prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

乾山の芸術と光琳

2007年12月17日 | Weblog
最終日にやっと滑り込む。似たような人が多いとみえて、昇りのエレベーターが既に満員。この美術館は皇居のお堀を見下ろせる位置にあり、空いていればお茶を飲みながら椅子に座ってくつろげるのだが、満席でそれどころでなし。

光琳の素描というか洋画でいうスケッチというか、さらっとした線だけでいくつかの馬の肢体を並べた作が最初の方にあり、軽い感じで描いている動感が何やらマンガとアニメ風ですらある。
一方で竹を描いた屏風絵など、堂々と伸びのある筆づかいが風格たっぷり。

真四角な皿にさまざまな花鳥風月を描いたシリーズは、真四角というところが一個の絵とすると収まりが悪いけれど、これで料理を上にあしらったらずいぶん違うのではないかと思わせる。

もともと陶器の破片だけ集めた展示室があるのだが、それとは別に本展示でも乾山の作の窯の跡から出たという破片も並べてあった。

帰りに、有楽町の交通会館に寄って久しぶりに400ml献血をする。献血ルームが改装され、献血している間に見られる小型テレビが地デジ対応になっていた。放送されていたのが、丁度ACミランが浦和レッズに勝ったところで、アナログとデジタルの画質の差を確認。もっとも、買い替えはまだ先だが。


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「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

2007年12月16日 | 映画
2時間半もあるのでどうなることかと思ったが、飽きずに見られた。
戦争絡みのエピソードが入ってきていて、これが蛍やまだ高速道路ができていない日本橋などの小道具や背景との絡め方が良くて印象的。
いくら昭和30年代だって、東京に蛍がいるのか、と思わせて、なるほどと思わせる収まり方を見せる。戦争の傷はまだ生々しかっただろうものね。

最近珍しい大がかりなクレーン撮影が多くて、CGがどうこういうより大勢を捌く芝居の捕まえる画面全般の構えが堂々としている。

後半、考え直してみると全部予想通りに展開しているのだけれど、ぎりぎり白けさせないでこちらがそうなって欲しいところに収まるが、割と予定調和的でなくてちょっと苦味が混ざっている。次作るのは、ちょっと苦しい感じ。あまり甘さがなくなっても困るものね。

掘北真希をつかまえて「トランジスタ・グラマー」(小柄だけれどグラマー)なんて実に時代がかった形容がされる。適切なのかどうか、よくわからないけれど。

万年筆をメーカーが火事で焼け残ったとかいってサクラを使って客の同情をひいて売る啖呵売は、寅さんもやっていたこと。そういや、寅さんの啖呵のうちに「東京は日本橋白木屋さんで紅白粉つけた姉ちゃんに、下さいちょうだいでいけば、××円はくだらない品物…」なんて出てくるけれど、ちょうどその日本橋で上川隆也が勤めているのがそのあたりということになるか。
(☆☆☆★★)


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「スティーブ・マックイーンのすべて」

2007年12月15日 | 映画
「大脱走」の撮影中に20分のダイジェストを作った時、まったく自分が出ていなかったので怒ったマックイーンが撮影をボイコット、一時はシナリオを書き直してジェームズ・ガーナーの役とまとめるかという騒ぎになったという、今では信じられない話。

晩年は仕事に対する意欲をなくして、金を払わないとシナリオも読まなかったという。「地獄の黙示録」の主役オファーで非常識な条件を提示した(マーロン・ブランドの条件考えたらどうってことないが)頃。
聖書をよく読んで、日曜には息子を教会に連れて行ったというから、燃え尽きたのかなと思わせる。


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「椿三十郎」

2007年12月14日 | 映画
オリジナルは95分、今回のが115分。同じシナリオでなんで20分も長くなるのか。
黒澤はリハーサルを徹底して芝居を凝集させて役者が互いにセリフの尻を食い合うようになってから撮るという。だからオリジナルでは三十郎は若侍たちが考えている程度のことはとっくにお見通しで、相手が言い終わる前にかぶせるように言うのが多くて、そのいささか失礼な喋り方がキャラクターでもあるし、ユーモアにもなっているが、今回は相手がセリフを言うのを待ってますという感じで、どうもテンポが出ない。

