鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

仲代達矢主演の「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」を見て、日本の演劇はいまや老人文化だと思った

2010-02-20 | Weblog
 19日は東京・三軒茶屋の世田谷パブリックシアターでの「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」を観賞した。気になる俳優の仲代達矢最後の舞台となるかもしれない、とどこかで書いてあったので、見る気になった。ネットで申し込んだので、演劇そのものの予備知識はヘンリック・イプセン原作以外何もなく、入口で渡された資料を見ると、公演の内容を記したものは何らなく、入口に戻ってチラシを手に取って、初めて4人だけの芝居であることがわかった。平日の午後にもかかわらず、仲代人気か、満席で、さすがに若い人はちらほらで同年代層が多かった。
 幕が開くと、ロシアを思わせる北寒の地のとある家の応接室に長椅子を挟んで黒ずくめの女性が正面を見て黙って2人離れて立っている。一瞬、文楽の黒子か、と思ったが、持ってきたオペラグラスでみると、4人のなかの大空真弓と十朱幸代である。しばらくして、セリフを話しだし、2人は姉妹で8年ぶりに再会し、姉の子どもであるエルハルトの親権をめぐって、諍いを越こしていることがわかる。
 その2階には姉の夫のジョン・ガブリエルなる男が書斎にこもったまま、8年間もの間、出てこないことが明らかとなる。仲代達矢演じるジョン・ガブリエルはかつては銀行の頭取を務めたが、悪事に手を染めたことが暴露されて、告発され、5年間拘置所に、そして3年間刑務所に置かれ、ようやく釈放されたものの社会的には葬り去られたまま、世間的には失意のうちに沈んでいる。が、本人はいずれ、冤罪が晴れ、名誉は回復されることを信じて疑わない。そんなガブリエルの数少ない友人のフォルダル(米倉斉加年)が訪れてくるが、ささいなことから売れない詩人だとなじり、喧嘩別れしてしまう。
 そこへ現れた妹のエルラが甥のエルハルトを手元に戻してほしい、ジョン・ガブリエルに頼み込むが、そこへ姉のグンヒルが来て、「そんなことはさせない」と怒鳴りこんでくる。ところが、肝心のエルハルトは隣人の伯爵夫人に惚れ込んで、恋の逃避行に出かけてしまったことが判明し、しかもジョンの友人のフォルダルの娘も連れていってしまったことも判明する。
 このことに喜んだジョン・ガブリエルは雪のなか、荒野のなかに彷徨い出て、遂には凍死してしまう。見果てぬ夢を追いかけながら、はかない息子の将来に望みを託して、死んでしまうのは男たるもののはかなさを言いたかったのだろうか。イプセンは19世紀のノルウエーの劇作家で、ノラで有名な「人形の家」の作者であるが、悲しい男女の生き様を描いた人くらいしか知らない。この「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」も運命に翻弄sらえる男の悲哀を描いた劇ということなのだろう。
 仲代達矢の演技はうまいのだろうが、発声から動作から以前に見た「ドン・キホーテ」の主人公とだぶって見えてきてしまう。77歳でいまだに第一線の舞台に立つのはすごいことで、本人は「最後の覚悟で舞台に立つ」と言っているようで、その迫力は伝わってきた。共演の妻と恋人の姉妹に大空真弓と十朱幸代が起用されたのは年齢からして仕方ないのだろうが、米倉斉加年を加え4人とも70代近辺の俳優ばかりで、観客もそのあたりの人ばかりで、日本の演劇文化は老人で持っているような気がしてきた。
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