万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ゴーン被告は日本人を目覚めさせた?

2020年01月14日 13時10分16秒 | 日本政治

 長期にわたって日産の会長として君臨し、ルノー・日産・三菱連合の要でもあったカルロス・ゴーン被告が変装した姿で巣鴨の拘置所の玄関口に現れた時、それは、日本国において何かが決定的に崩れた瞬間であったように思えます。その崩壊したものは何かと申しますと、日本人の一般常識であったように思えます。

 

 これまで、日本人の多くは、大企業のトップを務め、国際的にも名の知られた人物がよもや電気工を装うといった姑息で芝居じみた行動に出るとは夢にも思っていなかったはずです。社会的に高い地位にある人には、その地位に対する矜持があり、その立場を汚さないためにも自らを厳しく律し、不名誉の誹りを受けるような行動はとらないと信じられてきたからです。因みに、元農林水産省事務次官が我が子に手にかけてしまった事件の保釈シーンにあっても、その装いはアイロンのかかった背広姿でした。たとえ罪人であっても立場のある人は品位を保つものと考えるのが日本人の一般的な感覚なのですが、ゴーン被告の行動は、こうした日本人の一般常識を見事なまでに打ち砕いてしまったのです。

 

 しかも、ゴーン被告の父親であるジョージ・ゴーン氏の経歴を知るに至ると、日本人の多くは唖然とさせられることでしょう。同被告の父親は一旗揚げるためにレバノンからブラジルに渡り、同国で事業に成功した実業家であり、このため、同被告もフランスのエリート校であるグランゼコールの一つで高等教育を受けています。人口の40%ほどをキリスト教徒が占めるレバノン出身であるために、属する宗教もマロン派のキリスト教とされ、どちらかと言いますと裕福で子弟の教育にも熱心な実業家の家庭がイメージされます。ところが、最近の報道によりますと、この勤勉な実業家一家のイメージもまたひっくり返されてしまうのです。

 

 ゴーン被告は自らの父親について語ることは少なかったとされますが、それもそのはずなのです。驚くべきことに、ジョージ・ゴーン氏は、出身国のレバノンにあって神父を殺害する事件を起こした犯罪者であったのですから。殺害の理由は、ダイアモンド、金、外貨、麻薬等を密売していた同氏とブラック・ビジネスの仲間となっていた神父との間で分け前をめぐるトラブルが発生したためとされています。この事件は、父ゴーンの実像のみならず、ブラック・ビジネスに手を染めている教会の腐敗をも暴いているのですが、このお話は、これで終わりとなるのではありません。

 

 さらに驚愕させられるのは、有罪判決を受け後の父ゴーンの行動です。投獄されたバアバダー刑務所にあっても、同氏は、看守達に賄賂を配って‘牢名主’になっています(刑務所の腐敗…)。そして、同氏は脱獄自体には加わらなかったものの、同刑務所で起きた脱獄事件を機に、同氏がバアバダーの地方検事、予審判事、刑事裁判所長の殺害を計画していたことが発覚するのです。この件で、同氏は死刑判決を受けることとなりますが、模範囚として振舞ったため、禁固15年に減刑されて出獄していますが、その後、偽札販売の廉で再度禁固15年の判決を受けているのです。同氏がブラジルに渡るのは、レバノンが内戦によって混乱に陥ったからです。‘一大悪党記’とも言える人生を歩んできた父ゴーンの姿は、性格は遺伝しないとはいえ、今日のゴーン被告と重なるのです。あるいは、同被告は、父の代からの国際犯罪ネットワークの人脈を引き継いでおり、その助けを借りて日本国から逃亡したのかもしれません。

 

 そして、ゴーン被告による一般常識の‘転覆’は、日本人の歴史の見方に対しても少なくない影響を及ぼすことでしょう。その理由は、日本国の常識は海外では通用せず、海外勢力が関わる歴史的な出来事にあっては、思いもよらない謀略が仕掛けられていた可能性が否定できなくなってくるからです。例えば、明治維新に際しては、イエズス会や東インド会社の流れを汲む国際勢力が裏から操っていた可能性は否定しがたいのですが(およそ100%…)、一昔前までは、こうした説は‘トンデモ説’でした。しかしながら、アジアやアフリカにおける植民地化の過程が示すように、西欧列強の仮面を被った国際組織がこれらの地域の諸国を植民地化しようとする場合、武力のみならず謀略的な手段も使われています。

 

最も多いパターンは、内戦を起こさせて双方に資金や武器・弾薬を提供しつつ、最終的には自らに都合がよい側を勝たせるというものです。おそらく、戦略顧問、あるいは、アドヴァイザーとして入れ知恵もしたことでしょうし、ゴーン被告の脱出劇と同様に、謀略も指南したかもしれません。戦国期であれ、明治期であれ、日本史において解きがたい謎が数多く残されているのは、特に海外との接触が強まった時期なのです。

 

日本人の想像を絶するような謀略も、海外では日常茶飯事に起きてきたことなのかもしれません。このように考えますと、歴史の事実を追及するに際しては、日本人の一般常識から離れ、グローバル・スタンダードの視点から見てゆく必要があるように思えるのです。芥田川龍之介が『煙草と悪魔』が描いたように、グローバリズムと一緒に悪魔もやってくるかもしれないのですから。


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