シナリオがいいからある程度の質は保証されてはいるが、このシナリオはもともと不器用でぶっきらぼうな三船のキャラにあて書きされたものだから、ちょっと事情が違う。

オリジナルが立ち回りで血しぶきを出したのが後の映画の流血描写をエスカレートさせたのを黒澤はひどく後悔していたようだが、今回はそういう描写を避けて、特にラストで「いい刀は鞘に入っている」というセリフを生かした趣向は、先達へのリスペクトとしてなかなかよく考えた。「たそがれ清兵衛」中盤の大杉漣相手の立ち回りをヒントにしてるのかなという気もする。ただし、それ自体の迫力、とするとどうか。

織田裕二は今40歳だから、オリジナル出演時の三船敏郎の42歳とそれほど違わないのだけれど、若侍の方が似合いそう。キャスト全般を見ても、日本人が子供っぽくなっているのが強く感じられる。
悪玉たちがやたらと物をつまんで食べているのが森田流。
(☆☆☆)



「上意討ち -拝領妻始末-」

2007年12月13日 | 映画

「切腹」と同じ滝口康彦原作・橋本忍脚本・小林正樹監督・武満徹音楽といった一流スタッフによる作品だし、封建社会批判といったテーマも共通しているが、初めから善玉悪玉がきれいに分かれているあたり、とっつきやすくはあるけれどやや陰影に乏しい。
重厚な画面作りや、役者たちの堂々とした立ち居振る舞い、台詞の朗朗として武張った音感は見事。

寒そうな荒野に赤ん坊を置いて斬り合いをするっていうのは、いささかひっかかる。相打ちになったら後どうするんだろう。
(☆☆☆★)


「叫びとささやき」

2007年12月12日 | 映画
いまさらながら、ベルイマンの遺したものの大きさを思う。
どれほど厳しく人間の苦しみや悩み、嫉妬やエゴを描いても、というより厳しいからこそ最後にカタルシスが顕れる、追い詰め方の厳しさ。

リブ・ウルマンを鏡の前に立たせた医者エルランド・ヨセフソンがかつて関係した彼女の顔の崩れを「批評」する、その批評が当たっているような気もするし、気のせいに過ぎないようにも思えるが、しかしウルマン自身は知らぬげに鏡の中の自分に見惚れている図を、鏡の中のアングルからじいっと捕らえ続けた、映像でなければありえないしかし映画演出一本ではとても出しきれないだろう演技の結合。
悪気のないまま周囲を傷つけ迷惑をかけても何とも思わない無意識過剰の末っ子を、正確に理解してしかも理解を顔に出さないで表現したウルマンの演技。

遺作「サラバンド」でも鳴ったバッハの無伴奏チェロ組曲第5番が、ここでもかりそめの姉妹の和解の軋みのように響く。

各場の前後をその場の主役の女の顔にフェイド・インフェイド・アウトするカットを置くのは、演劇をカーテンで区切る感覚であることに気づく。
部屋の壁も絨毯も真紅なのも有名だが、余談だがベルイマン演出の「ハムレット」の舞台でも、真紅はやはり舞台の随所に散りばめられていた。ガートルードが不倫の相手のクローディアスとファックする(露骨なパントマイム!)時に着ている衣装、ハムレットが母を責める場だけ舞台に敷かれる真紅のカーペット、狂いかけた水色の服のオフィーリアが履いた、それだけ真っ赤なハイヒール。赤は肉欲の色であり、水色は純粋さの色だった。
(☆☆☆☆)


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「やじきた道中 てれすこ」

2007年12月11日 | 映画
うーん、道中ものっていうのは何でも入るけれど(オープニングで「近松物語」のパロディまで出てくる)、謎の動物てれすこ騒動、喜多さんの都落ち、女郎の足抜け、三枚起請どころではない起請文のばらまきなどの、色々な要素が詰め込まれているのだけれどちょっとづつ物足りない、幕の内弁当みたい。

てれすこの「正体」って、あれでオチになるのかなあ。フグの仲間か、という要らぬ憶測をしたくなる。
役者はそれぞれの力量考えるとふつうの出来。
(☆☆☆)



「ミッドナイト イーグル」

2007年12月10日 | 映画
ハリウッド式大作のスケール感を売りにしているけれど、そちらは予想されたけれど中途半端な感じで、なんか一番日本人にバカにされそうなタイプの映画。
もっとも単純にダメかというとそうでもなく、クライマックスでいったんほっとさせてからの展開とか、子供の扱い(あまり喋らせないのが成功)とか日本映画的にウェットな部分の方が案外うまくいっていた。

