万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

新型コロナウイルスの災禍が示す‘知らされない怖さ’

2020年01月25日 15時58分21秒 | 国際政治

 中国と言えばIT先進国として知られ、スマートフォンの普及率も日本国を上回っているそうです。都市部であれば凡そ100%とされ、スマホ決済も浸透し、人々の日常生活にとりましても欠かせないツールとなっています。新型コロナウイルスの発生現地となった武漢市でも市民の大半がスマホを保有していることでしょう。

 ITとはインフォメーション・テクノロジー(Information Technology)の略語ですので、本来であれば、IT大国である中国では、様々な情報があらゆる垣根を越えて行き交い、人々が自由に自らの欲する情報にアクセスし、そして、コミュニケーションをはかることができる社会が実現するはずでした。ところが、武漢を発生源地として全世界的な拡大を見せている新型コロナウイルスは、中国の現実が、情報化社会の理想とは真逆であることを示しているように思えます。

 当初より、中国におけるスマートフォンの高い普及率は、中国政府による‘国策’であると指摘されてきました。国民一人一人にスマートフォンを携帯させることで公私にわたるあらゆるデータを収集し、国民を徹底監視下に置くことが、一党独裁体制を維持したい中国共産党の真の目的であるとされているのです。1000万都市とされる武漢市でも、市民はスマートフォンを所持しているでしょうから、感染者に関する個人データも当局が既に入手していることでしょう(もっとも、国民各自のデータ管理が北京で一元化されている場合、武漢市には情報がない…)。

 先端的なITを利用して政府が国民の個人情報までをも独占的に入手する一方で、国民の側の情報空間はどうなのでしょうか。強制封鎖の状態にある武漢市では、ネット上に動画等の情報がアップされているものの、一般市民には真偽の判断は難しく、中にはフェイクニュースも交じっているようです(‘風説の流布’は放置状態…)。また、武漢市に在住する邦人の現地報告によりますと、同市の置かれている現状を正しく把握するのに必要となる信頼し得る情報には乏しく、その情報の少なさに不安を感じるそうです。習近平主席が情報隠蔽を禁じつつも全ての情報が包み隠さずに公開されているわけではなく、当局によって相当に厳しい情報統制がなされている様子が伺えるのです。つまり、中国は世界最先端の情報化社会を称しながらも、一般の国民は、自らに必要となる情報については入手することも、アクセスすることもできないのです。

 ここに、全体主義国家の情報空間における著しい非対称性を見出すことができます。それは、国家による情報の独占と国民の側の情報の欠乏です。そして、この‘情報格差’こそが、暴力にも増して、国家が国民を支配する有効な手段ともなり得るのでしょう。正しい情報から疎外された国民は、そもそも判断材料がないのですから、情報に基づいて自らの頭で的確に判断することはでず、国民は、情報を独占する国家の判断に従うしかなくなるからです。つまり、情報の独占は、国家が国民から思考、言論、行動等のあらゆる自由、あるいは、能動的な自発性を知らず知らずのうちに奪う手段でもあるのです。

 仮に、新型コロナウイルスの発生時から、政府当局が武漢の市民に対して正しい情報を提供していたならば、これ程までに広い範囲での感染拡大は防げたかもしれません。少なくとも、市民の多くは、春節の連休を機に国内外に出向いたり、武漢閉鎖寸前に駆け込み式に同市から脱出を図るような無謀な行動は慎んだことでしょう。市民の一人一人が自らがウイルスのキャリアーとなる可能性を自覚していれば、市民の行動も自ずと変化したはずなのです。

 ‘IT先進国’で発生した感染病の拡大は、情報化社会の到来が必ずしも一般の人々に自由な情報空間を与え、必要な情報を必要な時にもたらすものではない現実を示しています。政府によって国民が取得できる情報の量や範囲は厳格にコントロールされ、時にして国民は、情報なき暗闇に置き去りにされる場合もあるのです。今般の新型コロナウイルスの一件は、情報化社会にありながら、‘知らされない恐怖’が現実にあり得ることをも教えているように思えるのです。


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