鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

いずれ急須は日本の家庭からなくなり、街には日本茶を飲ませる茶店が出現する?

2013-02-08 | Weblog
 数日前の朝日新聞に「最近の高校生は急須を使えない」との面白い記事が出ていた。多くの人にとってお茶を急須で淹れるのは当たり前のことと思われているのに、最近の若い人はそうした当たり前のことを当たり前と思わなくなっていることの証拠で、生活習慣の違いからこうした現象が出ている、と思われる。これ以外にも変わってきていることが多くあると思われる。
 先月末に佐賀県で行われた日本教職員組合の教育研究全国集会で、福岡県立直方高校の家庭科の女性教師が昨年9月の授業で1年の男子生徒から「先生、この急須を火にかければいいですか」と聞かれて、あわてて止めた、という。その生徒は恐らく家庭で、急須なるものを見たことがないか、使ったことがなかったのだろう、茶葉を入れた急須を直火にかけようとした。前年にもこうした生徒がいたので、教師は同月に1年生240人にアンケート調査し、実態を調べてみた。
 この結果、「冬場に家庭ではどうやってお茶を飲むのか」と質問したところ、「急須にお茶を入れ、飲む」と答えたのは全体の21%で、半数はいるだろう、との予想を大きく下回った。その他の回答では「あらかじめ作ってある麦茶などを沸かして飲む」が50%、「ペットボトルのお茶を購入」が13%、「水を飲む」が15%となっており、明らかに急須でお茶を飲む習慣がすたれていtることを裏付けた。
 急須に茶葉を入れてお茶を飲むことは少なくとも家族がそろって食卓を囲み、楽しく歓談するということを想像させる。ところが、現実は夫婦そろって仕事を抱えていると、とてもそんな時間はとれずについつい、買い置きのペットボトルから注いでお茶を飲むことが手っ取り早くなる。スーパーやコンビニではそうしたペットボトルが豊富に取り揃えてあり、家庭に常備しておくことになんら抵抗がないことだろう。
 急須なるものもいずれ家庭の食卓消え去っていくことになるのかもしれない。お湯を沸かして、しかもあらかじめお茶ッ葉を買っておくことも考えてみれば面倒くさいことになるのかもしれない。仕事を持つ家庭の主婦にとってついつい、コンビニでペットボトルを買った方が便利ということになるのだろう。
 急須でお茶を淹れることが少ないということは茶器で抹茶を立てる、という日本古来の茶道などはもっと馴染みのないこととなるのだろう。千利休で有名な茶道もいよいよ希少な価値ということになるのかもしれない。大体、着物を着てお茶を立てるなどという面倒なことをいまどきの女子高生が好んでやる、とは到底思えない。
 家庭でじっくりお茶を飲む習慣がなくなっていくと、街にコーヒーを飲ませる喫茶店なるものがあるが、それと同じように日本茶を飲ませる茶店なるものが、いずれ流行り出すことになるのかもしれない。現に京都には一保堂茶舗なる茶店があり、京都人にはお茶を好む人が多いのか、結構賑わっている。日本文化発祥の地の京都には面白いものがある、ということだろう。
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