ビデオ用映画だったオリジナルは見ているのだが、こんなだったっけと何度か思った。
廃墟に拉致監禁した男にダミアン・ボナールが可愛い女の子のビデオを自分の殺された娘だと強引に見せ、同時に惨殺された医学的所見を淡々と朗読する場面ははっきり覚えていた。
ゲシュタルト崩壊というのか同じ言葉を何度も繰り返すことで言葉が意味を失う。
隠されていた真相があとで一応はわかる。
オリジナル版のシナリオを書いた高橋洋の著書にずばり「地獄は実在する」というのがあるが、彼の発想には映像そのものが死んでは生き返る呪われたものというのがある気がする。そういう地獄感は描かれる対象としてあるので、映画そのものの呪いといったものはここでは薄い。
食物を与えるかと見せてフードプレートをわざとひっくり返したり、失禁させて放水で身体を洗ったりといった拷問は拷問とするなら割と生温い。人格を侮辱するなら裸にするだろう。
必ずしもサディスティックではなく、むしろ無感情に近い。
もともと同じ哀川翔主演の「蜘蛛の瞳」と二本ペアでリリースされた片割れだけリメイクしたわけで「蜘蛛の瞳」の方は「蛇」よりもっとわけがわからないから外したか。
それにしてもVシネというかビデオ市場向けに作られた一連の作品の保存はどうなっているのか、心配。
柴咲コウの眼のことを作中ヘビの眼だと言うのは言いえて妙。
必ずしも日本人がやらなくてもいい役なのだが監督が日本人なのに合わせたか。というか、それ以外には考えにくい。
駐禁を取り締まるフランス警官が日本のアニメファンというのも今時珍しくはないのだろうが、わざわざ入れるあたりは案外あちらのスタッフが気をきかせたのかもしれない。
(エンドタイトルでオリジナルをリリースした今はなき大映=DAIEIの表示が出たのは気のせいか)