映像言語がタルコフスキー作品、特に「ストーカー」に驚くほど共通している。
水が染み出してきている廃墟、どこからかビリビリ響いてくる振動(地震)が感じさせるある予感、直線的につながっているようで、いつのまにか行きつ戻りつしてずれて現実感を崩壊させてくる場面展開、世界の終末が迫っている(ただし神は関与しない)感覚。
幽霊の因果律関係なしの理不尽な現れ方が、呪いとか祟りとかの段を通り越して世界の秩序感をぶち壊すものという感じで、人間同様に肉体を持った幽霊は逆に物の実在を保障する客観的世界観を顛倒させる。
一方で、「雨月物語」以来の日本映画、というより「神」を持たない日本文化の下での「もう一つの生き方」としての幽霊のあり方の伝統をも思わせる。
のべつあちこちをほじくり返している今の東京の街で撮っているには違いないのだが、警察署の俯瞰など「メトロポリス」みたいなレトロSFの匂いがする。
建設現場というのは、廃墟と見分けがつかない。というより、すべてのものはできたと同時に古び始めるわけで、廃墟というのは過去を向いているよりは未来に向って育っていくものではないかと思わせる。
いささか濫用されている言葉だが、すぐれて世界観を持った映画。
(☆☆☆★★)
本ホームページ
叫(さけび) - goo 映画
水が染み出してきている廃墟、どこからかビリビリ響いてくる振動(地震)が感じさせるある予感、直線的につながっているようで、いつのまにか行きつ戻りつしてずれて現実感を崩壊させてくる場面展開、世界の終末が迫っている(ただし神は関与しない)感覚。
幽霊の因果律関係なしの理不尽な現れ方が、呪いとか祟りとかの段を通り越して世界の秩序感をぶち壊すものという感じで、人間同様に肉体を持った幽霊は逆に物の実在を保障する客観的世界観を顛倒させる。
一方で、「雨月物語」以来の日本映画、というより「神」を持たない日本文化の下での「もう一つの生き方」としての幽霊のあり方の伝統をも思わせる。
のべつあちこちをほじくり返している今の東京の街で撮っているには違いないのだが、警察署の俯瞰など「メトロポリス」みたいなレトロSFの匂いがする。
建設現場というのは、廃墟と見分けがつかない。というより、すべてのものはできたと同時に古び始めるわけで、廃墟というのは過去を向いているよりは未来に向って育っていくものではないかと思わせる。
いささか濫用されている言葉だが、すぐれて世界観を持った映画。
(☆☆☆★★)
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ああ、なるほど、タルコフスキーね。
なんとなく、納得(笑)