万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

瀬戸際に立たされたNPT体制―イランの核合意破棄

2020年01月07日 12時38分14秒 | 国際政治

 オバマ前政権による外交上の成果とされたイランとの核合意は、今や、風前の灯となりつつあります。そして、吹き消されそうになりながらも燃え続けてきた炎が消える時、それは、NPT体制が消滅する時ともなりましょう。

 

 少なくとも、全世界に向けて配信されている映像を見る限り(全体主義国家ですので、イランの一般国民の心の内は分からない…)、米軍の空爆によるソレイマニ司令官の殺害に対し、イランは、アメリカへの復讐心に燃え滾っているようです。具体的な報復手段の一つとして示唆されているのが核開発の再開、すなわち、核合意の破棄です。核兵器の製造はそれほどには高度な技術を要しませんので、イランがウラン濃縮を再開させれば、おそらく短期間のうちにイランは核保有国となることでしょう。もしかしますと、今般の事件は、核保有を熱望してきたイランにとりましては核合意を破棄する絶好の口実となった可能性さえあります。

 

 イランが核保有を目指す理由は、イスラエルの核にあるとする指摘があります。公表はされてはいないものの、イスラエルが中東唯一の核保有国であることはほぼ間違いなく、同地域における軍事的バランスにおいて同国に優位な立場を与えています。イランとしては、自国が核保有国となることでイスラエルとの間で核による相互抑止力と対等性を実現するとともに(もっとも、何故か、イランは自国の核開発についてイスラエルの核保有を理由として挙げていない…)、宿敵であるサウジアラビアやイラク等の周辺諸国に対する軍事的優位を確保したいのでしょう。核保有は、一夜にして他の諸国を押しのけてイランを中東の覇者に化けさせる‘魔法の杖’なのです。

 

 仮にイランの核保有が現実のものとなる場合に最も懸念されているのは、サウジアラビアによる対抗的な核保有です(イスラエルの核保有は公然の秘密なので言及されない…)。先日、同国の石油施設が攻撃を受けた際に、‘犯人’としてイランの名が真っ先に挙がったように、イランとサウジアラビアは、イスラム教における宗派対立も絡んで犬猿の仲にあります。サウジアラビアが、イランの核に対抗するために核保有に踏み切った場合、NPTの第9条2項にあっても自国が死活的な事態に遭遇した場合には脱退の権利を認めていますので、これを阻止すことは困難です。そして、イランの核保有が、サウジアラビアのみならず、両国との関係が必ずしも良好ではない他の周辺諸国にも脅威となるのは言うまでもありません。中東諸国の関係は複雑ですので、イランの核保有によって、核拡散のドミノ倒しが引き起こされかねないのです(印パ戦争を背景に、インドとパキスタンの二国による核保有は既成事実化しているものの、中東諸国の関係はより複雑…)。

 

 中東に始まる核拡散のドミノ倒しは、当然に、NPT体制の崩壊を導くこととなりましょう。中東諸国外の他の非核保有国も、NPTによって核開発や核保有を拘束される正当な理由を失うからです(最も危険な国家であるイランや北朝鮮の核保有が黙認される一方で、順法精神の高い他の諸国には認められない状況はあまりにも不条理、かつ、危険…)。イランの核保有を阻止しえなかった以上、北朝鮮も公然と核開発を再開するでしょうし、両国とも、ICBMSLBM等の開発にも着手していますので、日本国を含めてその射程圏内にある諸国にも核保有の権利が生じます。

 

 かくしてイランの核保有によってNPT体制の崩壊が予測されるのですが、この事態を防ぐ主たる国際法上の責任は核保有国にあります。NPT体制とは、明文規定には欠けているものの、核の不拡散に関する責任を核保有国が負うことを条件として、主に国連安保理の常任理事国を想定して核の保有を特権として認めているからです。

 

 アメリカは、イラク戦争時のように核開発を根拠としてイランに対する軍事制裁に踏み切るのでしょうか。イギリスやフランスは、外交交渉を以ってイランに核合意の破棄を思いとどまらせることができるのでしょうか。そして、いち早くイラン支援を表明した中国やロシアは、同国の核開発再開に対しても支持を与え続けるのでしょうか。公式の核保有国の動向に注目が集まると同時、イスラエルといった非公式の核保有国も、事態の行方に強い関心を寄せていることでしょう。もっとも、実のところ、NPT体制の行方は、非核保有国にとってこそ自国の防衛や安全保障に直結する最大の関心事であるはずです。NPT体制が維持されるのか、それとも同体制が崩壊し、全ての諸国が核武装する新たな体制が出現するのか、人類の運命が決せられる日が近づいているように思えるのです。


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