万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

不公平なヘイトスピーチ規制の問題

2020年01月21日 15時31分48秒 | 日本政治

 ヘイトスピーチについては、今般の川崎市におけるヘイトスピーチ条例の制定により、再度、人々の関心を引くようになりました。川崎市にあって、敢えて刑罰を科す条例を制定したのは、2016年に国家レベルで成立したヘイトスピーチ規制法には満足していないヘイトスピーチ規制促進派の人々が地方自治体をターゲットに積極的な‘ロビー活動’を展開した結果なのかもしれません。

 

川崎市議会では法案可決に漕ぎつけたものの、ネットのみならずメディアでも批判意見が散見され、国内世論は必ずしも支持一辺倒ではないようです。主要な批判点の一つは、ヘイトスピーチ規制法と同様に、川崎市が定めた条例でも、ヘイトスピーチの対象が外国人に限定されている点です。法であれ条例であれ、日本国民がヘイトスピーチを行った場合には取り締まりの対象とされる一方で、日本国民に対してヘイトスピーチを行った外国人に対しては‘お咎めなし’です。‘これでは差別解消を名目とした逆差別の容認となり、不公平である’と批判されているのです。

 

しかも、この問題をさらに複雑にしているのが、川崎市の条例制定の背景としてしばしば指摘されている同市における在日コリアンの存在です。ここに二つ目の欺瞞を見出すことができます。それは、ヘイトスピーチ条例は、普遍的な人権尊重の文脈における人種・民族差別の禁止を名目としながら、その実、在日コリアンという特定の民族を対象としているらしいのです。少なくとも、条例制定に向けて積極的に動く‘実行部隊’となったのは、同民族の団体であったことは容易に推測されます。

 

在日コリアンの主張とは、おそらく、‘日本国は歴史的に朝鮮半島を植民地支配し、その過程で多くの朝鮮人が日本国に強制的に移住させられたのだから、自らの存在は日本側の責任である。それ故に、日本人は、自分たちを侮辱したり、追い出すようなヘイトスピーチをしてはならない’というものなのでしょう。ところが、強制連行説は事実の反証を受けて既に説得力を失っていますし、今日では、土地の不法占拠や殺害を含め、戦後における在日コリアンによる日本人に対する犯罪の数々は誰もが知るところとなりました。また、出身国である韓国や北朝鮮を見れば、政府が率先して日本国に対してヘイトスピーチを行い、韓国国民の多くも、日本人に対して激しいヘイトスピーチを浴びせ続けています。被害者の立場がヘイトスピーチを正当化できるならば、被害者側にある日本国、並びに、日本人にもヘイトスピーチが許されることとなりましょう。朝鮮半島の南北共に反日政策を半ば国是としていえるからこそ、ヘイトスピーチ規制に対する一般日本人の不公平感は高まるばかりとなるのです。

 

ヘイトスピーチ規制をめぐって日本国内が混乱するのも、本音と建前が食い違っているからに他なりません。人種・民族差別の禁止という普遍的な価値を掲げながら、真の目的が日本国内の在日コリアンの擁護にあるからです。たとえ日本人対する著しい加害行為があったとしても…。このため、普遍性・公平性からすれば日本人も在日コリアンと同様に保護されるべきところがその対象から外されると同時に、普遍性に照らせば在日コリアンにもヘイトスピーチ規制がかけられるべきところが、在日コリアンには、むしろヘイトスピーチを受けない特権が与えられているのです。日本国民の多くがヘイトスピーチ規制に対して不満を抱くのは至極当然のことであり、本音を隠した規制の導入は、百があって一利なしともなりかねないのです。

 

ヘイトスピーチ規制の‘本音’が在日コリアンの擁護にあるとしますと、今という時期に、再びヘイトスピーチ規制が強化の方向で動き出した理由も見えてきます。‘実動部隊’の思惑は別としても、同条例の制定は、自公連立政権による事実上の移民政策とリンケージしているように思えるからです。普遍的な人種・民族差別の禁止も、在日コリアンの人権擁護も規制強化のための表向きの理由に過ぎず、その真の目的は、日本人を含む人類一般でも外国人でもなく、海外に出自を有する移民の保護にあると考えられるのです。

 

その‘本音’においてヘイトスピーチ規制が移民保護であるならば、むしろ、警戒すべきはヘイトスピーチ規制を根拠とした政治的な議論封じです。何故ならば、中国が国防動員法を制定している現状に鑑みますと、日本国内に居住する凡そ200万人とされる中国人の国外退去措置等はあり得る措置となりましょう。また、朝鮮半島の南北両国とも、日本国を半ば‘敵国’と認定していますので、在日コリアンにも両国の対人主権が及びます。因みに、国際法である難民条約にあっても、外国人の追放は国家の安全や公の秩序を理由とする場合には許されています。さらには、仮にAI等の普及により人手不足が解消された場合、外国人の在留資格をどのようにすべきか、といった問題も自由に議論すべき政治的課題と言えましょう。

 

ヘイトスピーチ規制については普遍的人権保護からの要請という建前論を止め、移民保護政策であることを認めた上で、ヘイトスピーチ規制の限界こそ論じられるべきなのではないでしょうか。正面から論じたほうが、言論の自由を損なうことも、また、偽善による不公平感をもたらすこともなく、様々な危機や事態に対応し得るより現実的な政策に繋げることができるのではないかと思うのです。


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