万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

危険な橋下氏のゴーン被告擁護論

2020年01月16日 14時03分11秒 | 国際政治

 前代未聞の海外逃亡を計画し、日本国から逃げ去ったカルロス・ゴーン被告。卑怯な手段を用いたゴーン被告に対して日本国民の大半が批判的なのですが、日本維新の会の代表を務め、大阪府知事並びに大阪市長を歴任した橋下徹氏は、数少ないゴーン擁護者の一人のようです。

 

 橋下氏のゴーン擁護論とは、直接的にゴーン被告の無罪を主張するのではなく、海外メディアの大半と同様に、日本国の司法制度を批判するという間接的なものです。もっとも、同氏の擁護論には、中国と香港との関係とのアナロジーから日本国の司法を批判している点に特徴があります。簡潔に述べますと、同氏は、‘中国の司法制度を批判する者には、ゴーン被告を批判する資格はない’と主張しているのです。日本国も中国も司法制度に問題があるのに、中国ばかりを批判するのは不公平、すなわち、フェアではない、と…。雄弁で知られる橋下氏の詭弁に思わず頷いてしまう人も少なくないのでしょうが、よく考えてみますと、この主張には重要な見落とし、あるいは、誤魔化しがあるように思えます。

 

第一に、日中の両国では、犯罪の内容に違いがある点です。日本国の刑法は、利己的な理由から他者の権利を侵害する行為を類型ごとに犯罪として定め、こうした種々の犯罪行為に対して刑罰を設けています。一方、中国では、‘政治犯’という犯罪類型があります。それは、言わずもがな、中国共産党による一党独裁体制を批判したり、民主化運動に身を投じる行為等を意味します。政治的な自由が許されていない中国では、自由な政治的な発言や行動が‘犯罪’とされおり、この点において、日本国、並びに、一般の自由主義諸国とは決定的に違いが見られます。逃亡犯条例の改正に反対した香港市民も、一般の犯罪者ではなく、香港の自由や民主主義を護ろうとする罪なき‘政治犯’の引き渡しに反対しているのです。

 

なお、レバノンとの間に犯罪者引き渡し協定を締結していないため、日本国政府がレバノン政府に対してゴーン被告の引き渡しを要請しても、同国はこれに応じないとする見方が一般的ですが、レバノン政府は、ゴーン被告を少なくとも政府から弾圧や迫害を受けている‘政治犯’とは見なしていないことでしょう。日本にあってもゴーン被告は、自己弁護に熱弁をふるい、日本の司法制度を自由に批判していましたし、海外に易々と高飛びできるほど監視も緩かったのですから。

 

第二に、プロレタリアート独裁の建前の下で権力分立が否定されている中国では、司法は政治からも、‘マネー’からも独立的な存在ではありません。数年来、中国において猛威を振るってきた腐敗撲滅運動も、裁判権を利用した政治的な粛清であったと指摘されていますし、贈収賄は中国の悪習の一つでもあります。一方、日本国では権力分立の原則が制度化されており、司法の独立も確立しています。つまり、日本国の司法制度のほうが、犯罪者にとりましては遥かに‘不都合’なのです。否、財力のみならず、政界にも人脈を有するゴーン被告であれば、中国においてこそ不起訴となったことでしょう(中国では、幹部による企業の私物化は当たり前すぎで‘犯罪’とも見なされていないかもしれない…)。なお、ゴーン被告は、フランスでもルノー社に対する同様の罪状で捜査の対象とされていますが、日本国の司法制度は‘中世並みに野蛮’とこき下ろしたのですが、フランスの司法には服さざるを得ないはずです(ゴーン被告は、フランス司法をも‘中世並みに野蛮’と批判するのでしょうか。日本の司法制度批判を利用していたゴーン被告擁護論は、この時点で根拠を失う…)。

 

そして第三に指摘すべきは、橋下氏の説、否、日本の司法制度批判論は、より大局から見ればフェアな司法判断を困難にしている点です。同説では、刑事事件の被告人が、あろうことか‘被告席’に国家の司法制度を座らせらせています。この構図ですと、如何なる国の裁判所も、中立的で公平な立場から同事件を裁くことができなくなります。裁判所自身が‘裁判’の当事者となるのですから。つまり、ゴーン被告、並びに、その擁護者は、グローバリストの上から目線で自らを裁こうとする司法制度の不当性を訴えたことで、誰からも裁かれない立場に自らを置こうとしたのです(一国の司法制度の是非を法的に裁く国際機関が現状では存在しないことを利用した、巧妙な詭弁では…)。

 

この点、橋下氏は、公平性を主張するならば、上述したように‘中国の司法制度を批判する者には、ゴーン被告を批判する資格はない’として議論を封じようとするのではなく、国家の司法制度を裁く機関はないにせよ、‘ゴーン被告に日本の司法制度を批判する自由があるように、日本国民にはゴーン被告を、そして、香港市民には中国の司法制度を批判する自由がある’と述べるべきでした。一般の人々であれ、是非の判断は、両者の主張を公平に聞かないことにはできないのですから。

 

以上に主要な問題点を述べてきましたが、橋下氏の擁護論には相当の無理があるように思えます。仮に、同説がまかり通るのであれば、自由主義国であれ、ゴーン被告以外の一般のいかなる犯罪者も自国、あるいは、裁判地の裁判所の不当性や不備を根拠として違法に海外逃亡することが正当化されることとなりましょう。この意味においても、同氏の説はアンフェアを帰結するのみならず、司法の独立を実現している自由主義国の司法制度を揺るがしかねない危険性を秘めていると思うのです。

コメント (2)
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