全編、ビデオ撮影による実写という建前の映像によって構成されたフェイク・ドキュメンタリーのゾンビもの。
こういう形式は「ボブ・ロバーツ」から日本の「FOCUS」などジャーナリスティックな素材か、「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」みたいなホラーの「実話もの」と、「本当」であることを強く問われる分、虚実皮膜を縫う性格の映画が多いと思うが、これはその両方。
ビデオカメラが一台だけ、という形式だとどうしても単調になるのだが、ここでは複数の人物がそれぞれビデオカメラを持っていて、他に監視カメラの映像や携帯による動画などを適宜カット割りするのでずいぶん見やすくなっている。
それは至る所にカメラの目が光っているという現代の状況に見合ったものでもある。
カメラを向け続けていると対象に対して傍観者的になる、というナレーションがかぶさるが、確かにそうだと思える。映像で惨劇を見てばかりいると感覚がマヒしてくるが、撮る方が先にマヒするらしい。このあたりの文明批評的な視点は、ジョージ・A・ロメロのゾンビもの第一作「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」から一貫している。
Shoot meというセリフを「俺を撃て」と日本語字幕では訳しているが、この場合のshootというのは当然「撮れ」というのとひっかけているわけ。実際、撮るというのは社会的生命を奪うことにもなるし。
ラスト、監視カメラの白黒画面に映るゾンビたちの姿は、白黒映画だった68年度作に先祖がえりしたみたい。
オープニングのミイラ男が出てくる(今どき!)学生の卒業制作になるホラー映画が「現実」に再現されるクライマックスなど、その虚実逆転とそれに対する感覚のマヒの方がゾンビそのものより怖いと思わせる。
ゾンビものの定番である頭が吹っ飛んだり、薬品で溶けたり、顔面が真っ二つになるといった特殊効果は、ドキュメンタリーらしい手持ちカメラで見せるだけにますます本物らしく見える。実はデジタル技術の発達によって後から崩壊した顔面を合成したり、手持ちのブレそのものが作られたものだったりするのが、メイキングで明かされている。
5.1chによる音響は、ゾンビたちに囲まれたリアリティを背後のざわつきに出している。ずいぶん緻密な作業による音響デザインで、一見ラフに撮った映像とは裏腹のはずだが、なまなましい臨場感という点では妙に一致している。
(☆☆☆★★)