prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「それでもボクはやってない」

2006年11月27日 | 映画
日本の刑事裁判で起訴されたうちの99.9%が有罪になるとは知っていた。
検察が有罪に持ち込める案件しか取り上げないからだろう、それでとりこぼされる事案が出るのは問題だ程度には思っていたが、どうもそこらへんではないのだね。

裁判官が無罪判決を書くということは、警察・検察に楯突くということで、国家権力という大きなくくりでいえば「お仲間」同士で事を荒立てるのは得策ではない、有罪になれば警察・検察の顔が立つが、無罪になったって喜ぶのは被告だけだ、というリクツなのです。冗談ではない、見ていて本気で腹が立ってきた。
弁護士にとっても、負けて当たり前、勝てば英雄というからある意味有利な状況ということだという。
裁判は法曹人や官憲のためにあるのであって、国民のためにあるのではないことをありありと教える。

この場合はまともな弁護士にあたるのだが、ひどいのにぶつかったらどうなるのだろうとも思わせる。いや、頭から無実を信じないで示談を勧めるひどいのも出てくるのだが、人格的な問題にとどまるのではなくそれなりの理由があってのことなので、なおさら困る。

ディテールの細かさ、充実ぶりがすごい。
護送の際、手錠に通した紐を抜く時うっかりすると摩擦熱でヤケドする、といった一見ストーリーとは関係ない微細な点まで丹念に描きこんであり、二時間半近い長尺なのだがおよそダレることがない。ほとんど全シーンにわたって何かしら知ることになる。
欲をいうと、裁判にかかる費用が全部でどの程度のものかわかると良かった。裁判そのものの生活に及ぼす有形無形のコストをまったく無視しているというのは、奇怪ですらある。

使われる言葉の特殊なことと言い、常識的な判断がまるで通じないことといい、およそ人の話を聞かない態度といい、法曹界というのは今同じ日本にあるとは思えないくらい異質な世界に見える。もっともカンケイないで済めばいいのだが、痴漢の冤罪などいくらでもありそうだ。
筆者は満員電車に乗る時、できれば両手でまわりから見えるように吊り革につかまるようにしている。そうもいかないことも多いけれど。

なお、裁判官はなぜ誤るのか 秋山賢三著の第五章によると、痴漢の八割までは常習者によるもので、彼らの犯行は巧妙でまず捕まるようなことはなく、もともと親告罪なのだから仮に捕まっても訴えられなければ起訴されないから示談で済ませようとするし、起訴されても五万円の罰金をさっさと払って釈放されてしまう。
あくまで無実を主張するのは、それまで真面目に生活していて裁判所を信頼している者で、それゆえに拘留が長くなり、物質的・精神的に甚大な被害を受けることになるのだから理不尽としかいいようがない。
(☆☆☆★★)


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それでもボクはやってない スタンダード・エディション

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2 コメント

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よろしくお願いします。 (やわらか映画~おすすめDVD~)
2006-12-15 22:38:55
トラックバックさせていただきました。(http://www.yawarakacinema.com/cgi-def/admin/C-010/cinema/tdiary/index.rbのほうです。)
本家サイト(http://www.yawarakacinema.com/)も、よろしくお願いします。
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TBさせていただきまいした。 (タウム)
2007-11-15 18:42:46
映画では語れなかったこと、裁判だけではなく事件や事故の捜査や取調べのやり方なんかにまで、監督は疑問を元検事の弁護士にぶつけていて、裁判とか捜査とかほんとに変えなければならないなと痛感しました。
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