ところが、真珠庵に伝わる江戸時代の古図に庭玉軒が描かれていることから、
金龍院からの移築説は誤りとも云われ、謎が多いです。

残念ながら庭玉軒の中へは入れず、あっちから、こっちからと、
覗き見できるだけなのですが、想像を逞しくして茶室へご一緒しましょう。
通仙院(待合)の縁側から下りて、飛び石伝いに露地を進むと、
縁側の一部に二、三人掛けの腰掛待合があります。

             
                    (山法師)

腰掛待合から躙口を開けて入ると、
そこはなんと!内蹲踞のある露地で、「内坪(うちつぼ)」と呼ぶそうです。
雪国独特の造りで、飛騨高山出身の金森宗和好みと伝えられています。

風雪をさえぎる「内坪」は、広さ二畳ほどの屋根付き土間ですが、
連子窓と突上窓があり、内蹲踞を備えています。
内蹲踞の横(通仙院側)には竹壁(竹を縦に並べている)の仕切りがあり、
一部が開き戸になっていました(ここから必死に覗き込みました)。
狭い「内坪」を窓や竹壁をつくることで、明るく開放的にする工夫を感じます。
開き戸の上に刀掛けが設えてあり、どんな方が招かれたのか、興味が増しました。

内坪から茶室へは障子2枚が入り、貴人口となっています。
さぁ~ここから席入しましょう。
入って左側に台目床があるはずですが、角度的に見れません・・・。
心の中で一休筆「薫風自南来」の軸を掛けてみました。
台目床の横に太鼓張の二枚襖が入っていましたが、
見学のために外してありました。二枚襖は使い勝手が良さそうです。

点前座に座ると、風炉先窓や色紙窓があり、明るく点前しやすそう。
中柱のついた袖壁があり、仕付け棚は?・・・思い出せません。
客座には連子窓が見えました。

             
               (真珠菴の槇)

雪国造りの庭玉軒は、実際にどのように使われていたのでしょうか?
「内坪」に突上げ窓があるので、障子2枚をはずし、暁の茶事をしたのでしょうか?
また、土間へ射し入る月光を愛でながら風趣を楽しんだのでしょうか?

重要文化財ですが、庭玉軒で茶会があるといいなぁ~。
庭玉軒を見学して、遭遇した3つの茶席を懐かしく思い出しました。
江戸初期の創建あるいは雪国造りという共通点を見出したからでしょうか。
こちらもぜひ訪ねてみてください。

1)横浜三溪園・春草廬(重要文化財)
2)金沢玉泉園・灑雪亭
3)京都東山西行庵・皆如庵

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