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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

世界恒久平和を祈る・・・『長崎原爆の日』・・・『カトリック修道士・小崎 登明』 そして 『キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。』

2020-08-09 05:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
8月9日。日曜日。晴れ。

   長崎市への原子爆弾投下
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分

  被爆から75年を迎えた今日
   『長崎平和祈念式典』


              『長崎平和宣言』
 
                                        長崎市長

          『核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現
被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くし続けることをここに宣言します。』


      『私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。
    4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。

   どうして私たち人間は、核兵器をいまだになくすことができないでいるのでしょうか。
人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、
        このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。


           世界の皆さんに呼びかけます。
      平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
   確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。


           世界各国の指導者に訴えます。
 
                       今年は、コロナ禍のため、68カ国の代表の参列です

      「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
        今こそ「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。』


そして。

昨年。
11月24日。午前。雨が降る中。
ローマ教皇は長崎市の爆心地公園を訪問。
原爆の犠牲者へ『献花』をされました。
献花後。約2分間の黙祷。
犠牲者を追悼されたローマ教皇でした。

 献花後。
 被爆者ら約1000人を前に・・・ 

              『核兵器廃絶に向けた平和メッセージ』
  
                      2019年11月24日 原爆落下中心地『碑』の前
 
      『この町は、人間が過ちを犯しうる存在だと意識させてくれる。
          原爆が落とされたことをれてはならない。

 
核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です。
     今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません。
核兵器は国家や世界の安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではないのです。』 


              『平和祈念像』

 
        『像の柔和な顔』は、  神のと仏の慈悲。
      『天に向けて垂直に高く掲げた右手』は、 原爆の脅威。
  『水平に伸ばした左手』は平和。 『横にした右足』は原爆投下直後の長崎市の静けさ。
   『立てた左足』は救った命。  『軽く閉じた目』は戦争犠牲者の冥福を祈っている姿。
        ・・・を表わしています。 制作者・北村西望氏の言葉。


            『ノーモア・ヒバクシャ』
    核廃絶の思いを受け継ぎ、 『世界恒久平和』 を祈り続けてまいりましょう。




そして。

今日は日曜日。
私の好きなNHKテレビ番組:『心の時代』です。
今日は、カトリック修道士・小崎 登明様の
  『弱さを希望に』でした。

  
   我が家の和室の壁。
   26年間。和室の壁に掛かる・・・      『色紙』
  
        今日のテレビ出演の カトリック修道士・小崎 登明様の『作品』です。

     26年前。夫と二人で、 『聖母の騎士修道院 と 聖コルベ記念館』 を訪問しました。
     館長・小崎 登明様に、ご案内とお話しをいただき、素晴らしい時間を過ごしました。
     
      26年前に私が撮った写真:『小崎登明修道士様』 と 頂戴した『名刺』 です。
                               66歳の小崎登明修道士様ですね

なんと!
すばらしい!


      今日の『心の時代』・・・  『小崎登明修道士様』
  

      毎日更新される『小崎登明の92歳日記』を、毎日拝読しています。
      今日のテレビ出場の『お姿』は、 神々しく、お若く、 感動いたしました。
      26年ぶりの再会で懐かしく・・・涙がでました。 感謝感謝でした。

  
 小崎修道士さんのすばらしいお話しのほんの一部です。 

                『弱さを希望に』

     『人間の弱さの中にも、又 苦しみ、痛みの中にも、意味があります。
          それでも生きる意味がある。
     『希望』を見出したときに、生きてきたことに感謝し、そのつながりで生きてきました。
         生きていることに感謝して、前に進む、そういう気持ちです。』


          私も、『希望』を見出し、 明日を前に進みましょう。
          皆様も、お見逃しでしたら、再放送で是非御覧ください。


そして。

今日は8月9日。年間第十九主日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、あなたの契約を顧みてください。
  あなたの貧しい人の命を忘れ去らないでください。』

         詩編 74章19&20節


        『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』
    

  『皆さん、 わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、 偽りは言わない。

         わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、
    わたしには深い悲しみがあり、 わたしの心には絶え間ない痛みがあります。

  わたし自身、 兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、
   キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。


           彼らはイスラエルの民です。
     神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。
    先祖たちも彼らのものであり、 肉によればキリストも彼らから出られたのです。


キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。』
             ローマの信徒への手紙 9章1-5節


      パウロには、 宣教者としての 『深い悲しみと痛み』 がありました。
       
        すでにローマには大勢のキリスト者たちの共同体があったのですが、
     地元の信徒たちと、ユダヤ系の信徒たちの間で、いくらか反目し合っていたのです。
  西暦58年頃。 パウロは、宣教先のコリントから、 ローマの信徒へ『手紙』を送ったのです。


   『神の子』としての、 身分、栄光、契約、律法、約束も、 『イスラエルの民』のものです。
        イスラエルは、『神の民』として選ばれたアブラハムの子孫です。
        『イエス・キリスト』も 『イスラエル』の中から生まれたのです。
     しかし、イスラエル・ユダヤ人たちは、
自分たちの中から生まれた 『イエス・キリスト』を『メシア』 とはめようとしなかったのです。


    『キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神』
       パウロは、『真実を語り、偽りは言わない』
    キリスト者は、『真実』の下に、 皆が、 反目ではなく一致するように、 
       又。
    ユダヤ人は、『真実』:『メシア・キリスト』 をめるように、   と励ますのです。

同時に。

    パウロには、 自らもユダヤ人としても、 『深い悲しみと痛み』 があったのです。


   以前。 パウロは、信奉するユダヤ教擁護のために、キリスト教を迫害していたのです。
  ところが。 復活したイエス・キリストとの出会いで、『キリスト教宣教者』となったのです。

       パウロは、 愛するユダヤ教徒ユダヤ人への『愛』のためなら、
自分のすべてである 『キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよい』 とさえ思ったのです。
    ユダヤに対すると、 キリストに対するとの、 『板挟み』のままに働くパウロは、
         最期は、 キリストのために命を捧げるのです。


『今日の祈願』

   『すべての人に目を注いでくださる神よ、
 不安や絶望の中から立ち上がり、神の言葉にこたえて歩む力で満たされますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は、平和のために働く沢山の人から学びました。
長崎市長は『平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。』とおっしゃいました。 
私たちも平和のために何かをはじめましょう。 お元気で!