prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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「ナチス第三の男」

2019年02月08日 | 映画
原作小説の「HHhH プラハ、1942年」はラインハルト・ハイドリヒとその暗殺者をものすごく執拗に周辺を含めて描いた小説らしいが、映画の方は「暁の七人」「ハイドリヒを撃て!」といった先行作品とかなり被る。

ただ前半ハイドリヒが女遊びが過ぎて軍法会議にかけられ婚約破棄になってもおかしくないところをロザリンド・パイクの婚約者が結婚を承諾することで救われるが、パイクがナチス党員で影響を受け「出世」のために合理的な実務能力を生かすという描写のあたりは新しい捉え方をしている。

正規軍の将軍は虐殺専門のハイドリヒを嫌うが、未成年の少女を買春している情報をつかまれて協力させられるあたり、自分の失敗を応用して軍に復讐しているようで陰険。
パイクが出てくるなりファックしている(今どき)ボカシがかかる描写などからして性的な面からハイドリヒに迫るのかと思うとそれほどでもなかった。

ただ暗殺に関わる描写になるとこれまでの繰り返しになるし、暗殺されたのがハイドリヒの一番有名なところだからいい加減なところで切るわけにもいかず「主人公」が死んでしまった後のナチスの報復が蛇足気味になる構成上の欠点は覆いがたい。

ハイドリヒが家庭では、特に息子に対してはいい父親というのはむしろルーティンで、テレビのミニシリーズ「ホロコースト」でマイケル・モリアーティがやっていた平凡な男がナチスで出世していくにつれ残虐になっていく、あるいは残虐さに無感覚になっていくほどの幅は乏しい。

跪かせておいて後ろから銃を撃つと共に大勢のユダヤ人たちの胸に穴が開き血が噴き出すのをカットを割らずフルショットで捉える虐殺の描写はリアルだが、頭を撃たないのだろうかとは思った。
「シンドラーのリスト」で頭を撃たれた人間が瞬間にモノになってがしゃっと崩れて落ちる描写と、ほんのちょっとしか違わないのだが怖さは大きく違う。

子供の目の前で父親を拷問して口を割らせるなど、毎度のことながらナチスというのはどれだけ人間が非人間的になれるかの見本市のよう。

「ナチス第三の男」 - 公式ホームページ

「ナチス第三の男」 - 映画.com

2月7日(木)のつぶやき

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