prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

原田眞人監督 公開講座 小津安二郎

2011年06月24日 | 映画
早稲田大学大隈小ホールにて。
講義の内容をノートしてみます。

※ 小津作品というと同じことの繰り返しの代名詞みたいだが、そんなことはなくて特にプライベートな、特に女性との関係が作品に影響しながら進化しているという点で、ベルイマンと同じ。

※ 女性というのはまず母親、なぜ母親を引き取って生涯独身で過ごしたか、家庭の事情、特に兄嫁と母親との対立が背後にある。

※ 日記によく出てくる「築地」とは築地にあった置屋の女性のこと。それから松竹撮影所のそばの食堂の女性もいる。女性関係に関する証言がなかなか出てこないのは、この女性が大物俳優と結婚してその息子も現役の役者なため。

※ 照れ屋で一歩踏み込みきれないのが小津の性格で、女性たちに求婚しなかったのはそのせいだし、最も好んだ小説は「暗夜行路」で志賀直哉とも親交があったのについにモチーフを借りただけの「風の中の雌鳥」しか作らなかった。

※ 小津作品の人物設定は基本的に男女交換可能。「晩春」での父と娘のやりとりは「早春」の母と娘のやりとりに変奏される。そのあたりハワード・ホークスと同じ。

※ 小津がカメラを動かさなくなったのは、アメリカ映画みたいな機材がないところで中途半端なパンや移動をしたくなかったから。なかなか色彩映画に踏み出さなかったのも、カラー技術が満足のいくところまで待っていたから。

※ 戦時中シンガポールで軍属をしながらいかに戦争協力をしないでやりすごすかに腐心して、もっぱらアメリカ映画を見ていた。中でも感心したのは「市民ケーン」。ただしそれでも80点しかつけていない。

※ 「東京暮色」は上野駅の十二番ホームで終わり、「彼岸花」東京駅の十二番ホームで始まる。そういう作品を超えたつながりと対応が見られる。(作品名の記憶は曖昧、別のかもしれない)

※ 小津というと役者を型にはめようとする演出と思われがちだがそんなことはなくて、杉村春子は自由にやらせている。できる人は自由にやらせるということ。

※ 「浮草」の宮川一夫の撮影、下河原友雄の美術は、パネルのひとつに至るまでの意匠の凝り方と色彩だけでなく厚みを持たせた照明による格調高い画面は映画史上の傑作。浴衣の柄が役柄に合わせてネガとポジの関係になっていたりする。
ここでの雨の中の激しい罵言のやりとりは、小津の生活から出てきたものと考えていい。大映に出向して撮ったことともに、自分の殻を破ろうとしている。

※ 小津作品に頻出する人物たちが同じ方向を向いているのを欧米への紹介者ドナルド・リチーはtropism(植物が光に向かうように、生物が刺激の方向に向かうこと)と形容した。

※ 「ゴッドファーザー」でマーロン・ブランドが孫と遊びながら死んでいく場面は、明らかに「小早川家の秋」の中村鴈治郎が孫と遊びながら死んでいく場面からきたもの。

※ 「秋刀魚の味」のラスト、娘に嫁に出した後の夜の父親の姿は「晩春」に似ていると見せて、それまで決して入らなかった台所に入っているのに注目。前のシーンで友人がエプロンをつけて出てくるところがある、つまりこれから父は自分で自分の面倒を見るようになるということ。慨嘆ではなくて成長がある。

※ 小津作品によく出てくる葉鶏頭は、山中貞雄が出征する前(そして中国で戦病死する)に小津と会っていた時に庭に生えていたもの。

※ 小津は実際に戦争に行き、人の生き死にに触れてきている。戦争中は戦争に関する映画の企画をいくつか提出していたが、復員後はぴたりと止めている。今の若者が小津の真似をするのとはわけが違って、懐にドスをのんでいる。

これに関してブログ主が連想したこと。
小津がガンで亡くなったのは、中国で従軍中に日本軍の毒ガスを吸ったせいではないかという説あり。
原節子のいわゆる「紀子」三部作の紀子という名前は昭和15年生まれの女性に多い。皇紀2600年に合わせてつけられたもの。(零戦という名も皇紀の下二桁からとられるという軍用機の命名規定による)

大いに勉強になりました。
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