マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

朝ジョグの聖地・・・『祈りの場』 そして 『自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい』&『自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい』

2020-08-30 05:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
8月30日。日曜日。快晴。34度。真夏日。

  5時。
今朝は教会に行く。
そこでいつもより早いジョグ出発。


               『早朝ジョグの聖地:55段の階段』

                『真っ正面に昇ってくる太陽』     今朝は先着青年がいる

        いつものように、10往復。 上り下りを繰り返します。

             55段×往復×10回=1100段
 一往復毎に、主の祈りと天使祝詞と詠唱を一回づづ、一人の人を思いながら祈りを捧げます。
    『1個人』や『1グループ』のために、 1100段、  私の『祈りの聖地』 です。

上りは体幹を意識しながらスクワットで二段上がり、 下りは体幹を意識しながら舞うように下りる。

     今朝も・・・

         体も心も整っていきます。 生きている喜びが湧いてきます。
              

  空に雲が流れ、 木々の間を風が流れ、 季節の花々が咲き、 小鳥がさえずり、
             歩く私も自然の一部だと実感するのです。
             自分の存在の意味が分かるような気がする。
                       感謝!感謝! 

そして。

今日は8月30日。年間第二十二主日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、憐れんでください、絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。
主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。 あなたを呼ぶ者に豊かな慈しみをお与えになります。』

           詩編 86章3&5節


   今日は。
使徒パウロもイエス様も、 『イエスに従う者の覚悟』 について話されます。



『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』

      『兄弟たち、 神の憐れみによってあなたがたに勧めます。

自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
      これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。


        あなたがたはこの世に倣ってはなりません
       むしろ、 心を新たにして自分を変えていただき、
何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを
           わきまえるようになりなさい。』
             ローマの信徒への手紙 12章1-2節


    使徒パウロの言う、 『イエスに従う者の覚悟』 は、
『自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる』 ことです。


        『キリスト者の新しい生き方』 なのです。
キリストに結ばれる者となった今、神に喜ばれる『新しい生き方』に切り替えるのです。


西暦57~58年頃。  ユダヤ系信徒とローマの地元の人たちの信徒が混在する、
           大勢のローマの教会の信徒たちが一致するようにと、
            パウロはコリントから手紙を書き、励ましました。
 
   私たちも、パウロに励まされて・・・
    考え方を、この世に倣うのではなく、 キリストの考え方に切り替えるのです。
         行いを、 キリストのものに切り替えるのです。


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、イエスは、

           御自分が必ずエルサレムに行って、
      長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
            三日目に復活することになっている、


                    と弟子たちに打ち明け始められた。

すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
     「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」
イエスは振り向いてペトロに言われた。
      「サタン、引き下がれ。 あなたはわたしの邪魔をする者。
        神のことを思わず、人間のことを思っている。」


それから、弟子たちに言われた。
   「わたしについて来たい者は、
自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。


           自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
           わたしのために命を失う者は、それを得る。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
        自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

          
        人の子は、 父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、
 
           『主イエス・キリストの再臨』

        そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」
            マタイ福音書 16章21-27節


    イエス様の言う、 『イエスに従う者の覚悟』 は、
      『自分を捨てて、自分の十字架を背負って、 イエスに従う』 ことです。



 そのとき。 イエスは、 エルサレムでの受難と復活を、 初めて予告なさいました。 
      イエスは 『イエスの道』 が分かっておられました。

       自分自身を棄てて、十字架を担うこと。
       自分の考えではなく、 御父・神の考えに従うこと。
       苦しみを通して、人類を救うこと。

  
     ペトロは、 イエスの『予告』を納得できずに、 抵抗します。
『イエスの道』が、一般の人が考えるような『救い主の道』とは違っていたので、理解できなかったのです。

これから。

   弟子たちは、『イエスに従って行く』とき、 イエスと同じように迫害を受けるでしょう。
    その時に・・・
 危ないと思って、自分なりの考えで自分を救おうとすれば・・・『本当の命』を失うかもしれません。
 イエスを信頼して、自分を捨てて、イエスに従って行けば・・・『本当の命』を得るのです。

      『自分を捨てる』とは、
      自分が望んでいることより、神が望んでおられることを考えることです。
          『イエスの道』 を歩むことです。
その道は。
          良いことをしても、すぐには報いは来ない。
    人の世話をする生活は、辛いことだけで、十字架になるかもしれません。

それでも。
イエス様の生涯は、人の救いを考えるばかりの生活で、最後はエルサレム・十字架に向かっていく人生でした。
       ご自分の救いは神にお任せになりました。


      『イエスに従っていきたい』 私たちも、
  お人に尽くしながら・・・ 『イエスの道』 をたどりながら・・・
   自分の救いは、神様にお任せすることができるように、祈ってまいりましょう。


『今日の祈願』

   『いのちの源である神よ、 恵みに満たされて祈ります。
キリストに結ばれた私たちが、 神にすべてをゆだねて、 人に尽くす者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
イエスに従って行くということは、何事があってもめげずに、愛することを一番にすることですね。
皆様の新しい一週間が穏やかでありますように。 お元気で! 

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