6月21日
鷗外全集の読書は止まったまま。今週は「マルテの手記」を読んでいました。今回の訳で、この作品ははじめて日本語に置き換えられたと感じます(これまで四種の翻訳で途中まで読み、挫折しました。今回はもうすぐ読み終わります)。
夜中に「風景をまきとる人」の文庫を読み返しました。細かい傷は無視して読みました。疾走感がある、と思いました。自分のビートが刻まれていると感じました。やはり、現在までのところ、私はこの本を書くためだけに生まれてきたのだと思います。それ以外の行為、時間のすべてが無意味だとしても、この本があればなんとか死ぬまで持ちこたえられると思います。
鷗外全集の読書は止まったまま。今週は「マルテの手記」を読んでいました。今回の訳で、この作品ははじめて日本語に置き換えられたと感じます(これまで四種の翻訳で途中まで読み、挫折しました。今回はもうすぐ読み終わります)。
夜中に「風景をまきとる人」の文庫を読み返しました。細かい傷は無視して読みました。疾走感がある、と思いました。自分のビートが刻まれていると感じました。やはり、現在までのところ、私はこの本を書くためだけに生まれてきたのだと思います。それ以外の行為、時間のすべてが無意味だとしても、この本があればなんとか死ぬまで持ちこたえられると思います。