70年代、独立を夢見て一室に転がり込んで来たはいいが母親がつきっきりで世話をやいてくるブルジョワのお坊ちゃんとか、水商売の間を行ったり来たりしている女優とか、ラーメン屋のおかもちに偽装したり爆弾を持ち込む新左翼とか、昼は公務員で夜はヒッピーといった連中が交錯する高円寺のアパートを舞台にした集団劇。
タイトルの「僕」というのは一応お坊ちゃんのことだろうが、中央線で一駅の阿佐ヶ谷から高円寺に越してきたというのがというのが自立というにはいかにも甘くて笑ってしまう。
新左翼が爆弾闘争している時期というので、もろに時代が出る。
ただ閉塞感とか体制ががっちりできあがっていて頭を押さえつけている感じというのは、このころから変わっていないのだなと思わせる。
若い俳優たちが直接に当時を知っているわけはないが、ある種直観的にわかるところもあるのではないか。体制に埋没するか否かというのが二者択一ではない視点で作られていて、それが苦さばかりでなくメランコリックな情感にもつながった。
唐十郎がのしてきた時期で新劇の女優が読み方がわからずとうじょうろうと呼んでカラじゅうろうだと訂正されたりするくらい没交渉で、そのくせアングラのエネルギーにはうたれたりしている。
未だに新劇代表の俳優座の研究生がそれをやるというのがおもしろいところでもあるし、体制に対する反体制という時期は過ぎている今となるとアングラさえノスタルジーの対象になりそう。
「僕の東京日記」劇団俳優座演劇研究所研究生 2・3年(25・26期)修了公演3月
タイトルの「僕」というのは一応お坊ちゃんのことだろうが、中央線で一駅の阿佐ヶ谷から高円寺に越してきたというのがというのが自立というにはいかにも甘くて笑ってしまう。
新左翼が爆弾闘争している時期というので、もろに時代が出る。
ただ閉塞感とか体制ががっちりできあがっていて頭を押さえつけている感じというのは、このころから変わっていないのだなと思わせる。
若い俳優たちが直接に当時を知っているわけはないが、ある種直観的にわかるところもあるのではないか。体制に埋没するか否かというのが二者択一ではない視点で作られていて、それが苦さばかりでなくメランコリックな情感にもつながった。
唐十郎がのしてきた時期で新劇の女優が読み方がわからずとうじょうろうと呼んでカラじゅうろうだと訂正されたりするくらい没交渉で、そのくせアングラのエネルギーにはうたれたりしている。
未だに新劇代表の俳優座の研究生がそれをやるというのがおもしろいところでもあるし、体制に対する反体制という時期は過ぎている今となるとアングラさえノスタルジーの対象になりそう。
「僕の東京日記」劇団俳優座演劇研究所研究生 2・3年(25・26期)修了公演3月