鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

稀勢の里の引退は”相撲ムラ”の体制が稀勢の里すべてをに任せきりにして放置したことが生んだ悲劇

2019-01-17 | Weblog

 大相撲の稀勢の里横綱が16日、記者会見を開き、「やりきった。私の土俵人生において一片の悔いもない」と表明し、引退した。横綱にまで上り詰めたものの、左肩を痛め横綱として8連敗という不名誉な記録を残し、自らを追い込んで引退を決意せざるを得なかった。大相撲初場所の4日目にあたるこの日は稀勢の里の出身地である茨城県牛久市から100人もの応援団が来る予定となっていて、その前で不様な相撲を見せられないという思いもあったのだろう、自らの道に区切りを付けた形となった。日本人として19年ぶりの横綱誕生とあって期待を集めたが、横綱としてはやや期待外れに終わったと言わざるを得ない。

 引退に至ったのは横綱に昇進した後の2017年春場所で13連勝で迎えた14日目に日馬富士に敗れた際に左大胸筋を負傷し、それでも翌千秋楽に照ノ富士に出場して勝ち、2度目の優勝を飾ったものの、さらに傷を広げたことにある。問題はその後に左肩から左腕に至る損傷を軽く見て、専門の医療機関などに罹るような本格的な治療を受けずに部屋付きのトレーナーによる見立てに任せていたことにあるのではなかろうか。稀勢の里本人が簡単に治ると主張したのかもしれないが、どう見ても最初の対応がまずかった。筋肉なり骨は最初に治療しておかないと後から治そうと思っても手遅れとなることが多い

 稀勢の里が所属する田子の浦部屋は師匠の田子の浦親方が稀勢の里に命令して物事が進むような体制とはなっていない。すべてのことはまず稀勢の里の思いのまま進んでいるとしか思えない体制のようである。動向が注目を集めた際の田子の浦部屋のドタバタぶりを見ていても本格的な治療を受けたようなふしはうかがえなかった。

 稀勢の里が負傷した翌場所の2017年夏場所は11日目から休場し、以来ずっと途中休場か全休を繰り返し、怪我の状況についてはあいまいな答えしか返ってこず、専ら稀勢の里が苦笑しながら「なんとかなっています」などわけのわからない表現で、好転している兆しは一切うかがえなかった。たまに本場所に出場しても連敗に次ぐ連敗で休場に追い込まれる始末で、日本相撲協会のご意見番である横綱審議会もたびたびの不成績にも目をつむり、先場所後には異例の「激励」をする始末でなんら機能を果たすのいは至らなかった。

 およそ相撲の世界は常人には理解のできない世界である。大看板である横綱が苦境に陥っていてもなんら手をさしのべる人なり、機関がない。全くのガバナンスが効いていない。監督官庁である文部科学省も不祥事が起きた際に腰をあげるだけである。そもそも日本相撲協会も自治が効いているとはいえない組織である。お飾りの横綱審議会も日本相撲協会に対して決められた慣行に沿ってお決まりの意見を具申するだけの組織になり果てている。

 今回の稀勢の里の問題は事態が露見した段階で、日本相撲協会なり、部屋が稀勢の里を直ちに専門の医療機関に受診させ、然るべき措置を取っていれば、かく不様な結果に至らなかったのでなかろうか。そこで全治まで2カ月なり、3カ月かかることがわかれば、それに対応していけたことだろう。今回の稀勢の里の引退はすべてを稀勢の里に任せきりにして放置した”相撲ムラ”の体制が招いた悲劇としか言いようがない。

 それにしても15歳で入門して32歳で引退する相撲の世界は人生70年なり、80年のいま、異常な世界であると思わざるを得ない。稀勢の里はこれから40年なり、50年を相撲の世界で生きていくことになる。果たして、この異常ともいえる相撲の世界を無事に生きていけるのだろうか、と懸念される。また、稀勢の里のような相撲取りが出てくるようなことのないようにだれか、もしくはどこかで自主的に改革すべきだろう。そのことを荒磯(稀勢の里)親方に期待するのは無理筋か?

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