万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

航空機撃墜がイランの誤射であったならば

2020年01月10日 11時26分28秒 | 国際政治

報道によりますと、アメリカとイランとの間の緊張が高まる中、ウクライナ機(ボーイング737-800)がキエフに向けてイランの首都テヘランの空港を離陸した直後に撃墜され、乗客乗員176人全員が犠牲となる痛ましい事件が発生したそうです。犠牲者にはカナダ人63人が含まれていたため、カナダのトルドー首相は、複数の情報機関からの寄せられた証拠に基づいて分析した結果として、イランの地対空ミサイルによる仕業と断定しています。

 

 もっとも、トルドー首相は、‘意図的ではなかったのではないか’と述べており、誤射であった可能性を示唆しています。渦中にあるアメリカのトランプ大統領も誤射説を支持しているのですが、仮に誤射ではなかったとしますと、今頃、全世界は開戦前夜の状況に陥っていたかもしれません。何故ならば、仮に、ミスなく正確に‘指令’を遂行していたならば、アメリカ人が犠牲となっていた可能性が極めて高いからです。イラク国内に駐留する米軍への攻撃は、アメリカ人の犠牲者ゼロで事なきを得ましたが、民間航空機の撃墜でアメリカ人の多数が死亡するともなりますと、トランプ大統領はイランが‘レッドライン’を越えたと判断し、対イラン報復攻撃を躊躇わなかったことでしょう。

 

 使用された地対空ミサイルはロシア製と見られており、ミサイルは、イランの防空システムから二発発射されたそうです。このため、撃墜はイラン軍によるものと推測されますが、もしかしますと、ソレイマニ指令官の仇をとるための、軍内部の対米強硬派、あるいは、革命防衛隊の一部の独断による対米復讐攻撃であった可能性も排除はできません。特に革命防衛隊の指揮命令系統については不明な点が多く、独自に行動するケースもあり得るとされています。このため、イラン政府が、どこまで今般の事件に関わっていたのかは分からず、イラン政府にとりましても寝耳に水であったのかもしれません。何れにしましても、全体主義国家であるイランの国内にあって地対空ミサイルを配備できるのは体制側の軍事組織以外には考えられませんので、イランは同事件の責任から逃れることはできないのです。

 

 一方、メディアを介して全世界に広まったイラン誤射説に危機感を抱いたのか、イラン政府は、ミサイルによる攻撃ではないとして、イラン犯人説の否定に躍起になっています。同政府が否定に必死になるのは、誤射説を認めますと、未遂に終わりこそすれ、イランがアメリカ人殺害計画を実行に移していたことが明るみに出るからなのでしょう。革命防衛隊による単独報復攻撃であった可能性を考えますと、誤射説は、本音においてはアメリカとの戦争を回避したいイランにとりまして消し去りたい説なのです(イラン政府がイラン軍を統制できていないことも、知れ渡る?)。

 

加えて、誤射ではなく目的通りの攻撃であったとしても、イランにとりましてはマイナス材料となります。何故ならば、確定はされてはいないものの、同事件ではイラン人、ウクライナ人、カナダ人などが犠牲になりましたが、これまでの情報では、犠牲者にアメリカ人は含まれていません。このことは、イラク駐留米軍への攻撃に際して既に指摘されているように、イランは、アメリカ人を殺害しないように細心の注意を払って攻撃対象を厳選した可能性を示唆するからです。イラン政府は、搭乗者名簿を容易に入手し得る立場にあります。イランは、イラン国民に向けて形だけでも対米復讐のポーズをとるために、他の諸国の人々を犠牲に供するという非人道的な行為を行った疑惑も浮上するのです。

 

誤射であっても、作戦通りであっても、イランにとりましてはミサイルによる撃墜はあまりにも不都合です。そこで、ウクライナ機の墜落はミサイルによるものではなく、故障やトラブルといった他の何らかの原因による事故であることにしたいのでしょう。撃墜ではなく事故である可能性を完全には排除できませんし、実際に、イラン側は、ボーイング社や被害者の出身国に対して共同調査を呼び掛けています。しかしながら、現場はイラン国内にありますので、海外の派遣団にどれほど‘自由な調査’が許されるかわかりませんし、現場が墜落時そのままの状態に保存されているとも限りません。

 

過去の歴史を振り返りますと、2014年7月のマレーシア航空機撃墜事件をはじめ、謎に包まれた事件が多数発生しています。これらの事件の背後には国際情勢や国際的な謀略が囁かれるケースも多く、今般の事件も、その舞台がイランなだけに慎重なる見極めと対応を要するのかもしれません(イラン軍内に潜む別の国際組織による犯行である可能性もある…)。複雑に絡まった糸を解き解し、宗教という厚いカーテンに閉ざされているイランの内情、あるいは、同国にも張り巡らされている国際ネットワークにまで踏み入いった従来とは違う‘異次元’の分析を行わないことには、真の危機回避とはなり得ないのではないかと思うのです。


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