鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

さらば、もう1人の企業戦士、Sさん

2007-12-29 | Weblog
2日前のことである。昼休みを終えて会社に戻り、エレベーターに乗り込むと、後ろから名前を呼ぶので、振り向くと関連会社の社長のTさんで、「Sさんが間月末で退社しました」という。続けて「最後の日だったので、『誰かに挨拶しますか』と聞いたら、『いや、いいです』と言ったのですが、『鈍想愚感子さんだけにはお世話になりました』と言ってました」という。それで、伝えてくれたわけがわかったが、言われた本人はそうだったかな、と思う程度で、どうも思いあたるふしがなかった。そういえば、数日前にSさんが珍しく地下1階の日本茶のお店のテラスに座っているのを見かけ、あれっと思ったのを思い出した。T社長によると、最終の退社手続きに来たのだ、という。
 Sさんは入社は2年違いで、30年来の知り合いである。かつては持ち場は違うが同じ職場にいたことがあった。その後、Sさんはエリートの集まる部へ替わっていって、ある時に全社横断的なプロジェクトチームで一緒になり、華々しく活躍する姿を目の当たりにしたことがあり、驚いたことがあった。ただ、そのエリート職場も間もなく去り、今度が関連会社で一緒になり、Sさんは雑誌の編集長などをしていた。
 その後、Sさんは著しく体調を壊し、脳梗塞を患い、長期休養するようなことがあり、復帰してからは身体障害者として会社に勤めるようになっていた。丁度、いまのT社長の2代前の社長をしていた時に本社の人事部長から「Sさんを引き取ってくれないか」との打診があり、どうせどこかが面倒をみなくてはいかないのなら、と応じ、若い人の書く原稿の校閲作業をしてもらうことで引き取った。その時にSさんの実家のお母さんから「うちの息子は健在でしょうか」と電話がかかってきて、驚いたことがあった。
 以来、Sさんは7年近く、いまの会社に勤めたことになる。Sさんが感謝しているとしたら、7年前に引き取ったことを言っているのかもしれないが、当時は小さなビルの一角を間借りしていて、死角のようなところにいて、Sさんは目立たなかったが、2年前に新しいビルに移って、Sさんが何をしているか一目瞭然となって、T社長がよく「周りに示しがつかない」とよくこぼしていたのを聞いて、その分は帳消しとなったのかもしれない。
 もちろん、仕事納めの日までにSさんが退社の挨拶に来たわけではないし、聞かれてちらっとそう思っただけのことかもしれない。
 それでも、Sさんの今後にエールを送りたい、いつまでもお元気で、Sさん。
 
コメント
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