前半は雪山のスケールが都会の場面でぶつ切れになるみたいで、仇役の某国特殊部隊が素人二人殺すのにバカに手間取ったりして、どうも乗りきれない。この国で大変なことが起こっている、という感じが日本ではどうしてもしなくて、なんかヌルいのだね。どんなに大変なことになるか、言葉=発想の段階で安心してしまっている感じで、念を押して凄みを利かせるのが不足。

「亡国のイージス」でもそうだったけれど、出てくる日本人ならざる東洋人がどこの国の人間なのかボカさざるを得ないのも凄みが効かない原因。
雪山だと位置関係をわかるように示すのが難しくて、誰が誰だかわからなくなるのも「八甲田山」の昔からの伝統みたいなもの。
(☆☆☆)


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「ベルイマンの監督術」

2007年12月04日 | 映画
ベルイマン「サラバンド」のメイキング。スウェーデンのテレビSVTの制作。

演出家であるベルイマンが自分で動いてみるところがかなりある。衣装の色はもちろん、木の葉やキノコにまで細かく指示している。84歳だが、矍鑠たるもの。

気のせいか、特に若い女優さんにはこまごまと指示を与えるけれど、エルランド・ヨセフソンみたいに付き合い長い相手だとあまりいろいろ言わない。
奥さんを亡くして久しいはずだが、薬指に結婚指輪が見える。


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「尻啖え孫市」

2007年12月02日 | 映画

主演 中村錦之助、中村賀津雄、勝新太郎、本郷功次郎 監督・三隅研次、脚本・菊島隆三、撮影・宮川一夫といった一流布陣の割にあまりぱっとしない。

雑賀孫一、という男が天衣無縫に振り舞えるのは鉄砲の数と扱い方に関しては無類といわれた雑賀衆あってのことで、その肝腎の使い方の描写にあまり面白みや説得力がないのが困る。
聞きかじりだけれど、雑賀衆は貫通力を強化した狙撃用の弾丸、炸裂弾、一人でも扱える小型の大砲などの火術を使い分けていたというので、ただカラスの張りぼて走らせて装填済みの鉄砲を投げ渡す、という程度ではなあと思ってしまう。
ラストもちとシマらない。

孫一と藤吉郎との、なかば敵なかば仲間という関係を演じているのが錦之助と賀津雄の兄弟というのが面白い。
(☆☆☆)

「原田眞人の監督術」

2007年12月01日 | 映画
原田眞人の監督術
原田 眞人
雷鳥社

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著者が30年かけて今でいう映画オタクからいかにして脱皮してプロフェッショナルな映画監督になるに至ったかを、経験を通じての映画作りの各段階での具体的なイメージとして綴られてすこぶる面白い。日本のシナリオは情報量が少なすぎる、と批判するが、この本自体イメージと示唆豊かな名文。
プロとは単にそれを職業にしているというだけでない、自分の足で立てる連中の協力関係のことだ、とはハワード・ホークスの「コンドル」に事寄せた筆者のプロフェッショナル論。
監督になるだけだったら誰でもなれる、重要なのは監督としてのキャリアを編むことだ、とも。

監督としての作品に上出来なものが必ずしも多くないのをもって皮肉るのはよしましょう、この本でも書かれているが他人の失敗談の方が勉強になることが多いのだから。映画作りはその時その時代での大勢のコミュニケーションとシステムの産物であり、結果として傑作を生んだ過去の「巨匠たち」の映画術を逆算しても今に即役立つわけではない。黒澤明他、かつてのアイドル(偶像)だった監督たち他を、「黒澤明語る」の頃と比べてある程度醒めた目で見るようになっているのも、そうだろうなと思わせる。

とはいえ、それらの巨匠たちの肩の上に立ち、彼らのレガシー(遺産)を受け継ぎ後継者に伝えようとしている書。

「ダンス・ウィズ・ウルブス」の字幕で自殺同然に敵前に無謀な突撃をするケヴィン・コスナーのセリフ“Forgive me, Father”というのを「父さん、許して」と訳した字幕を見て卒倒しかけ、大文字でFatherといったら天にまします主のことに決まってる、「主よ、(自殺を)許したまえ」って意味だろうがと激怒するくだりがあるけれど、戸田先生の翻訳じゃないだろうね。「オペラ座の怪人」でpassion play(受難劇)を「情熱のプレイ」って訳したことあるからなあ。

これは筆者のように英語に堪能で、アメリカ映画界でも仕事しているのが重要なキャリアになっている人間だから言えること、というレベルではないので、こういう翻訳がまかり通って「治らない」いうのは、業界の体質がアンプロフェッショナルだからということになるのではないか。


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